(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年1月16日07時28分
大阪湾
2 船舶の要目
船種船名 |
押船第二勝栄丸 |
起重機船第105築功丸 |
総トン数 |
19.82トン |
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全長 |
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37.0メートル |
登録長 |
11.96メートル |
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幅 |
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14.0メートル |
深さ |
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3.0メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
441キロワット |
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船種船名 |
貨物船サンエメラルド |
総トン数 |
4,954.00トン |
全長 |
114.12メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
3,321キロワット |
3 事実の経過
第二勝栄丸(以下「勝栄丸」という。)は、鋼製引船兼交通船で、A受審人が1人で乗り組み、船首0.8メートル船尾2.7メートルの喫水をもって、その船首部に、B指定海難関係人ほか4人が乗り組み、船首尾1.3メートルの等喫水となった、非自航の起重機船第105築功丸(以下「築功丸」という。)の船尾部を結合し、全長約49メートルの押船列(以下「勝栄丸押船列」という。)とし、平成14年1月16日06時30分大阪府阪南港を発し、関西国際空港北西方の埋立工事区域に向かった。
ところで、勝栄丸押船列の結合方法は、直径80ミリメートル(以下「ミリ」という。)で長さ10メートルの各繊維索を勝栄丸の両舷後部に係止し、他端に長さ2メートルの鎖をつないだものに、築功丸の右舷船尾部に設置されたウインチから導いた直径14ミリのワイヤロープ2本をそれぞれシャックルで接続し、ウインチを巻いて張り合わせたものであった。
その操船は、築功丸船尾部の甲板室4階にある、コンパスやレーダーが設備されている操舵室に、勝栄丸の操舵と機関操作が行える遠隔操縦装置のケーブルを引き込んで、専ら同室で行われており、A受審人の食事交替には、B指定海難関係人が当たることとなっていた。
A受審人は、霧模様で視界が制限されていることを知り、勝栄丸に所定の航海灯を掲げないまま、築功丸に動力船の灯火を表示し、同船の操舵室で1人で操船に当たり、低速力で港口に向かっていたところ、いつものようにB指定海難関係人が食事交替のため昇橋したが、風が吹けば視界が回復するので、任せておいても大丈夫と思い、引き続き自ら操船することなく、07時00分阪南港北防波堤灯台(以下「北防波堤灯台」という。)の南東方300メートルのところで、同人に船橋当直を任せ、降橋して食堂に赴いた。
B指定海難関係人は、霧模様の視界制限状態で操船した経験がなく、A受審人から操船の可否を問われたが、同人に操船を求めず、1人で船橋当直に就いて北防波堤灯台をつけ回し、07時02分同灯台から000度(真方位、以下同じ。)50メートルの地点において、針路を260度に定め、機関を全速力前進にかけ7.5ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、手動操舵により進行した。
07時10分B指定海難関係人は、6海里レンジとしたレーダーで、右舷船首2度4.5海里のところに、東行中のサン エメラルド(以下「サ号」という。)の映像を探知したが、レーダーによる動静監視を行えず、同時15分霧のため視界制限状態となり、視程が200メートルに狭められたことを認めたものの、霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもできないまま、レーダーで進行方向を確認し、目視による見張りを頼りに続航した。
07時23分B指定海難関係人は、関空泉州港海上アクセス基地西防波堤灯台(以下「西防波堤灯台」という。)から046度2.0海里の地点に達したとき、サ号が右舷船首9度1.1海里に近づき、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、依然レーダーによる動静監視を行っていなかったので、これに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを停止することもできないまま進行した。
07時28分少し前B指定海難関係人は、右舷前方至近にサ号の船体を初めて視認し、衝突の危険を感じて左舵一杯とし、機関を中立としたが、07時28分西防波堤灯台から032度1.5海里の地点において、勝栄丸押船列は、235度に向首したとき、ほぼ原速力のまま、築功丸の右舷船首部に、サ号の船首部が、前方から45度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の中央期にあたり、視程は200メートルで、瀬戸内海海域には海上濃霧警報が発表されており、日出は07時04分であった。
A受審人は、機関音の変化を認めて食堂の外に出たところ、衝突の衝撃を感じ、事後の措置に当たった。
また、サ号は、船尾船橋型鋼製ケミカルタンカーで、船長Cほか17人が乗り組み、食用油など3,600トンを積載し、船首6.1メートル船尾7.0メートルの喫水をもって、同月14日13時30分(船内時)大韓民国ウルサン港を発し、関門海峡経由で阪南港に向かった。
越えて同月16日05時20分C船長は、友ケ島水道南方で昇橋して操船指揮に当たり、所定の航海灯を表示し、一等航海士と三等航海士とを補佐に就け、操舵手を手動操舵に当たらせて同水道を通航し、06時01分友ケ島灯台から012度4.5海里の地点において、針路を057度に定め、機関を10.7ノットの航海速力にかけ、07時30分泉佐野航路第1号及び第2号灯浮標の西方2海里の地点で、水先人乗船予定として進行した。
07時15分C船長は、西防波堤灯台から335度1.7海里の地点に達し、針路を水先人乗船地点に向く100度に転じたとき、霧のため視界制限状態となり、視程が200メートルに狭められたことを認め、機関用意を命じて8.0ノットの港内全速力に減速し、反航船に対し手動で霧中信号を行いながら続航した。
07時20分C船長は、6.0ノットの半速力としたころ、水先人からタグボートに乗って接近中との連絡を受け、同時23分西防波堤灯台から013度1.4海里の地点に達したとき、1.5海里レンジとしたレーダーで、左舷船首11度1.1海里のところに、西行中の勝栄丸押船列の映像を初めて探知し、その後同押船列と著しく接近することを避けることができない状況となったものの、接近中のタグボートと判断し、霧中信号を止め、機関を微速力に続いて停止し、探知した映像がタグボートかどうか判断できない状況で、やがて勝栄丸押船列と著しく接近したが、速やかに行きあしを停止することなく、機関を後進にかけて惰力を減じながら進行した。
C船長は、接近中の船舶を無線電話で呼び出しても応答がなく、不審に思って左舷前方を見ていたところ、07時28分少し前同方至近に築功丸のクレーンを初めて視認し、衝突の危険を感じて右舵一杯とし、機関を全速力後進にかけたが、サ号は、ほぼ原針路のまま、3.0ノットの速力となったとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、築功丸は、右舷船首部外板に破口を生じて浸水したが、のち修理され、サ号は、船首部外板に亀裂を伴う凹損を生じた。
サ号は、07時30分水先人を乗船させ、08時35分阪南港に入港した。
(原因)
本件衝突は、霧のため視界制限状態の大阪湾において、西行中の勝栄丸押船列が、霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもしなかったばかりか、レーダーによる動静監視が不十分で、東行中のサ号と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを停止しなかったことによって発生したが、サ号が、勝栄丸押船列と著しく接近した際、速やかに行きあしを停止しなかったことも一因をなすものである。
勝栄丸押船列の運航が適切でなかったのは、霧模様で視界が制限された状況で、船長が、引き続き自ら操船しなかったことと、無資格の船橋当直者が、船長に操船を求めなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は、霧模様で視界が制限された大阪湾を西行する場合、引き続き自ら操船すべき注意義務があった。しかるに、同人は、風が吹けば視界が回復するので、任せておいても大丈夫と思い、引き続き自ら操船しなかった職務上の過失により、無資格の船橋当直者による運航が不適切になってサ号との衝突を招き、築功丸の右舷船首部外板に破口を生じて浸水させ、サ号の船首部外板に亀裂を伴う凹損を生じさせるに至った。
B指定海難関係人が、霧模様で視界が制限された大阪湾を西行するにあたり、船長から操船の可否を問われた際、同人に操船を求めなかったことは、本件発生の原因となる。