(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年2月23日05時35分
隠岐諸島 島後東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第三祐生丸 |
総トン数 |
19トン |
全長 |
23.20メートル |
幅 |
5.12メートル |
深さ |
1.82メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
190 |
3 事実の経過
第三祐生丸(以下「祐生丸」という。)は、網船1隻、灯船3隻及び運搬船1隻から成る中型まき網漁業船団所属のFRP製網船で、船団の漁ろう長を兼ねるA受審人、甲板員Yほか10人が乗り組み、操業の目的で、船首1.2メートル船尾3.0メートルの喫水をもって、平成13年2月22日16時00分島根県加茂漁港を発し、隠岐諸島島後東方の操業海域に向かった。
ところで、祐生丸は、操舵室後方の、長さ8.3メートル幅3.8メートルの船尾甲板が網置場となっており、ここに長さ約600メートル最大幅約150メートルの漁網が、ほぼ150メートル毎に一つの山を形成して船首側から船尾側へと約1.5メートルの高さまで積み上げられていた。漁網の上端の浮子綱には外径17センチメートル(以下「センチ」という。)長さ20センチの「アバ」と称する多数の浮子(以下「アバ」という。)が、また下端の沈子綱には外径5センチ長さ6センチの「イワ」と称する多数の鉛製沈子(以下「イワ」という。)がそれぞれ取り付けられ、アバは網置場左舷側の甲板上に、イワは右舷側ブルワークに接して配置された長さ8.3メートル幅80センチ高さ25センチの沈子綱置場(以下「イワ置場」という。)にそれぞれ置かれていた。
漁網上端には、投網したあと海中の網の位置が分かるように、シーアンカーを取り付けた浮子綱の先端からそれぞれ約150メートル毎に、外径17センチのアバを輪切りにして作られた幅5センチのドーナツ型浮体に、単1電池2本入りの懐中電灯を差し込み、下部に鉛の重りを取り付けた長さ23センチ重さ約500グラムの標識灯3個が長さ約10メートルのロープで結び付けられて漁網上に置かれていた。
予め決められた各標識灯の投下担当者は、投網開始後、イワ置場で繰り出される漁網を見ていて、各標識灯を取り付けたところまで網が出ると、同灯を弧状に展開される網の外側に向かって左舷側の海中に投下することとなっていたが、イワ置場には沈子綱のほか同綱に数メートル間隔で取り付けられた環ロープがあり、これらのロープは漁網とともに船尾から繰り出され、第1、第2標識灯の投下担当者は、走出する漁網から十分離れたイワ置場の安全なところで投下していたが、第3標識灯は網が残り少なくなった時機に投下されることから、イワ置場の上に立っていると走出する沈子綱などに足をすくわれる危険があった。
A受審人は、操業中標識灯投下が他の作業とくらべて技術的に難しい作業ではないものの、前示のような危険があり、平素標識灯を投下する担当者が前示ロープに足をすくわれないよう部下に注意を促し、特に第3標識灯を投下する際、投下担当者が少しでも高い位置から投下しようとして甲板上よりも高いイワ置場で投下することがあり、必ず同置場から下りて甲板上から投げるように指示していた。
Y甲板員は、約1年前にF水産有限会社に入社し、その約1月後からA受審人の指導を受けて標識灯投下作業にあたるようになり、第3標識灯を投下する際沈子綱の上に乗らないよう同人のほか同僚からも注意を受け、同作業の危険性を十分知っていた。
出航後、A受審人は、白埼沖を経て島後北東方沖合の操業海域に向かい、翌23日04時30分魚群を探索していた灯船の第一〇七祐生丸から、集魚地点に来て投網するよう連絡を受け、直ちに船員室で仮眠中の乗組員を起こして操業準備にかかり、船橋で操舵にあたって集魚地点に向かった。
A受審人は、部下全員に作業用救命衣を着用させ、甲板照明灯を全て点灯すると集魚に支障があることから、100ワットの傘付き照明灯9個を点灯して投網作業に十分な明るさを確保し、ウインチ操作や標識灯投下など投網中の諸作業については平素乗組員に十分周知していたので、自らは船橋で操船にあたりながら投網作業全体の指揮をとり、05時30分白島埼灯台から090度(真方位、以下同じ。)6.25海里の水深130メートルばかりの地点で投網を開始し、機関を回転数毎分約1,250の前進にかけて右舵10度をとり、灯船を右舷側に見ながら直径約200メートルの円弧状に約7.5ノットの速力で旋回した。
投網開始後、各標識灯投下担当者は、右舷側のイワ置場で走出する漁網を見ながら投下時機を待ち、第1標識灯及び第2標識灯が投下されたあとそれぞれの投下担当者がイワ置場から離れ、第3標識灯を持ったY甲板員が走出する漁具から十分離れないで、イワ置場前部の沈子綱などの上に立っていたところ、05時35分白島埼灯台から090度6.25海里の地点において、祐生丸は約7.5ノットの速力で右に旋回しながら投網中、Y甲板員が、走出する沈子綱などに足をすくわれて転倒し、間もなく漁網とともに船尾から海中に転落した。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、海面は穏やかで、船体の動揺はほとんどなかった。
A受審人は、船橋で漁網の位置に注意しながら操舵にあたっていたとき、甲板上の部下からY甲板員が海中に落下した旨の報告を受け、直ちに機関の回転を少し下げて右舷船尾方を見たものの、何も認められず、行きあしを止めて投網を中止すればプロペラに漁網が絡んで操船不能に陥るおそれがあったので、急いで投網を終えて揚網作業にかかることとし再び機関の回転を上げて投網を続けた。
A受審人は、付近の僚船にY甲板員が海中に転落したことを連絡して応援を求めるとともに、全ての甲板照明灯を点灯して部下に見張りを命じ、自らも付近の海面を見張って同甲板員の発見に努めながら投網を終えたあと、同時55分揚網作業を開始し、06時20分漁網が約4分の3揚がったとき、網に絡まった同甲板員を発見して救助し、直ちに同人を第一〇七祐生丸に乗せて西郷港に向かわせ、病院に搬送した。
その結果、Y甲板員(昭和32年5月4日生)が、溺水により死亡した。
(原因)
本件乗組員死亡は、夜間、隠岐諸島の島後東方沖合において、まき網の投網作業中、漁網付属の標識灯投下時の作業場所が不適切で、標識灯投下担当者が、走出する漁具に足をとられて転倒し、漁網とともに海中に転落したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。