(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成12年1月20日04時50分
響灘
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船明福丸 |
貨物船コーラル ハイウェイ |
総トン数 |
19.21トン |
49,439.00トン |
全長 |
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179.99メートル |
登録長 |
16.42メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
404キロワット |
11,510キロワット |
3 事実の経過
明福丸は、船体中央部に操舵室を有し、はえなわ漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人ほか3人が乗り組み、操業の目的で、船首1.00メートル船尾2.30メートルの喫水をもって、平成12年1月17日11時00分山口県下関漁港南風泊(はえどまり)地区を発し、同県蓋井島西方沖合の漁場に向かい、12時30分目的の漁場に至って操業を開始した。
ところで、A受審人がこの時期に行うふぐはえなわ漁は、05時00分ごろから20時00分ごろまでの間、投縄、揚縄及び漁獲などの各作業に当たり、その日の作業を終えたあとは錨泊して休息し、いったん出漁すると1週間ばかり続けて操業を行うものであった。
A受審人は、同月19日夕刻当日の操業を終え、20時00分蓋井島灯台から289度(真方位、以下同じ。)10.2海里の地点で機関を止め、左舷船首から100キログラムの錨を水深約80メートルの海底に投じて直径30ミリメートルの合成繊維製錨索を400メートル延出し、船首部の前部マスト及び操舵室上部のレーダーマストに白色全周灯を、船尾部の後部マストに黄色回転灯をそれぞれ表示して錨泊を始めた。
錨泊作業後、A受審人は、翌早朝抜錨することとし、乗組員に操舵室後方の船員室で休息をとらせ、自らも操舵室後部の板の間に布団を敷いて横になった。
A受審人は、翌20日北西風が強吹する状況下、04時00分ごろ目が覚め、同時40分船体が振れ回って325度に向首したとき、横になったままふと正船首方を見たところ、620メートルのところにコーラル ハイウェイ(以下「コ号」という。)の白2灯、紅2灯及び甲板上を照らす複数の明かりを視認し、やがて同船が南西方に向首して左舷側を向けたまま自船に接近するのを知り、衝突の危険を感じたが、乗組員を起こして操舵室に避難させることに気を奪われ、板の間から起き上がって機関を始動したものの、直ちに汽笛により注意喚起信号を行うことなく錨泊を続け、04時50分前示錨泊地点において、明福丸は、船首が000度に向いたとき、その左舷船首に、コ号の左舷中央部が前方から60度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力6の北西風が吹き、視界は良好であった。
また、コ号は、船首船橋型の自動車運搬船で、B指定海難関係人ほか日本人1人及び一等航海士Tほかフィリピン共和国人19人が乗り組み、自動車3,331台を載せ、船首7.99メートル船尾8.21メートルの喫水をもって、同月19日18時45分大韓民国馬山港を発し、関門海峡経由で広島港に向かった。
ところでB指定海難関係人は、外国人船員が乗り組む自動車運搬船やコンテナ船など約7隻に船長として勤務した経験を有し、同月13日愛知県三河港でコ号に乗船し、その後大韓民国の仁川港などを経て馬山港を出港したもので、同船の航海士に対し、乗船当初に船舶管理会社で定める規則にしたがって、船橋当直中や荷役作業時などの注意事項を口頭及び文書で指示したほか、航海に際しては、その都度ナイトオーダーブックや口頭により指示を与えていた。そして、三河港から馬山港に至る航海中に各航海士の勤務状況を観察し、彼らの技量や能力が十分に信頼できるものであることを確認していた。
また、T一等航海士は、フィリピン共和国及びパナマ共和国発行の一等航海士の各海技免状を受有し、前船で一等航海士に昇進して平成11年8月8日コ号に乗船したもので、日本周辺海域での船橋当直を十数回経験していた。
翌20日02時00分B指定海難関係人は、蓋井島灯台から302度15.4海里の地点で、関門海峡西口における水先人乗船予定時刻に合わせるため機関をスタンバイとして漂泊し、マスト灯2灯及び船尾灯を表示したほか、レーダーマストに紅2灯を上下に連掲し、甲板上を照らす明かり8灯を点け、航海士及び機関士に船橋及び機関室各当直を引き続き航海状態のまま維持するよう指示したのち、04時00分まで船橋当直に当たる二等航海士に当直を委ねて降橋した。
降橋するときB指定海難関係人は、ナイトオーダーブックに漂泊予定について記載していたうえ、二等航海士に対し、周囲の状況に注意すること、必要であればためらわずに汽笛あるいは機関を使用すること及び危険と判断したら船長に知らせることを口頭で指示した。
T一等航海士は、04時00分コ号が北西風に圧流されて蓋井島灯台から294度11.5海里の地点に達したとき、二等航海士から引き継いで甲板手とともに当直に就き、その後南西方に向首したまま145度の方向に2.0ノットの対地速力で圧流され、同時30分左舷正横方1,240メートルのところに明福丸の白2灯及び黄色回転灯を視認し、その灯火や船体が振れ回る様子などから同船が錨泊中であることを認め得る状況であったが、一瞥(いちべつ)して、同船は操業中で、接近すれば同船がコ号を避けるものと考え、明福丸に対する動静監視を十分に行わなかった。
04時40分T一等航海士は、蓋井島灯台から290度10.5海里の地点に至り、船首が240度を向いていたとき、明福丸が左舷正横後5度620メートルとなり、その後同船の方位がほとんど変わらないで接近したものの、依然動静監視不十分で、このことに気付かないまま、機関を使用するなどして同船を避けないで漂泊を続け、同時49分半至近に迫った同船を認めて衝突の危険を感じ、B指定海難関係人に船内電話で報告するとともに汽笛を吹鳴したが、効なく、前示のとおり衝突した。
B指定海難関係人は、昇橋して衝突の事実を知り、事後の措置に当たった。
衝突の結果、明福丸は、左舷船首外板に圧壊を、左舷中央部外板に亀裂を、船首部、船尾部及び操舵室上の各マストに折損をそれぞれ生じたが、のち修理され、コ号は、左舷中央部外板にペイント剥離(はくり)を生じた。
(原因)
本件衝突は、夜間、山口県蓋井島西方沖合の響灘において、漂泊中のコ号が、動静監視不十分で、錨泊中の明福丸を避けなかったことによって発生したが、明福丸が、注意喚起信号を行わなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、山口県蓋井島西方沖合の響灘において錨泊中、漂泊中のコ号が左舷側を見せたまま自船に向かって接近するのを認めた場合、直ちに汽笛により注意喚起信号を行うべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、乗組員を起こして操舵室に避難させることに気を奪われ、注意喚起信号を行わなかった職務上の過失により、コ号との衝突を招き、明福丸の左舷船首外板に圧壊を、左舷中央部外板に亀裂を、船首部、船尾部及び操舵室上の各マストに折損を、コ号の左舷中央部外板にペイント剥離をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して、同受審人を戒告する。
B指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。