(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年5月11日23時24分及び同時25分
関門海峡早鞆瀬戸
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船マイ クィーン |
総トン数 |
2,498.00トン |
全長 |
84.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,618キロワット |
船種船名 |
油送船サンホ フリーダム |
総トン数 |
1,877トン |
全長 |
86.950メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,960キロワット |
船種船名 |
油送船第十二宝勢丸 |
総トン数 |
499トン |
全長 |
61.837メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
3 事実の経過
マイ クィーン(以下「マ号」という。)は、主に極東各国間の貨物輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、中華人民共和国の国籍を有する船長Zほか14人が乗り組み、鉱石粉2,700トンを積載し、船首5.30メール船尾6.10メートルの喫水をもって、平成13年5月9日12時30分(現地時間)同国寧波(にんぽー)を発し、関門海峡を経由して大阪港へ向かった。
翌々11日21時25分(日本標準時、以下同じ。)Z船長は、六連島北西方沖合で昇橋し、三等航海士を操船補佐に、甲板手を手動操舵にそれぞれ配して関門海峡通峡の操船指揮を執り、23時10分ごろ同海峡の大瀬戸を航過して白木埼沖に達したとき、西流による逆潮の影響を避けるため、一旦(いったん)、関門航路(以下「航路」という。)の外に出て、その境界線から200メートルばかり門司側に寄り、機関をスタンバイとして東行した。
23時19分Z船長は、門司第2船だまり防波堤南灯台から305度(真方位、以下同じ。)330メートルの地点に至ったとき、早鞆瀬戸が間近となったことから、再び航路に入ろうとして針路を018度に定め、機関を半速力前進にかけ、逆潮に抗して6.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、法定灯火を表示して手動操舵により進行した。
定針したとき、Z船長は、左舷船尾43度825メートルのところに、航路をこれに沿って東行中のサンホ フリーダム(以下「サ号」という。)が表示する白、白、緑の3灯を視認し、そのまま入航すると衝突のおそれがある態勢となる状況であったが、サ号の進路を避けることなく入航し、その後、同船の動静監視を十分に行わないまま、航路をこれに沿って先航していた自船より遅い東行船を注視しながら続航した。
やがて、Z船長は、早鞆瀬戸の最狭部に差し掛かり、23時22分門司埼灯台から241度200メートルの地点に達したとき、針路を030度に転じたところ、西流の影響を強く受ける状況となったので、機関を全速力前進にかけ、強い逆潮に抗して4.5ノットの速力で、引き続き、前路の東行船を注視しながら、サ号の動静監視を十分に行わないまま進行中、同時24分少し前左舷正横至近に迫ったサ号を認めて衝突の危険を感じ、汽笛により短音5回を吹鳴し、右舵一杯としたが、及ばず、23時24分門司埼灯台から342度130メートルの地点において、マ号は、船首が040度を向いたとき、原速力で、その左舷船首部が、サ号の右舷船首部に後方から20度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力1の北西風が吹き、視界は良好で、早鞆瀬戸の最狭部には約7.0ノットの西流があった。
衝突後、マ号は、そのまま右転を続け、船首が釜床ノ瀬灯浮標を向いたとき、再び、サ号の右舷後部がマ号の左舷後部に衝突した。
また、サ号は、主に日本及び大韓民国両国間の石油製品輸送に従事する船尾船橋型油送船で、大韓民国の国籍を有する船長Gほか13人が乗り組み、空倉で、船首1.00メートル船尾4.60ートルの喫水をもって、同月11日14時00分同国釜山港を発し、関門海峡を経由して名古屋港へ向かった。
20時00分G船長は、響灘を南下中に昇橋し、藍島南端と片島北端を結んだ藍島南ライン(関門海峡海上交通センターが定めた位置通報ライン)を通過して関門第2航路に入り、二等航海士を操船補佐に、機関長を機関操縦ハンドル操作に、甲板手を手動操舵にそれぞれ配して関門海峡通峡の操船指揮に当たった。
23時15分少し前G船長は、下関岬ノ町防波堤灯台から115度980メートルの地点に至ったとき、針路を040度に定め、機関を全速力前進にかけ、西流による逆潮に抗して10.0ノットの速力で、法定灯火を表示して手動操舵により進行した。
23時19分G船長は、門司第2船だまり防波堤南灯台から257度1,000メートルの地点に達したとき、右舷船首21度825メートルのところに、マ号が表示する船尾灯の白灯1灯を認めたが、航路をこれに沿って先航していた自船より遅い東行船の動きに気をとられ、航路外のマ号の動静監視を十分に行わずに続航した。
こうして、G船長は、その後、マ号が航路に入航して自船に接近し、衝突のおそれがある態勢となったが、依然として、同船の動静監視を十分に行わなかったので、このことに気付かず、警告信号を行うことなく進行中、23時24分少し前門司埼灯台が右舷正横に並んだとき、針路を060度に転じたところ、同時24分わずか前右舷正横至近に迫ったマ号を認めたが、為す術なく、サ号は、原針路、早鞆瀬戸最狭部の強い逆潮に抗した約7.0ノットの速力で、前示のとおり衝突した。
衝突後、サ号は、右舷からの衝撃による反動と強い逆潮により、急激に船首を左舷側に振られて西行中の宝勢丸の前路に進出し、23時25分門司埼灯台から351度400メートルの地点において、350度に向首したとき、ほぼ同じ速力で、その船首が、宝勢丸の左舷船尾部に前方から70度の角度で衝突した。
更に、第十二宝勢丸(以下「宝勢丸」という。)は、主に京浜、名古屋及び九州方面における石油製品輸送に従事する船尾船橋型油送船で、A受審人ほか5人が乗り組み、石油製品440キロリットルを積載し、船首2.50メートル船尾4.05メートルの喫水をもって、同月10日11時00分名古屋港を発し、関門海峡を経由して博多港へ向かった。
翌11日20時00分A受審人は、周防灘姫島沖で昇橋して前直の一等航海士と船橋当直を交替し、23時00分部埼沖合に達したとき、機関長を機関操縦ハンドル操作兼見張りに配し、自身が操舵を行って関門海峡通峡の操船に当たった。
A受審人は、太刀浦沖の中央水道を全速力前進で航行中、前路を自船より遅い西行船が先航していたので、同船に後続することとして速力を半速力前進、微速力前進と逓減し、23時17分半門司埼灯台から050.5度2,300メートルの地点に達したとき、針路を240度に定め、機関を極微速力前進とし、西流による順流に乗じて10.0ノットの速力で、法定灯火を表示して手動操舵により進行した。
23時19分少し過ぎA受審人は、前示西行船に接近する状況となったことから、一旦、機関を停止したところ、同船より遅い約8.5ノットの速力となり、その間隔が開き出したので、同時23分半再び機関を極微速力前進にかけ、約10.0ノットの速力で、航路をこれに沿ってその右側端を続航した。
こうして、A受審人は、航路の右側端に寄って進行中、23時24分少し前短音5回の汽笛音を聞き、左舷前方を見たところ、左舷灯を表示して東行していたサ号が、突然、左転して右舷灯を表示する態勢となり、自船の前路に進出してきたのを認めて衝突の危険を感じ、同時24分少し過ぎ船橋前部に設置された作業灯を点滅して注意を喚起するとともに、右転すれば下関側陸岸へ乗り揚げる状況であったばかりか、サ号までの距離が、機関を後進にかけても衝突を避けられない至近であったことから、同船の前方を替わそうとして、急いで機関を微速力前進としたが、効なく、宝勢丸は、原針路、原速力で、サ号と前示のとおり衝突した。
衝突の結果、マ号は、左舷船首部の荷役設備並びに同船尾部の舷縁及び舷梯を損壊、サ号は、右舷船首部及び船尾部外板、球状船首並びにファッションプレートを凹損、宝勢丸は、左舷船尾部外板に亀裂を伴う凹損並びに左舷側ブリッジデッキ、コンパスデッキ及び燃料油サービスタンクを損傷するに至ったが、のちいずれも修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、関門海峡において、航路外から航路に入るマ号が、航路をこれに沿って東行するサ号の進路を避けなかったことによって発生したが、サ号が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、マ号との衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものであり、更に、サ号が、マ号と衝突したのち、航路をこれに沿って西行する宝勢丸の前路に進出したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。