(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年8月21日06時00分
ニューギニア島北方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第一喜興丸 |
総トン数 |
76.07トン |
登録長 |
23.01メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
257キロワット |
3 事実の経過
第一喜興丸(以下「喜興丸」という。)は、昭和51年12月に進水した、FRP製まぐろはえ縄漁船で、船首楼付き一層甲板型の船体の上甲板下には船首楼後部から船体中央部まで魚倉が、また、その船尾側に船尾楼区画の一部を占める機関室を配置していた。
機関室は、下段中央に主機を、主機左舷側に容量60キロボルトアンペアの三相交流式発電機とそれを駆動する補機を、右舷側に主機駆動の容量50キロボルトアンペアの三相交流発電機のほか、ポンプ類をそれぞれ配置し、また、主機を囲む上段には、左舷側に空気圧縮機、バッテリー及び配電盤を、船首側に冷凍機及びブラインポンプを、右舷側に燃料常用タンクを配置しており、換気装置として給気ファン及び排気ファンが各1基ずつ備えられていた。
配電盤は、デッドフロント型で、発電機盤、三相交流225ボルト給電盤及び105ボルト照明兼直流24ボルト非常用配電盤によって構成されていた。
喜興丸は、進水後、宮崎県在住の船主によって運航され、近海区域でまぐろはえ縄漁に従事していたところ、平成7年8月に株式会社喜興産業に買い取られ、同社社長であるHが漁労長として乗り組み、アメリカ合衆国グアム島アプラ港を基地とし、1航海を約30日の周期とするまぐろはえ縄漁に従事したが、同9年8月までの2年間に3名の船長が交替して乗船した。
A受審人は、昭和36年から一貫して漁船に乗り組み、同49年に海技免状を取得後は機関長として、平成8年9月から喜興丸の機関長として乗り組み、機関の運転及び整備管理に携わっていた。
喜興丸は、同9年8月に第一種中間検査のため鹿児島県枕崎市のドックに入渠し、船体、機関の各部にわたって整備と検査が行われ、配電盤を中心に電路の絶縁抵抗測定が行われ、絶縁低下など異状のないことが確認され、出渠後、H社長が船長も兼任して前示海域にて操業を続けた。
H船長は、同10年5月喜興丸が主機の3つのシリンダヘッドに亀裂を生じてアプラ港に戻り、それらが修理されたのち、修理費用に関する漁船保険の保険金請求手続きをする者を事務所に置いていなかったので、同手続きを自ら行わなければならず、喜興丸を離れていったん帰国することにしたが、A受審人が船務及び漁労の職務をこなすことができると考え、漁労長の職務とともに航海士としての海技免状のない同受審人に船長の職務を委ね、操業を続けるよう指示した。
A受審人は、H船長から指示を受けて、一航海のつもりで船長及び漁労長の職務内容を引き受け、同年6月から船長適格者不在のまま喜興丸を出港させたが、その後も同船長がグアム島に戻らなかったので、引き続き船長としての操船と漁労長としての操業指揮を執り、インドネシア人乗組員に甲板員及び機関員の仕事を行わせながら操業を行っていた。
こうして、喜興丸は、船長適格者不在のまま、A受審人ほか9人が乗り組み、喫水不祥のまま、同年8月11日アプラ港を発し、同月21日05時40分にニューギニア島北方沖合で第7回目の投縄を開始したところ、機関室上段の配電盤付近から出火し、06時00分、北緯02度34分東経142度24分の地点で、機関室が火災となった。
当時、天候は晴で、風力1の南風が吹き、海上は穏やかであった。
A受審人は、船橋で操船に当たっていたところ海図台の照明が点滅したことに気付き、船橋後部から機関室上部に入る扉を開いたところ、配電盤付近から炎が上がり、煙が同室に充満していることを発見したが、消火活動を行うことができず、ただちに乗組員を集合させて膨張式救命いかだを投入させ、自らも乗り込んで退船した。
喜興丸は、消火活動が行われないまま、同日15時ごろ、同地点において沈没し、乗組員は、全員、来援した僚船に救助された。
株式会社K産業は、のち解散した。
(火災に至る原因の考察)
本件火災は、機関室配電盤付近から出火したとされているが、発火原因及び運航模様の及ぼした影響について検討してみる。
1 配電盤の出火の可能性
喜興丸は、昭和51年に建造され、本件当時には船齢が20年を超えていた。
電気設備は、老朽化すると、電線の絶縁体が経年変化による硬化のために絶縁低下を生じることがあり、更に電動機や灯具の水濡れが重なって船体や電気器具を通して漏電が起こり、思わぬ箇所で発熱を生じることがある。また、スイッチ、遮断器等の接続箇所において、接触不良による異常発熱を生じることも増える。
漏電、接触不良による発熱は、いずれも電動機、灯具など乗組員の操作に関わる箇所に多く見られる。一方、配電盤での発熱は、盤内部では遮断器、母線の板材、電線等の接続箇所での締付力が低下したり、遮断器の接触片の機能が低下したときに起こり、詳しい点検をしないと直前まで不具合に気付かないことがある。
本件は、火災発見の経過等、事実の認定をA受審人への質問調書と海難報告書によるしかない。同調書中、配電盤内にゴミやほこりの付着があった、225ボルト系統の接続部の増締めはしていない、アースランプの点検をしたのは1箇月前であった、配電盤裏の海水管の漏れは兆候がなかった、24ボルト及び105ボルトの系統は点検して問題がなかった旨の各供述記載があり、点検不足であったとの認識の一方で、異状に結び付く兆候のなかったことも主張されている。
この状況を考慮して、配電盤からの出火の可能性について検討してみると、次の点から同盤での突然の出火が生じたと考えることには無理がある。
(1)前年の定期検査において、絶縁抵抗測定が行われ、その結果をもって管海官 庁の検査を経ており、検査記録に特記される所見がないこと。
(2)A受審人の回答書記載から、定期検査後、本件発生までの間、配電盤内部の 器具に破損、焼損、濡損等の異状はなかったこと。
(3)定期検査から本件発生まで約1年間と、短期であること。
すなわち、配電盤における発熱さらに発火の経過につながる状況を想定する材料に乏しい中、配電盤から発火した理由も考えられるなどのA受審人の供述も措信しがたく、むしろ機関室全体の管理状況の問題まで含めた、何らかの理由で発火に至ったと考えるのが相当である。
2 運航模様の及ぼした影響
本件は、船長の下船で、機関長が船長の職務のみならず漁労長の職務をも一手に引き受けていた状況のもと、操業を続けていた間に発生している。
機関室は、A受審人に対する質問調書中の供述記載から、自らが1日に3回の頻度で見回りを行っており、本件発生前には、最後の見回りを4時間ないし8時間以上前に行ったのみであり、乗組員による見回り体制も明確でない。つまり、操業中心に就労体制が組まれる中、機関室の機器の不具合発生を防止し、かつ異状を早期に関知する管理体制が疎か(おろそか)になっていたものと認めうるのであり、船長不在のまま出港して、操業を続けていたことに本件発生の遠因を認めざるを得ない。
船長不在は、機関損傷の後、整備費用に関する保険金請求事務のために社長として同船長が帰国せざるを得なかったことによるとされ、しかもその期間が、次の航海にまで及び、本件発生に至っている。
すなわち、会社の運営維持のための事務手続きが、船の就労体制を崩し、ひいては火災という、海難事件を発生させるに至った点は、看過されるべきではない。本件後、社長兼船長が、会社を整理し、出国したままで、詳しい証言が得られていないが、同船長が回答書に記述している中に、A受審人の供述記載と同様に、船長不在が本件と無関係であるとする点は、その重大性を認識していないと言わざるを得ない。
以上のことから、本件発生の物理的経過がはっきりせず、A受審人の所為は、本件発生の原因とすることはできない。
(原因)
本件火災は、まぐろはえ縄漁の投縄作業中、機関室の配電盤付近から出火したものであるが、発火原因を明らかにすることができない。
(受審人の所為)
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。