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平成13年第二審第19号
件名

貨物船第三日昌丸旅客船第十一おおしま衝突事件〔原審広島〕

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年5月14日

審判庁区分
高等海難審判庁(森田秀彦、宮田義憲、根岸秀幸、吉澤和彦、山田豊三郎)

理事官
上野延之

受審人
A 職名:第三日昌丸船長 海技免状:二級海技士(航海)
B 職名:第三日昌丸二等航海士 海技免状:四級海技士(航海)

損害
日昌丸・・・船首部を圧壊
おおしま・・・右舷中央部に大破口等

原因
日昌丸・・・居眠り運航防止措置不十分

二審請求者
理事官道前洋志

主文

 本件衝突は、第三日昌丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、停泊中の第十一おおしまに向け進行したことによって発生したものである。
 受審人Aの二級海技士(航海)の業務を2箇月停止する。
 受審人Bを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年9月4日02時45分
 来島海峡東水道

2 船舶の要目
船種船名 貨物船第三日昌丸 旅客船第十一おおしま
総トン数 4,341.79トン 676トン
全長 96.10メートル 58.45メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 2,868キロワット 1,618キロワット

3 事実の経過
 第三日昌丸(以下「日昌丸」という。)は、船尾船橋型の砂利運搬船で、A及びB両受審人ほか7人が乗り組み、海砂を、満載喫水線を21センチメートル超えて5,290立方メートル積載し、船首7.58メートル中央8.21メートル船尾8.76メートルの喫水をもって、平成11年9月2日20時10分熊本県天草郡松島町沖合を発し、香川県小豆島福田湾に向かった。
 A受審人は、船橋当直を、00時から04時までを二等航海士、04時から08時までを一等航海士及び08時から12時までを自らとする、4時間3直の輪番制とし、関門海峡等の狭水道通航時には昇橋して操船指揮に当たることにしており、同年8月から主として松島町沖合と小豆島間を往復する入れ出しの航海を続けていたものの、1日当たり延べ12時間ないし14時間の休息をとることができるようになっていた。
 発航後、A受審人は、関門海峡を経由して瀬戸内海に入り、翌々4日01時ごろ愛媛県波妻ノ鼻西方沖合で昇橋し、B受審人を手動操舵に就かせて来島海峡航路(以下「航路」という。)通航の指揮に当たり、02時10分桴磯灯標から323度(真方位、以下同じ。)1.4海里の地点で航路に入航した。
 その後A受審人は、航路に沿って航行し、02時17分桴磯灯標から018度1.3海里の地点に達したとき、針路をヒナイ鼻導灯(後灯)(以下「導灯」という。)に向首する122度に定め、機関を9.4ノットの全速力前進にかけ、折からの南流に乗じて10.6ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
 A受審人は、船橋内を移動したりウイングに出たりして操船指揮に当たり、02時27分ごろ後続する2隻に相次いで追い抜かれ、その後同航船を見かけなくなったので、船橋左舷側の前壁に身体をもたせ掛け、窓枠に頬杖を突いた姿勢で前路の見張りを行っていたところ、眠気を催すようになったが、窓から離れ室内を移動して眠気を払拭するなど、居眠り運航を防止する措置をとらないで続航するうち、いつしか居眠りに陥り、同時36分少し前導灯から302度1.0海里の、中水道に向け転針する予定地点を航過し、まもなく航路外に出たことに気付かなかった。
 02時38分少し前A受審人は、導灯から302度1,200メートルの地点に達したとき、B受審人の針路についての問いかけで、半覚醒状態となったが、右舷前方に認めた東水道に架かる来島海峡第1大橋橋梁灯(C1灯)を、中水道に架かる来島海峡第2大橋橋梁灯(C1灯)と誤認し、よく確かめないまま、来島海峡第1大橋橋梁灯(C1灯)に向首するよう指示し、東水道に進入した。
 一方、B受審人は、転針予定地点に接近してA受審人から操舵号令がなく、同地点を航過後も何らの指示がないので不審に思い、同人に問いかけたところ、指示された針路が、周囲の地形などから中水道に向かうものであるか疑念を抱いたが、上長の指示であることに躊躇(ちゅうちょ)し、針路について疑問があることを進言するなど、船長を適切に補佐することなく、指示された灯火に向け針路を140度に転じ、南流の弱まった東水道を9.8ノットの速力で進行した。
 A受審人は、依然半覚醒状態のまま、中水道を通航しているつもりで来島海峡第1大橋下を航過し、02時42分少し前導灯から223度400メートルの地点に達して臥間鼻に並航したとき、同鼻を中渡島と取り違え、中水道の航路屈曲部に至ったものと思い、航路に沿って左転するため左舵10度を令したが、舵効が良くないことから続いて左舵一杯を令した。
 02時43分少し過ぎA受審人は、船体が原針路から約90度左回頭して050度に向首したとき、B受審人の叫び声で、正船首方に停泊している第十一おおしま(以下「おおしま」という。)の掲げる多数の灯火と船体を認め、直ちに右舵一杯を令し、まもなく左回頭が止まり右回頭が始まったころ、おおしまの至近に迫り機関を全速力後進に操作したが及ばず、日昌丸は、02時45分導灯から100度430メートルの地点において、その船首が070度に向首し、7.8ノットの速力で、おおしまの右舷中央に後方から80度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風はなく、視界は良好で、潮候は上げ潮の末期にあたり、中水道は南流最強の約1時間後で、3.2ノットの潮流があった。
 衝突後、A受審人は、両船の損傷及び付近に停泊する船舶の状況確認など何ら事後措置をとらないで直ぐにその場を離れ、来島海峡を出て東行を続けるうち、部下に促されて今治海上保安部に事故を報告し、同保安部の指示を受けて愛媛県大島の志津見沖合に投錨した。
 また、おおしまは、今治港と大島の吉海町下田水の町営桟橋間を往復する、船首尾に推進器と舵を備えた両頭船型の鋼製定期旅客船で、同月3日21時55分当日の最終運航を終え、翌日の運航に備えて乗組員2人が在船し、同桟橋に左舷付け出船の態勢で船首を150度に向け、停泊灯と多数の通路灯を点灯して停泊していたところ、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、日昌丸は船首部を圧壊し、おおしまは右舷中央部に大破口と車両積載区画の両舷側外板の広範囲にわたる曲損を生じたほか、コンクリート製桟橋にも一部亀裂等を生じ、のちいずれも修理されたが、おおしまの欠航により1箇月半にわたって通勤通学に支障を来たした。

(原因)
 本件衝突は、日昌丸が、夜間、順潮時の来島海峡航路を東行するにあたり、居眠り運航の防止措置が不十分で、東水道に進入し、臥間鼻に並航後、左転して停泊中のおおしまに向け進行したことによって発生したものである。
 日昌丸の運航が適切でなかったのは、船長が、居眠り運航の防止措置をとらなかったことと、当直航海士が、船長から指示された針路に疑念を抱いた際、船長を適切に補佐しなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、順潮時の来島海峡航路を東行するにあたり、船橋窓枠に頬杖を突いて操船指揮中、眠気を催した場合、中水道に向け転針する予定地点に接近していたのであるから、窓から離れ室内を移動して眠気を払拭するなど、居眠り運航を防止する措置をとるべき注意義務があった。しかるに同人は、居眠り運航を防止する措置をとらなかった職務上の過失により、半覚醒状態のまま東水道へ進入し、臥間鼻を航路屈曲部東方の中渡島と取り違えて左転し、桟橋に停泊中のおおしまに向首進行して衝突を招き、自船の船首部の圧壊、おおしまの船体中央部の大破及び桟橋の損傷等を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の二級海技士(航海)の業務を2箇月停止する。
 B受審人は、夜間、船橋当直に就いて順潮時の来島海峡航路を東行するにあたり、中水道に向く予定の転針地点を航過後、船長から指示された針路が同水道に向かうものであるか疑念を抱いた場合、針路について疑問があることを進言するなど、船長を適切に補佐すべき注意義務があった。しかるに同人は、上長の指示であることに躊躇し、船長を適切に補佐しなかった職務上の過失により、東水道を進行しておおしまとの衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成13年5月30日広審言渡
 本件衝突は、第三日昌丸が、見張り不十分で、桟橋に停泊中の第十一おおしまに向けて進行したことによって発生したものである。
 受審人Aの二級海技士(航海)の業務1箇月停止する。


参考図
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