(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年11月2日13時33分
長崎県奈良尾港外
2 船舶の要目
船種船名 |
旅客船フェリー長崎 |
漁船松福丸 |
総トン数 |
1,867.80トン |
2.27トン |
全長 |
79.76メートル |
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登録長 |
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7.60メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
5,001キロワット |
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漁船法馬力数 |
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18 |
3 事実の経過
フェリー長崎(以下「長崎号」という。)は、長崎港と長崎県五島列島の福江、奈留島及び奈良尾各港間の長崎五島航路に定期就航する、4基2軸の旅客船兼自動車渡船で、A、B両受審人ほか13人が乗り組み、旅客49人、車両15台及びコンテナ9個を載せ、船首3.1メートル船尾3.8メートルの喫水をもって、平成13年11月2日12時51分奈留島港を発し、奈良尾港に向かった。
ところで、奈良尾港外の南側には、陸岸から600メートルばかり東方に定置網が設置され、その北東端付近の奈良尾港南防波堤灯台から104度(真方位、以下同じ。)680メートルの地点及び南東端付近の同灯台から136.5度1,030メートルの地点に、それぞれ白色四角形の浮体に赤旗付き棹を立てた浮標(以下北東端のものを「北浮標」、南東端のものを「南浮標」という。)が設置されていた。
A受審人は、離岸操船ののち南下して奈留神瀬戸を抜け、奈留島港外に出たところで東行し、13時05分ごろ口曽根灯浮標から037度650メートルばかりの地点でB受審人に船橋当直を引き継ぎ、在橋したまま船橋後部のソファーに腰を下ろして書類を読み始めた。
船橋当直を引き継いだB受審人は、操舵手に当直業務の補佐を行わせながら東行を続け、13時24分ごろ五島棹埼灯台(以下「棹埼灯台」という。)から229度1,700メートルばかりの地点で操舵手を手動操舵に当たらせ、同時25分少し過ぎ棹埼灯台から206度1,200メートルの地点に達したとき、針路を五島長ナ瀬灯標に向首する060度に定め、機関を全速力前進にかけ、16.0ノットの対地速力とし、このころ左舷船首30度1.9海里ばかりに松福丸ほか2隻の漁船が漂泊しているのを初めて視認し、そのまま続航した。
同じころA受審人は、立ち上がって前方を見たところ、左舷船首方に3隻の漁船が漂泊しているのを初めて視認し、再びソファーに腰を下ろして書類を読み続けた。
13時27分少し前B受審人は、棹埼灯台から170度720メートルの地点で針路をいつものとおり奈良尾港東方の三盛山303メートル頂に向首する023度に転じて続航し、このころ松福丸を正船首方、他の2隻を正船首方やや右舷側に認めるようになった。
B受審人は、13時31分棹埼灯台から037度1,570メートルの地点に達し、漂泊している松福丸を正船首方740メートルに認めたとき、同船と南浮標の間を航行することとして針路を015度に転じ、周囲の状況を見るために同船から目を離し、同時31分半棹埼灯台から033.5度1,850メートルの地点で再び同船を見たとき、右舷船首11度500メートルのところに同船が北西方に向かって航行しているのを認めて衝突のおそれを感じたが、左転すれば間もなく追い越すものと思い、右転して同船との衝突を避けるための措置をとることなく、左舵5度、続いて左舵10度を令して左転を開始した。
A受審人は、B受審人の操舵号令を聞いて、左舷前方の定置網に接近するのではないかと疑問を感じ、船橋内の前面に出たところ、正船首方やや右舷側420メートルのところに、自船の左転の動きに合わせ、1点ばかりの方位角をもったまま衝突のおそれがある態勢で進行している松福丸及び同船上でC受審人が長崎号の右転を促すよう手を振っているのを認めたが、汽笛で警告信号を吹鳴すれば同船が避けると思い、直ちに右舵一杯を令して同船との衝突を避けるための措置をとることなく、警告信号を吹鳴したものの同船に避ける気配がなかったことから、同時32分少し過ぎ右舵20度を令したが及ばず、13時33分棹埼灯台から028度2,450メートルの地点において、長崎号は原速力のまま、左転が止まり、右転を始めて000度を向首したとき、その左舷船首部が松福丸の左舷船尾端に後方から70度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力1の北北東風が吹き、潮候は下げ潮の末期であった。
また、松福丸は、一本釣り漁業に従事するFRP製漁船で、C受審人が1人で乗り組み、操業の目的で、船首0.5メートル船尾1.1メートルの喫水をもって、同日09時00分奈良尾港を発し、同港外に設置されている定置網東方沖合500メートルばかりの漁場に向かい、同時15分ごろ漁場に至り、漂泊して操業を行ったのちイトヨリ8キログラムばかりを漁獲した。
C受審人は、平素定期運航するフェリーを見て時計代わりとしており、13時27分棹埼灯台から033度2,320メートルのところで、330度を向首して漂泊していたとき、左舷船尾45度2,800メートルのところに自船に向かって北上して来る長崎号を初めて視認し、操業を終えて帰港準備にかかった。
13時31分半わずか前C受審人は、左舷船尾46度530メートルのところに長崎号を見たとき、長崎号がわずかに左転して北方を向いたのを認めて発進することとしたが、平素フェリーは自船の船尾方を替わって奈良尾港に入港していたことから、今回も長崎号は船尾方を替わしてくれるものと思い、自船の左舷側を100メートル隔てて航過する態勢の長崎号の通過するのを待つことなく、針路を北浮標の少し東側に向首する340度に定め、機関をいつも使用している前進回転にかけ、5.5ノットの対地速力で舵棒を使った操舵により発進し、新たな衝突のおそれを生じさせた。
発進後C受審人は、ほぼ方位が変わらず接近して来る長崎号に対して危険を感じたものの、平素フェリーは自船の右舷側を追い越していたことから、今回も自船が右転すれば更に危険な状態になり、長崎号が右転すれば衝突を避けることができると思い、手を振って合図をし、13時33分少し前同船が左舷船尾至近にせまったとき、機関を全速力前進にかけて左舵一杯としたが及ばず、松福丸が290度に向首したとき前示のとおり衝突した。
衝突の結果、長崎号は左舷船首部に擦過傷を、松福丸は左舷船尾端に破損をそれぞれ生じ、松福丸はのち修理され、C受審人は衝突直前に左舷側海中に逃れたが、左肋骨骨折等を負った。
(原因)
本件衝突は、長崎県奈良尾港外において、漂泊していた松福丸が、同港に帰港するため発進し、新たな衝突のおそれを生じさせたことによって発生したが、同港に入港するために北上中の長崎号が、衝突を避けるための措置が適切でなかったことも一因をなすものである。
長崎号の運航が適切でなかったのは、船橋当直者が左転したことと、船長が直ちに右舵をとらなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
C受審人は、長崎県奈良尾港外において、同港に入港するために北上中の長崎号がわずかに左転して北方を向いたのを認め、同港に帰港するため発進しようとした場合、長崎号が自船の左舷方を100メートル隔てて航過する態勢で接近していたから、同船が通過するのを待って発進すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、平素フェリーは自船の船尾方を替わって北上していたことから、今回も長崎号は船尾方を替わしてくれるものと思い、発進した職務上の過失により、新たな衝突のおそれを生じさせて長崎号との衝突を招き、長崎号の左舷船首に擦過傷を、松福丸の左舷船尾端に破損をそれぞれ生じさせ、自身が左肋骨骨折等の傷を負うに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、長崎県奈良尾港外において、同港に入港するため北上中、B受審人の操舵号令を聞いて、左舷前方の定置網に接近するのではないかと疑問を感じ、船橋内の前面に出た際、正船首方やや右舷側に自船の左転の動きに合わせるように航行している松福丸及び同船上でC受審人が長崎号の右転を促すよう手を振っているのを認めた場合、直ちに右舵一杯を令して同船との衝突を避けるための措置をとるべき注意義務があった。しかしながら、同人は、汽笛で警告信号を吹鳴すれば同船が避けると思い、直ちに同船との衝突を避けるための措置をとらなかった職務上の過失により、右転することが遅れて松福丸との衝突を招き、前示のとおり両船に損傷を生じさせ、C受審人に傷を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、長崎県奈良尾港外において、同港に入港するため北上中、それまで漂泊していた松福丸が発進し、正船首方やや右舷側を北西方に向けて進行していることを認めた場合、右転するなど衝突を避けるための適切な措置をとるべき注意義務があった。しかしながら、同人は、左転すれば間もなく追い越すものと思い、衝突を避けるための適切な措置をとらなかった職務上の過失により、松福丸との衝突を招き、前示のとおり両船に損傷を生じさせ、C受審人に傷を負わせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。