(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年6月27日04時08分
伊豆大島北方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船第五岐山丸 |
油送船大永丸 |
総トン数 |
3,794.60トン |
265トン |
全長 |
112.28メートル |
47.70メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
2,647キロワット |
735キロワット |
3 事実の経過
第五岐山丸(以下「岐山丸」という。)は、主として兵庫県赤穂港から東京湾内諸港へのセメント輸送に従事する船尾船橋型の鋼製貨物船で、A、B両受審人ほか10人が乗り組み、空倉のまま、船首1.98メートル船尾4.68メートルの喫水をもって、平成13年6月27日00時40分京浜港横浜区を発し、赤穂港に向かった。
A受審人は、船橋当直体制を4時間3直2人制とし、08時から12時まで及び20時から24時までを有資格の甲板長に、00時から04時まで及び12時から16時までを一等航海士に、04時から08時まで及び16時から20時までをB受審人にそれぞれ甲板手1人とともに受け持たせ、自らが08時から12時までの同当直、出入港時、狭水道通航時、視界制限時及び船舶輻輳海域通航時に昇橋して指揮を執っていた。
ところで、A受審人は、平素、船橋当直者に対し、狭水道の手前3海里に近づいたとき、視程が1海里となったとき及び漁船が多数存在するときにはそれぞれ報告させることのほか、必要な指示事項を口頭あるいはメモ用紙に記載して次直者にも引き継ぐように指示していた。また、視界制限状態となることが予想されるときには、天気図用紙の裏側に同状態についての報告などの指示を記載して海図台上に置き、これに従って船橋当直者からの報告を受ければ昇橋し、視界が良くなるまで自ら操船指揮を執るようにしており、これまでにこのようなことが何回もあった。
こうして、発航後A受審人は、航行中の動力船の灯火を表示し、出港操船に引き続いて浦賀水道航路を出航するまで船橋当直に就いたのち、02時10分同当直を一等航海士に引き継ぐ際、視程が約5海里であったものの、遠方が白っぽく見えたことから、視界制限状態になるかもしれないと感じ、いつものように天気図用紙の裏側に同状態についての報告などの指示を記載して海図台上に置くとともに、同報告について次直者にも引き継ぐよう、繰り返し指示して降橋した。
B受審人は、03時50分船橋当直交代のため昇橋し、折から視程約100メートルの霧模様で視界制限状態のもと、針路235度で航行中、同時55分伊豆大島灯台から018.5度(真方位、以下同じ。)9.9海里の地点で、6海里レンジとしたレーダーにより、左舷船首2度5.1海里に大永丸の映像を初めて探知した。
04時00分B受審人は、伊豆大島灯台から014度9.1海里の地点に達し、一等航海士から船橋当直を引き継いだとき、大永丸の映像を左舷船首1度3.1海里に探知し、このまま進行すると同船と著しく接近することになる状況であったが、同映像が左舷側に見えていたことから、左舷を対して無難に航過するものと思い、レーダー画面を見てはいたものの、同船に対するレーダープロッティング等による系統的な動静監視を十分に行っていなかったので、このことに気づかず、大角度の右転をするなどしてこの事態を避けるための動作を適切にとらないまま、引き続き針路を235度に定め、霧中信号を行うことも、安全な速力にすることもなく、甲板手を左舷側ウイングで肉眼による見張りに当たらせ、機関を全速力前進にかけ、13.6ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、自動操舵により進行した。
B受審人は、平素から視界制限状態になればその状況を報告するようA受審人から指示されており、かつ、船橋当直引継時に一等航海士から、少し前から視界制限状態になったのでA受審人に報告するように言われたが、レーダーで前路に探知されている他船の映像が1隻だけであることや、同受審人が入港中の荷役作業等に引き続き、出港操船から浦賀水道航路出航まで操船指揮を執っていたので疲労しているものと気を遣い、同受審人に視界制限状態についての報告をしなかった。
04時03分B受審人は、伊豆大島灯台から011.5度8.6海里の地点に差し掛かったとき、大永丸が右舷船首1度2海里に接近し、同船と著しく接近することを避けることができないと判断し得る状況となったが、依然、レーダーによる動静監視が不十分で、このことに気づかず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて停止することもなく、このとき降橋前の一等航海士が、同船との航過距離を少し離すつもりで5度右転し、240度とした針路で続航した。
04時04分半B受審人は、伊豆大島灯台から010度8.3海里の地点に達したとき、大永丸を左舷船首3度1.3海里に探知したが、念のため航過距離を離すつもりで5度右転し、245度の針路として同じ速力で進行した。
04時06分B受審人は、伊豆大島灯台から008度8.1海里の地点に差し掛かり、大永丸が左舷船首6度0.8海里に接近したとき、神子元島に向ける転針予定地点を確認するため、カーテンで仕切られた海図台区画に入る前に更に右転しておくこととし、針路を252度に転じて続航した。
04時08分少し前B受審人は、日出前の薄明時であったが依然周囲が夜間と同様の暗さのもと、もう大永丸が左舷側に替わったものと思って海図台区画から出たのち、レーダー画面を見ずに船橋前面中央に移動して前方を見ていたところ、左舷船首方間近に同船の前後部両マスト灯を一線に初めて認め、衝突の危険を感じ、急いで甲板手に右舵一杯を令したが間に合わず、04時08分伊豆大島灯台から005度8.0海里の地点において、岐山丸は、原針路、原速力のまま、その左舷船首部に、大永丸の船首が前方から25度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の初期にあたり、視程は約100メートルで、日出時刻が04時31分であった。
A受審人は、視界制限状態についての報告を受けられずに、衝撃を感じないまま自室で休息中、甲板手から衝突の報告を受け、急いで昇橋して事後の措置に当たった。
また、大永丸は、主として四日市港から京浜港への潤滑油輸送に従事する船尾船橋型の鋼製油送船で、C、D両受審人ほか3人が乗り組み、潤滑油550キロリットルを積載し、船首2.50メートル船尾4.00メートルの喫水をもって、同月26日13時30分四日市港を発し、京浜港川崎区に向かった。
C受審人は、船橋当直体制を、同受審人、有資格の甲板長及びD受審人の順に単独の4時間輪番制とし、入港直前の当直者の次の順番の人から出港時刻を起点として船橋当直を受け持たせ、自らは出入港時にも昇橋して指揮を執っていた。
ところで、C受審人は、船舶所有者が作成した当直心得を船橋前面に貼り付けるとともに、平素、船橋当直者に対し、狭水道に近づいたとき、視界制限状態になったとき、荒天で予定針路を航行しにくくなったとき及び船舶輻輳海域を通航するときには、それぞれ報告することなど必要な指示事項を次直者にも申し送るよう自らの当直引継時に口頭で指示しており、これまでに漁船が多数存在するときや、視程が1海里以下となったときに船橋当直者から報告を受けて昇橋し、自ら操船指揮を執ることが何回もあった。
D受審人は、翌27日02時00分爪木埼灯台沖合で船橋当直に就き、03時55分伊豆大島灯台から351.5度6.4海里の地点に差し掛かったとき、折から視程約100メートルの霧模様で視界制限状態となったものの、少し前にも視程が0.5海里になったが間もなく回復したことから、すぐに回復するものと思い、C受審人に視界制限状態についての報告をしないまま、針路を049度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.2ノットの速力で、航行中の動力船の灯火を表示し、自動操舵により進行した。
定針時にD受審人は、6海里レンジとしたレーダーにより、右舷船首4度5.1海里に岐山丸の映像を初めて探知したが、霧中信号を行うことも、安全な速力にすることもなく、引き続きレーダーにより同船の動静監視を行いながら続航した。
04時00分D受審人は、伊豆大島灯台から357.5度6.9海里の地点に達したとき、岐山丸を右舷船首5度3.1海里に探知し、このまま進行すると同船と著しく接近することになる状況であると判断したが、同船の映像をずっと右舷船首方に探知していたので、左転すれば同船との右舷側の航過距離を離すことができるものと思い、大角度の右転をするなどしてこの事態を避けるための動作をとらなかったばかりか、針路を左に転じ、043度の針路として同じ速力で続航した。
04時03分D受審人は、伊豆大島灯台から000.5度7.3海里の地点に差し掛かったとき、岐山丸が右舷船首13度2海里に接近し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、左転したのでそのうち航過距離が大きくなるから、同船と著しく接近することを避けることができない状況にはならないものと思い、引き続き同船に対するレーダープロッティング等による系統的な動静監視を十分に行わなかったので、このことに気づかず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて停止することもなく、このとき視界制限状態になったことを知って昇橋してきた機関長に、右舷側を替わる行き会い船がいる旨を伝え、同じ針路、速力で進行した。
04時08分少し前D受審人は、ふとレーダー画面を見て、岐山丸の映像が同画面中心の海面反射の中に入って見えなくなったことに気づき、右舷前方を見ていたところ、右舷船首方間近に岐山丸の船体を初めて認め、ほぼ同時に右舷側ウイングに出て見張りに当たっていた機関長が、危ないと叫びながら船橋内に駆け込んできたので、慌てて手動操舵に切り替えて右舵一杯としたが及ばず、大永丸は、船首が047度を向いたとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
C受審人は、視界制限状態となったことの報告を受けられずに自室で書類を整理中、機関音が急変した直後に衝撃を受けて床に投げ出され、急いで昇橋したところ、岐山丸と衝突したことを知り、事後の措置に当たった。
衝突の結果、岐山丸は左舷船首外板に破口を伴う凹損を生じ、大永丸は船首部を圧壊したほか左舷後部ハンドレールに曲損を生じたが、のちそれぞれ修理された。
(原因)
本件衝突は、日出前の薄明時、岐山丸、大永丸両船が、霧のため視界制限状態となった伊豆大島北方沖合を航行中、北上する大永丸が、霧中信号を行うことも、安全な速力に減ずることもせず、前路に探知した岐山丸と著しく接近する事態となった際、この事態を避けるための動作として、針路を左に転じたばかりか、レーダーによる動静監視が不十分で、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて停止しなかったことによって発生したが、南下する岐山丸が、霧中信号を行うことも、安全な速力に減ずることもせず、前路に探知した大永丸と著しく接近する事態となった際、この事態を避けるための動作を適切にとらなかったばかりか、レーダーによる動静監視が不十分で、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて停止しなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
D受審人は、日出前の薄明時、霧のため視界制限状態となった伊豆大島北方沖合を北上中、レーダーにより前路に岐山丸を探知した場合、同船と著しく接近することを避けることができない状況となるかどうかを判断できるよう、同船に対するレーダープロッティング等による系統的な動静監視を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同受審人は、右舷船首方に探知した岐山丸と著しく接近することになる状況であると判断した際、大角度の右転をするなどしてこの事態を避けるための動作を適切にとらずに、針路を左に転じ、左転したのでそのうち航過距離が大きくなるから、同船と著しく接近することを避けることができない状況にはならないものと思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同船と著しく接近することを避けることができない状況になったことに気づかず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて停止することもなく進行して岐山丸との衝突を招き、大永丸の船首部に圧壊及び左舷後部ハンドレールに曲損を、並びに岐山丸の左舷船首外板に破口を伴う凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のD受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、日出前の薄明時、霧のため視界制限状態となった伊豆大島北方沖合を南下中、レーダーにより前路に大永丸を探知した場合、同船と著しく接近することを避けることができない状況となるかどうかを判断できるよう、同船に対するレーダープロッティング等による系統的な動静監視を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同受審人は、大永丸の映像が左舷側に見えていたので、念のためと考えて針路を小角度ずつ右に転じ、大角度の右転をするなど大永丸と著しく接近することを避けるための動作を適切にとらず、右転したので左舷を対して無難に航過するものと思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同船と著しく接近することを避けることができない状況になったことに気づかず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて停止することなく進行して大永丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
C受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。