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 海難審判庁裁決録 >  2002年度(平成14年) > 死傷事件一覧 >  事件





平成13年横審第69号
件名

ケミカルタンカーニュー葛城乗組員死傷事件
二審請求者〔指定海難関係人N海運有限会社〕

事件区分
死傷事件
言渡年月日
平成14年3月28日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(吉川 進、半間俊士、花原敏朗)

理事官
寺戸和夫

受審人
A 職名:ニュー葛城機関長 海技免状:五級海技士(機関)(機関限定・旧就業範囲)
指定海難関係人
N海運有限会社 業種名:海運業

損害
船長及び一等航海士が死亡、通信長が肝機能障害等

原因
タンククリーニング設備のポンプの保守管理不十分、作業環境の整備と閉所立入りの指導など安全管理不十分、ポンプ軸シールの仕様を変更しなかったこと。船首ポンプ室の換気装置の不具合を調査して改善しなかったことなど。

主文

 本件乗組員死傷は、液体化学薬品の輸送に従事するケミカルタンカーにおいて、タンククリーニング設備のポンプの保守管理が不十分で、ポンプ軸シールからクロロホルムが漏えいして船首ポンプ室の床一面に広がったこと、並びに作業環境の整備と閉所立入りの指導など、安全管理が不十分で、同室が換気されないまま運航が続けられたこと、及び呼吸具を装着せず、立会者を置かないまま、乗組員が同室に立ち入ったことによって発生したものである。
 ポンプの保守管理が十分でなかったのは、船長がポンプ軸シールを整備する措置をとらなかったことによるものであり、安全管理が十分でなかったのは、一等航海士が、呼吸具、立会者など閉所立入りの準備をしなかったことによるものである。
 船舶所有者が、ポンプ軸シールの仕様を変更しなかったこと、船首ポンプ室の換気装置の不具合を調査して改善しなかったこと、及び同室への立入りにあたって呼吸具、立会者を準備するよう指導しなかったことは本件発生の原因となる。
 指定海難関係人N海運有限会社に対して勧告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年1月24日19時00分
 千葉港

2 船舶の要目
船種船名 ケミカルタンカーニュー葛城
総トン数 498トン
全長 60.66メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 735キロワット
船級 NK
船級符号 NS・MNS

3 事実の経過
(1) 船体構造等
 ア 一般配置
 ニュー葛城は、平成6年2月に株式会社篠崎造船鉄工所が建造した、国内及び大韓民国の各港間において液体化学薬品の輸送に従事する船尾楼付凹甲板型ケミカルタンカーで、上甲板下には、船首側から順に船首タンク、錨鎖庫、雑用清水タンク、船首ポンプ室、スロップタンク、1番から3番までの貨物油タンク及び貨物油ポンプ室が配置され、雑用清水タンクの二重底部と貨物油タンクの外舷側及び二重底部には海水バラストタンクとボイドスペースが交互に配置され、船尾楼甲板下には機関室及び船尾タンクがそれぞれ配置されていた。また、船首楼甲板下には甲板長倉庫及び甲板部倉庫が、船尾楼甲板上には2層の乗組員居住区及び航海船橋がそれぞれ配置されていた。
 イ 貨物油タンク等
 同タンクは、中央に隔壁を有するSUS304製の高さ4メートル幅8.6メートルで、上甲板上高さ0.7メートルの膨張トランクが張り出し、1番が268.221立方メートル、2番が325.467立方メートル及び3番が317.31立方メートルの容量であった。また、底部に貨物油ポンプの吸込管及び熱媒体油による加熱管を、天井から約1.2メートル下のところに貨物油タンクの洗浄機(以下「クリーニングマシン」という。)のノズルをそれぞれ取り付け、膨張トランク上にエアハッチ及びオイルタイトハッチを備えていた。
 雑用清水タンクは、左舷及び右舷を合わせて約54キロリットルの容量で、貨物油タンクの洗浄(以下「タンククリーニング」という。)に用いられる清水を収めるようになっていた。
 スロップタンクは、左舷及び右舷とも約19キロリットルの容量で、タンククリーニングによって生じた洗浄汚水(以下「スロップ」という。)を収めるようになっており、上甲板にオイルタイトハッチを備えていた。
 ウ 貨物及びタンククリーニングに関連するポンプ
 貨物油ポンプは、主機によって駆動されるねじ式ポンプで、貨物油ポンプ室に2基装備され、貨物油タンクからケミカル物質を吸引して上甲板上のカーゴマニホルドを経由して陸に荷揚げするもので、タンククリーニングの際には、タンク底部に生じたスロップをスロップタンクに送るようになっていた。
 タンククリーニングポンプ(以下「クリーニングポンプ」という。)は、油圧モーターによって駆動される毎時60立方メートル、全圧力6.0キログラム重毎平方センチメートルの歯車ポンプで、軸シールには商標名バイトンのフッ素ゴム製のオイルシールが4列ずつ合計16個使用され、雑用清水タンクから吸引した清水をクリーニングマシンに送るようになっていた。
 スロップポンプは、油圧モーターによって駆動される毎時30立方メートル、全圧力7.5キログラム重毎平方センチメートルの歯車ポンプで、軸シールには耐油・耐薬品性メカニカルシールが使用され、吸引配管が両舷のスロップタンク及び船首ポンプ室のビルジだまりに、また、吐出配管が上甲板上の陸揚配管及び船外排出弁に接続されていた。
 エ 貨物区域等の換気装置
 貨物油タンク、貨物油ポンプ室及び船首ポンプ室には、それぞれ独立した給気ファンまたは排気ファンが備えられていた。
 ガスフリーファンは、甲板部倉庫に設置された、風量毎分200立方メートル、静圧200ミリメートル(以下「ミリ」という。)水柱のターボファンで、外気を吸い込み、貨物油タンク上部の船首尾方向に全通するダクトを経てエアハッチ及びオイルタイトハッチから挿入されるフレキシブルホースで貨物油タンク内に空気を送り、貨物油タンクのガスフリーをするようになっていた。
 貨物油ポンプ室の排気ファンは、風量毎分75立方メートル及び20立方メートルのシロッコファンで、同室の空気を吸い込み、排気を膨張トランク上に設置された高さ4メートルの船尾側通風筒から大気に放出していた。
 船首ポンプ室の排気ファンは、甲板部倉庫に設置された、風量毎分30立方メートル静圧40ミリ水柱の交流三相電動機駆動のシロッコファンで、同室の空気を、上甲板を貫通する内径300ミリのエルボダクトと、縦及び横400ミリ高さ510ミリの風箱を通して吸い込み、排気を膨張トランク上に設置された高さ4メートルの船首側通風筒から大気に放出していた。
 オ 船首ポンプ室
 同室は、雑用清水タンクとスロップタンクに囲まれた、内容積が約30立方メートルの閉鎖区画で、クリーニングポンプ及びスロップポンプが設置され、両ポンプが独立して配管及び弁を備えていた。また、同室のポンプを駆動する油圧モーターについては、船首楼の制御盤で発停操作が行うことができたが、ポンプに接続する吸入弁、吐出弁、ビルジ吸入弁、陸揚マニホルドへの吐出弁及び船外排出弁の開閉操作をするには、作業者が同室に降りて行く必要があった。
 また、右舷側の壁に床から約800ミリの高さに吸込口を有する排気ダクトが排気ファンに接続され、室内の空気が前示通風筒を経由して大気に放出されるほか、左舷船尾側天井に自然通風筒が備えられ、作業員の出入りのために上甲板上のハッチコーミングから75度の傾斜で右舷船尾側の床に達する梯子が取り付けられていた。
 同室の運転管理は、船内職制で、甲板部が担当することになっており、主として航海士が弁操作等に立ち入り、責任者として一等航海士が指名されていた。
 (2) 受審人等
 A受審人は、漁船や貨物船に機関士及び機関長として乗り組んだのち、平成9年9月N海運有限会社に入社し、以後ニュー葛城の機関長として乗り組み、機関の運転と整備全般に携わっていたが、貨物油関係では、貨物油ポンプ及び同ポンプ室排気ファンの運転管理を担当していた。
 指定海難関係人N海運有限会社(以下「N海運」という。)は、昭和48年に設立され、数隻のタンカーを運航していたが、その後創業者の弟である船長B(以下「B船長」という。)が航海士あるいは船長として乗船するほか取締役社長となり、平成2年には創業者の息子であるCを取締役とした。会社には、そのほかに4名の事務員が在籍していた。
 C代表者は、平成6年1月にニュー葛城を建造したのを機に、船舶部長として海務関係の責任者を務めるかたわら、休暇で1箇月単位で下船する機関員あるいは操機長の交替者として自らも乗船していた。
 (3) ケミカル貨物と洗浄剤
 ア ケミカルタンカーの型式
 ケミカルタンカーは、国際海事機関の決議による、危険化学品ばら積み運送のための船舶の構造及び設備に関する国際規則(MARPOL IBCコード)では、タイプI、タイプII及びタイプIIIに分類され、それぞれ次のように取扱貨物が限定されている。
 タイプIは、特に重度の毒性危険を有する物質、あるいは水に対して反応が強過ぎて大量の毒性または腐食性のガスまたはエーロゾルを発生する物質、あるいは自然発火温度が摂氏65度以下など引火特性が極めて激しい物質のいずれかの条件に合致するものを取り扱う。
 タイプIIは、軽度ないし中度の毒性物質、あるいは水と反応して毒性または腐食性ガスまたはエーロゾルを発生する物質、あるいは自然発火温度が摂氏200度以下など引火特性が激しい物質のいずれかの条件に合致するものを取り扱う。
 タイプIIIは、最低危険度基準に適合する他のすべてのばら積み液を取り扱う。
 ニュー葛城は、建造当初からタイプII及びタイプIIIの型式で計画され、建造仕様書ではベンゼン、トルエン及びキシレンを主たる積載品目として想定されており、貨物油ポンプのうちの1台については耐油及び耐薬品の仕様となっていた。
 イ ジフェニルメタンジイソシアネート
 ジフェニルメタンジイソシアネート(以下「MDI」という。)は、タイプIIのケミカル船が取り扱うことのできる物質に分類され、ポリウレタンフォームの原材料となる粘稠性の液体で、水と反応して白色個体を生じ、大量の炭酸ガスが発生する性質を有し、配管及びタンクの空気中の水分と反応すると徐々に固形化し、閉塞障害を生じるものであった。したがって、積荷、揚荷及びタンククリーニングのいずれの状況においても水分との接触を避けなければならず、積込前に貨物油タンク及び貨物油配管内部を窒素ガスに置換して空気を排除し、積荷状態から揚荷作業を経て、溶剤によるタンククリーニングを終えるまで、同ガスで覆った状態を保たなければならなかった。
 また、揚荷後のタンククリーニングは、MDIがアセトン、ベンゼンなどの有機溶剤に可溶性であることから、比較的安価に入手できる有機溶剤でタンク内部及び配管を流し落とし、そののち清水洗いをする方法がとられていた。
 ウ クロロホルム
 クロロホルムは、無色透明の塩素系炭化水素で、主として工業用にフロンガス、フッ素樹脂などの原材料となるほか、高い溶解性を有するので、各種の溶剤としても用いられる。
 主な物性値は次のとおりである。
 沸 点 摂氏61.3度
 蒸気密度 4.12(対空気比)
 蒸 気 圧 20キロパスカル(摂氏20度)
 蒸発速度 56(対エーテル百分率) 
 クロロホルムの蒸気には強い麻酔性があり、独特の芳香があるが、吸い込むと短時間のうちに嗅覚が麻痺する特徴がある。また、溶剤として使われたものの再生品が比較的に安価に入手できることから、MDIを揚げた後のタンククリーニングの洗浄剤としても使用されることがある。
 (4) タンククリーニングの配管改造
 ニュー葛城は、建造仕様書において、揚荷後のタンククリーニングについて、クリーニングマシンのノズルから海水または清水を噴出させ、貨物の種類によってはエアハッチ付近からの蒸気吹込みを併用しながら、貨物油タンク側壁及び底部の残存液を流し落とすよう計画されていた。
 ところが、ニュー葛城は、就航後まもなく、MDIを積載し、揚げた後のタンククリーニングにクロロホルムを用いなければならなかったが、クリーニングマシンに洗浄液を送るクリーニングポンプの吸込側配管には雑用清水タンクのみが接続されていたので、クリーニングマシンにクロロホルムが送れないことが分かり、平成6年2月に大韓民国でMDIを積み、国内で揚げた後のタンククリーニングでは、クリーニングポンプとスロップポンプの吐出側にある盲(めくら)フランジを外して臨時接続をするなど困難を来たした。
 そこで、N海運は、同年5月株式会社篠崎造船鉄工所に指示して保証工事の一環として、クリーニングポンプとスロップポンプの吐出側に交通弁を有する配管を取り付けさせた。
 ニュー葛城は、前示交通弁を取り付けたことによって、スロップタンクに積み込んだクロロホルムをスロップポンプで加圧し、同交通弁を通してクリーニングマシンに送り、貨物油タンク側壁のMDIを流し落とすことができるようになったが、スロップポンプの容量がクリーニングポンプの半分であったので、繰り返し回数を増やすなど、時間をかけて洗浄する必要が生じた。
 こうして、MDIを揚げた後のタンククリーニングは、第1回目として荷主代理業者が手配する、約6キロリットルのクロロホルムを右舷スロップタンクに受け入れ、タンククリーニングで生じたスロップを貨物油ポンプで左舷スロップタンクに回収する手順で、3つの貨物油タンクについて順次行い、スロップを陸揚げした後、続けて第2回目として約3キロリットルのクロロホルムを新たに受け入れ、同じ操作を各貨物油タンクについて行い、その後雑用清水タンクの清水で水洗いをし、ガスフリーしたのち、乗組員が貨物油タンクに入って、タンクの隅に残る固形物や残液を回収するようになった。
 N海運は、就航後1年間の運航の経験を踏まえて、クリーニングポンプとスロップポンプの互換的使用を検討し、平成7年1月に西造船株式会社に入渠した際に、両ポンプの吸入側に交通弁を有する配管を取り付けたが、クリーニングポンプのオイルシールを、ポンプメーカーに相談するなどしてクロロホルムの使用に耐えられる適切なものに仕様変更を行うことなく、以後も入渠時の部品供給の際にバイトン製のオイルシールが納入されるままに取り付けられていた。
 また、ニュー葛城は、MDIを揚げた後のタンククリーニングについて、クロロホルムによる第2回の洗浄に続いて水洗いを行うよう荷主代理業者に指導されていたところ、クリーニングポンプの代替でスロップポンプが運転されるときには容量が小さく、時間がかかることもあって、次の積荷の種類によっては水洗いが省略されるなど、作業の簡略化も行われるようになった。
 (5) 船首ポンプ室の換気
 同室は、排気ファンの運転と自然通風筒または出入口ハッチからの新気導入によって常時換気されていたが、就航後、スロップがポンプ軸シールから漏れるうち、ミストを含む空気が同ファンによって吸引され、同ファン吸込部の風箱や排気ダクトに腐食が目立つようになった。
 ニュー葛城は、平成8年1月15日に揮発性のパークロロエチレンを揚げた後のタンククリーニング中、B船長が船首ポンプ室でのミストを吸い込み、中毒症状を呈してしばらく横になって休むことがあり、同月末第一種中間検査のために入渠した際、風箱に破孔が見つかり修理が行われた。その後、乗組員の間には排気ファンが回転しているにもかかわらず、同室の換気が悪いことに気付く者があり、同室内で作業するに当たって臭いが強いときなどには、1番貨物油タンク上のガスフリーダクトから仮設のビニールダクトを引き、ハッチコーミングを通して同室内に突っ込み、新気を送るようになった。
 排気ファンは、前示ミストの影響でその後も腐食が激しく、風箱には再び破孔が生じ、やがて船首尾方向にわたって同ファンのローターが外から見える状態まで開口が広がったが、同開口部には段ボールが置かれたため、目に付かなくなった。
 (6) N海運の安全管理
 N海運は、ニュー葛城の建造に際して、国際安全管理コード(以下「ISMコード」という。)の適用範囲を外れていたが、自主的に認証を取得する、いわゆる任意取得を目指し、船級の取得と同時に準備を開始し、財団法人日本海事協会の審査を受け、平成10年4月に適合認定書を、また、同年8月に船舶安全管理認定書をそれぞれ与えられた。
 ISMコードは、人命の安全、船舶の安全、海洋環境汚染防止及び船舶の運航に関わる責任の所在を明確にするために、国際航海に従事する総トン数500トン以上の船舶を運航する会社と船舶に対して、国際安全管理規則の要件に従った管理を義務付けており、内航船については強制化されていないが、自主的な認証の取得によって、運航管理要員の少ない内航海運の組織に応じて、必要かつ十分な安全管理体制を構築することを目的として、任意取得制度が設けられた。
 N海運は、船員労働安全衛生規則に基づく安全と衛生に関する委員会(以下「安全衛生委員会」という。)を定期的に開かせ、運転、整備、船内生活など運航全体に関する問題点を乗組員から聞く体制を作り、その議事録を会社に提出させていたが、目立った問題点が記述されず、船首ポンプ室の換気不良のことが取り上げられた際も、対策の時期が話し合われたもののB船長に一任することとなり、結局、同船長が船側から報告せず、C代表者にも排気ダクトの不具合を調べるなど改善を依頼しなかった。また、同代表者が、国内での荷役に立ち会ったり、機関員として乗船中、船内の意見を聞いたり、現状を確認することができたが、船首ポンプ室のポンプの運転や換気の状況など、不具合を認識せず、更に、閉所への立入りについて、ISMコード取得で導入されたチェックリストの書式が用意され、換気状況、酸素濃度などの測定、呼吸具の用意、立会者など諸項目を確認するようになっていたが、現場で活用されていないことなど、安全面での状況を把握していなかったので、閉所に立ち入るときにエアラインマスクなどの呼吸具、酸素濃度計及び立会者を準備させるなど指導をしなかった。
 (7) 本件発生に至る経緯
 ニュー葛城は、毎月1ないし2回の頻度でMDIを運ぶようになったが、クリーニングポンプ及びスロップポンプが、洗浄のための清水、海水及びクロロホルムに交互にさらされるようになり、クリーニングポンプについては、オイルシールがバイトン製であったので、クロロホルムに浸かって短期間のうちに弾力性を失い、漏れを生じるとスロップポンプが替わりに運転され、したがって、スロップポンプについては、配管中の水分がクロロホルム中のMDIと反応してメカニカルシールの部分に固形物が蓄積され、シールリングを押さえるばねが次第に固着し、シール機能が低下することとなった。
 N海運は、ニュー葛城を毎年1月に船底洗いまたは検査工事のために入渠させる都度、クリーニングポンプ及びスロップポンプについては、毎回オイルシール及びメカニカルシールを取り替えさせたが、入渠時以外に両シールの予備を供給していなかったので、船内で取り替えることができなかった。
 A受審人は、機関長として乗り組んで以来、船内職制で船首ポンプ室の運転については、一等航海士Kの担当であることから、同室に立ち入って運転状況を見ることがなかった。また、安全衛生委員会でもポンプ軸シールからの頻繁な漏えいの問題が取り上げられず、同室の換気不良について話題になった際に休暇で下船していたものか、また、それらについてK一等航海士から特に相談がなかったので、同室に入室せず、換気不良やポンプ軸シールからの漏えいについて認識していなかった。
 ニュー葛城は、平成12年1月の入渠でオイルシールが取り替えられたクリーニングポンプが、半年後の7月ごろ同シールから漏れ始め、その後運転不能となった際もB船長が取替え修理を指示せず、以後タンククリーニングがスロップポンプ1台で行われることとなった。
 こうして、スロップポンプは、全てのタンククリーニング作業に使用されることになったが、容量が小さいことから時間をかけて洗浄するところ、MDIの運送頻度も変わらなかったので、メカニカルシールのばねに水とMDIの反応で生じる固形物が徐々に蓄積し、シールリングの押さえが悪くなってシール機能が低下し、いつしか同シールから漏れ始めたが、B船長から会社側に同シールの取り替えが依頼されないまま運転が続けられた。
 ニュー葛城は、B船長、K一等航海士、A受審人及び通信長Dほか2人が乗り組み、平成13年1月23日08時30分鹿島港に入港し、MDI1,000トンを揚げ、タンククリーニング用のクロロホルム6キロリットルを積んだのち、船首1.2メートル船尾3.8メートルの喫水をもって同日21時50分同港を出港し、千葉港に向かった。
 K一等航海士は、出港後まもなくスロップポンプを運転してクロロホルムによる第1回目のタンククリーニングを開始したが、弁操作のため船首ポンプ室に出入りするにあたって、同室入口にエアラインマスクなど呼吸具を用意せず、立入り前検査を行わなかった。
 ニュー葛城は、翌24日14時30分千葉港に入港し、左舷スロップタンクのスロップを陸揚げするとともに3キロリットルのクロロホルムを新たに右舷スロップタンクに積み、15時40分ごろ同港の錨泊地に仮泊し、まもなくクロロホルムによる第2回目のタンククリーニングを開始したが、スロップポンプのメカニカルシールからの漏えい量が増え、船首ポンプ室の床面にクロロホルムがたまり始めた。
 K一等航海士は、スロップポンプと貨物油ポンプの切替えを行いながら第2回目の洗浄を各貨物油タンクに順次行い、17時30分ごろクリーニング終了を船長に報告した。
 B船長は、K一等航海士の報告を受けて、貨物油タンクのガスフリーを開始させ、18時ごろ同タンク内の酸素濃度を確認して、乗組員を集めて同タンク内の固形物と残液の回収を指示し、一等機関士及び二等航海士が左右の貨物油タンクに入って汲み上げたものを甲板上の者が引き揚げ、左舷スロップタンクにオイルタイトハッチから投入する作業を行わせ、自らもその作業に加わった。
 一方、K一等航海士は、貨物油タンクからの回収作業に加わらず、スロップポンプの陸揚マニホルドへの吐出弁を操作するため、呼吸具を装着せず、立会者を置かないまま、クロロホルム蒸気が高濃度で充満していた船首ポンプ室に単独で降り、同蒸気を大量に吸い込んでまもなく意識を失い、クリーニングポンプの右舷側にうずくまるように倒れた。
 A受審人及びD通信長は、上甲板上で貨物油タンクからの回収物を左舷スロップタンクに運びながら、船首ポンプ室のハッチ横を通る際に、同室内にK一等航海士がうずくまっていることに気付き、同通信長が居住区に走って同一等航海士の異状を大声でB船長に報告した。
 B船長は、急報を聞いて呼吸具の準備などを指示しないまま、有機溶剤用の簡易吸着マスクを着けて船首ポンプ室に降り立ち、K一等航海士を抱えて梯子下に運び、続いてD通信長が同室内に入った。同船長は、ハッチから降ろされたロープを同一等航海士に巻き付けて上甲板上から引かせ、脇から抱えて梯子を上がり始めたが、下から2人を押し上げていた同通信長が、入室したときから息を止めていたところ、まもなく意識を失って倒れ、19時00分千葉灯標から真方位059度1,680メートルの地点で、引いていたロープが外れ、自らも意識を失って床面に墜落した。
 当時、天候は曇で、風力4の北風が吹いていた。
 A受審人ほかの乗組員は、船長が床面に墜落したので船首ポンプ室内に降りるのは危険と判断し、ガスフリーダクトから仮設のビニールダクトを引いて同室内に外気を送り、同受審人が千葉海上保安部に通報して救助を求めた。
 21時05分海上保安庁特殊救難隊が来援し、船首ポンプ室から3人が救出されたが、B船長(昭和21年5月24日生、四級海技士(航海)免状受有)が収容された病院で、また、K一等航海士(昭和21年6月25日生、四級海技士(航海)免状受有)が搬送中の車内でそれぞれ死亡が確認され、D通信長は、ガス中毒による肝機能障害と下半身に体表面の15%にわたる化学熱傷を負った。
 (8) 事後の措置
 ニュー葛城は、翌々25日千葉港に入港し、船首ポンプ室のクロロホルムが吸引・陸揚げされ、同室の排気ダクトが点検されるうち、盲板が同ダクトの通風経路を塞いでいることが発見され、のち西造船株式会社に入渠し、同ダクトが取り外されたうえで盲板が撤去され、風箱とともに修復された。また、同ファン電動機の始動回路の三相接続が逆になっていることが分かり、正規の接続に戻された。
 N海運は、MDIを揚げた後のタンククリーニングを、荷主代理業者が指導した方法を厳守するよう、また、閉所への立ち入りに際してチェックリストを確実に運用するよう指示した。


(原因の考察)
 本件は、強制換気がされていなかった閉所で、ポンプ軸シールから漏えいしたクロロホルムが床一面にたまり、高濃度の蒸気が充満していたところ、呼吸具を着用しないまま乗組員が立ち入ったことによって発生したものである。
それら要因について考察する。
1 ポンプ軸シールの漏えい
 クリーニングポンプ及びスロップポンプは、いずれも歯車ポンプで、駆動部も含めそれぞれ4箇所の軸貫通部に軸シールが取り付けられていた。クリーニングポンプは、外部歯車の潤滑油に水が入らないようゴム製のオイルシールが4重に、また、スロップポンプは、耐油及び耐薬品仕様で液体が外部に出ないよう、よりシール性に優れるメカニカルシールが装着されていた。
 クリーニングポンプのオイルシールは、回転する軸を抱くゴムの弾力性が重要であるが、ニュー葛城ではクロロホルムをクリーニングマシンに送ったために短時間のうちに弾力性を失っていた。すなわち、クロロホルムでのクリーニングが必要になった時点で、オイルシールはクロロホルムに耐えられるものに仕様変更が必要であった。
 一方、スロップポンプのメカニカルシールは、シールリングを押さえ付けるばねの押付力が重要であるが、MDIと水との反応固形物が甚だしく付着すれば、ばねの動きが制限され、同リングが浮いて漏れ易くなる。しかし、本来のスロップの陸揚げという取扱いに限定し、クロロホルムによるクリーニングが十分に行われれば、反応固形物の付着による不具合のおそれは低かった。
 ニュー葛城は、いずれのポンプも、年1回の入渠時に毎回軸シールの取替えを要し、本件前の6箇月間はクリーニングポンプが運転不能になったまま、容量が半分のスロップポンプでは洗浄が十分でなかったため、固形物の付着が多くなってメカニカルシールのばねが固着状態となり、ついにクロロホルムが大量に漏れるに至った。
 したがって、スロップポンプは、クリーニングポンプがオイルシールの仕様変更で健全に運転されておれば、メカニカルシールの性能低下を来たす使い方は避けられたのである。
 すなわち、N海運が、クリーニングポンプのオイルシールの仕様を変更しなったことは、スロップポンプのメカニカルシールから漏えいする原因となった。
2 船首ポンプ室の換気不良とクロロホルム漏えい時の蒸気の濃度
 クロロホルムは、その蒸気を吸引すると、人体に対して強い麻酔性を有し、濃度約4,000ppmにおいて短時間のうちに嘔吐及び失神状態を引き起こし、14,000ppmを超えると麻酔状態となり、更に高濃度になると死亡に至るもので、作業環境において、クロロホルムを吸引したときの医学的に影響の残らない安全な濃度限界は、10ppmで8時間以内、生命及び健康の即時危険値は1,000ppmとされている。
 閉鎖された区画は、強制換気のない状態で、クロロホルムが液体状で床面全体に広がると、室温が摂氏20度のときのクロロホルムの蒸気圧20キロパスカルから計算すると、一定時間の後、容積比率で約20パーセントすなわち20,000ppmの濃度の蒸気が満ちることになる。クロロホルムは、蒸発速度がエーテルを基準にして56パーセントと極めて高く、また、蒸気密度が空気の4.12倍と重いので、閉鎖区画では短時間のうちに空間のほとんどが飽和蒸気濃度に達し、なかなか拡散しない。もし、強制換気が行われていれば、高い蒸気濃度は、床面付近のごく近傍のみに限定されると考えて良い。
 本件当時、船首ポンプ室は、室内容積の空気を毎時間60回、すなわち毎分1回の割合で入れ換える能力のある専用の排気ファンが備えられていたにもかかわらず、完全に排気ダクトが閉塞され、強制換気のない環境であった。すなわち、クロロホルムが床一面にたまっていた船首ポンプ室には、飽和値に近い濃度の蒸気が充満していたと考えるのが相当である。
 したがって、排気ファンが有効に機能し、換気を行っていれば、クロロホルムの高濃度蒸気が充満することはなかったのであり、排気ダクトが塞がっていなければ本件は発生しなかったことになる。
3 船首ポンプ室の排気ダクトの閉塞
 本件後、排気ダクトの途中に盲板が取り付けられ、排気ファンの風箱の一角が腐食で形を成しておらず、同ファンの電動機は逆回転するよう配線が接続されているのが発見されたが、同板の取り付けられた時期について検討してみる。
 まず、建造当時からこのような状態であったかについては、
 (1) 排気ファンは、製造会社で電動機の回転及び通風方向が排気に設定され、空力テストが行われた
 (2) 同ファンは、造船所で排気ダクトと接続され、(1)の確認のうえ船級協会による効力検査が行われた
 (3) 本件後、排気ダクトの途中が盲板の前後のいずれも鉄錆で分厚く覆われていた
 の諸点が、検査記録、検査調書で確認でき、
 また、E部長に対する質問調書中の、「建造時の効力テスト時に、船級協会の検査員が立ち会って通風筒から排出されることを確認する。上甲板の貫通部は、エルボダクトを直接デッキに溶接していたが、本件後の貫通部にL形断面のフランジ形状金具が取りつけられていた。建造後、エルボダクトが取り外された形跡と考えられる。」旨の供述記載を考慮し、
 更に、平成8年1月の入渠に際して、排気ファンの風箱の破孔が修理された点から、修理後に通風状態の確認がなされているはずであり、建造以後ある一定期間は通風がされていたと考えるのが妥当である。
 また、排気ダクトを取り外した状態で精査した盲板は、幅26.5センチメートル奥行き24センチメートルのダクトの内法(うちのり)に対して、奥行きのサイズが大きく、水平よりやや前のめりに3箇所でスポット溶接され、溶接箇所の外側の白色ペイント面に錆の丸い点があり、そこから錆が流れ落ちた形跡が残されていた。なお、盲板の縦、横のサイズがデッキ貫通部の直径30センチメートルより小さく、取付け位置は、同部から手の届く距離にあった。
 一方、盲板が取り付けられた意図は、
 (1) 排気ダクト製作の際の整形
 (2) 通風の一時的停止による同ダクトの腐食防止
 (3) 同ダクト工事の際の異物落下防止
 (4) 船首ポンプ室からの異臭拡散防止
 など、幾つか想定することができない訳ではないが、残念ながら通常の思考範囲を超えており、特定できない。また、押込通風を意図してシロッコファンを逆転しても、必ずしも有効な逆方向の風量が得られるわけではないという特性から、その意図も理解し難い。すなわち、いずれの不可解な状況からも、建造当時から排気ファンが機能していなかったと考えるのは無理がある。
 したがって、排気ダクトの閉塞は、建造後、一定期間を経て、何らかの意図で盲板が取り付けられたことによると考えるのが相当である。
4 作業環境と閉所立入りの安全管理
 船首ポンプ室の機器は、換気設備を含めて、本船では甲板部の運転管理の所掌で、整備を要する状況に至れば、一等航海士から機関長に機関部の対処が要請されるものであった。ポンプの軸シールから漏れ、機関部の対処が十分にできなくなれば、船長から会社に対してメーカーなどへの修理が要請されたはずであった。
 また、安全衛生委員会の議事録は形骸化しており、そこには本件発生に至る経過を垣間見るような問題点の提起は全くないし、ガスフリーダクトから仮設のビニールダクトを引くことが日常化していたとも見ることができる。同時に、多くの供述や回答の中に、船首ポンプ室の換気不良が度々話題になったことが伺え、改善が提起されていたと考えることができるが、A受審人の審判調書中の、「一等航海士や船長から相談されたことがない。」旨の供述記載からも、同委員会が機能していなかったと言わざるを得ない。また、同様な意見に対して、その対応の時期をいつにするかという議論がなされても、結局、B船長に一任され、実際に換気装置全体が点検され、手直しされる機会はなかった。
 一方、ISMコードの任意取得は、陸上の体制と船側の体制の両面で、様々な責任と仕事の手順を明確にしたシステムを構築し、これを積極的に活用するという意図で行われ、それに伴う現場でのチェック体制に、様々な書式が運用されるようになったが、船内教育・訓練報告書には、訓練や操練の回数が多く、本来の荷役や航海当直に支障を来たすというのが多数意見である旨、また、手順書の内容を縮小するよう要望した旨の記録が残されるほどで、チェック体制の考え方が理解されるに至っていなかったと考えるのが相当である。
 その結果、閉所への立ち入りのためのチェックリストについては、酸素濃度計、呼吸具の用意、立会者によるダブルチェックの体制など、同リストで確認される事項は無視され、実態は無防備のまま単独で出入りしていたと認めざるを得ず、N海運の安全管理は有効に機能していたとは考えにくい。 
 本件に至る経過の中で、陸上側職員が乗船ないし訪船しても、乗組員と安全面での認識を共有しておらず、また、ある一定の人数枠で交替しながら配乗されていた乗組員同志の有機的な連絡、確認そして役割のバックアップは機能しておらず、N海運の陸上側及び乗組員の全体について安全管理が十分でなかったと言わなければならない。
 すなわち、N海運が、排気ファンの不具合を調査して改善するなど安全な作業環境の整備と、閉所への安全な立入り指導を十分に行わなかったことは本件発生の原因となる。
5 換気装置の不具合と改善
 排気ダクトの閉塞は、前示の通り、ニュー葛城の建造後のある時期に、通常の思考範囲を超えた意図によって人為的に盲板が施工されたことによると判断できる。
 さて、船首ポンプ室の換気状況に係る乗組員の疑念と不安は、ガスフリーダクトから仮設のビニールダクトを引く臨時的措置や、電動機の配線接続を差し替えて逆転させようとしたと思われる形跡に現れているが、いずれも根本的な排気ダクトの閉塞状況の発見と手直しに至らなかった。同ダクトの全体が外観的に異様な腐食状況を呈していたにもかかわらず、その裏に潜んでいた不具合が明らかにされず、まさに本件発生の背景として残されたまま運航が続けられた。
 船の現場において、船側が技術的に対応しきれない問題を残し、会社側もそれに対処できないまま運航が続けられるとき、第三者の目による指摘の余地が残されている。
 本件は、会社及び船の善良なる管理が十分に行われたとは言い難い状況にあり、排気ダクトに通常考えられない盲板が取り付けられた特殊な例で、通常の検査では発見が困難であったと言える。しかしながら、船級協会と入渠造船所、会社及び船との間で、過去の換気不良の経過等について、コミュニケーションが図られていれば、検査時期における外観検査により、何らかの不具合を懸念して念入りな点検を行い、本船にあっては船首ポンプ室の換気装置全体を見直し、改善させる可能性があったと付言する。

(原因)
 本件乗組員死傷は、液体化学薬品の輸送に従事するケミカルタンカーにおいて、タンククリーニング設備のポンプの保守管理が不十分で、クリーニングポンプの軸シールの仕様が適切なものに変更されず、同シールから頻繁に漏れが生じ、同シールが取り替えられずに運転不能となったまま、替わりに運転されていたスロップポンプの軸シールからクロロホルムが漏えいして船首ポンプ室の床一面に広がったこと、並びに作業環境の整備と閉所立入りの指導など、安全管理が不十分で、同室の排気ダクトに盲板が取り付けられていることに気付かず、同室が換気されないまま運航が続けられたこと、及び呼吸具を装着せず、立会者を置かないまま、乗組員が同室に立ち入ったことによって発生したものである。
 ポンプの保守管理が十分でなかったのは、ポンプ軸シールから漏えいした際、船長が同シールを整備する措置をとらなかったことによるものであり、安全管理が十分でなかったのは、一等航海士が、呼吸具、立会者など閉所立入りの準備をしなかったことによるものである。
 船舶所有者が、ポンプ軸シールの仕様を適切なものに変更しなかったこと、船首ポンプ室の換気装置の不具合を調査して改善しなかったこと、及び同室への立入りにあたって呼吸具、立会者などを準備するよう指導しなかったことは本件発生の原因となる。

(受審人等の所為)
 N海運が、タンククリーニングにクロロホルムを使用するようになった際、クリーニングポンプの軸シールの仕様をクロロホルムに耐えられる適切なものに変更しなかったこと、並びに船首ポンプ室の換気不良について、乗組員の意見が出された際、排気ダクトの不具合を調査して改善しなかったこと、及び同室への立入りにあたって呼吸具、立会者などを準備するよう指導しなかったことは、本件発生の原因となる。
 N海運に対しては、海難審判法第4条第3項の規定により勧告する。
 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。





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