(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成12年3月1日19時46分半
三重県 布施田水道
2 船舶の要目
船種船名 |
油送船太陽丸 |
総トン数 |
498トン |
全長 |
64.40メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
3 事実の経過
太陽丸は、船尾船橋型の鋼製油タンカー兼引火性液体物質ばら積船兼液体化学薬品ばら積船で、A及びB両受審人ほか3人が乗り組み、アルファメチルスチレン200トンとアセトン400トンを載せ、船首2.50メートル船尾4.40メートルの喫水をもって、平成12年2月29日19時30分鹿島港を発し、東播磨港に向かった。
A受審人は、船橋当直を自らと、B受審人及び二等航海士とによる3人で単独4時間交代の3直制とし、御前埼沖合から大王埼沖合及び大王埼沖合から潮岬沖合に至る針路を海図にそれぞれ記載し、翌3月1日12時00分昇橋してきた二等航海士と同当直を交代し、同時20分御前埼南方3.9海里ばかり沖合に達したので、同航海士に海図記載の大王埼南東方沖合に向く253度(真方位、以下同じ。)の針路にするように告げ、同針路を次直のB受審人にも引継ぐよう指示して降橋した。
ところで、A受審人は、平素、船橋当直者に対して、大王埼付近で西寄りの強風のため布施田水道を航行する際は、その旨を報告するよう指示していた。
16時00分B受審人は、舞阪灯台から192度20海里ばかりの地点に達したとき、船橋当直に就き、253度の針路で進行し、17時ごろから西寄りの風が強く吹くようになったので、布施田水道を航行することとし、同時30分ごろ西風を避けるため針路を大王埼を少し左方に見る270度に転じて続航したが、予定航路を変更して同水道を航行することをA受審人に報告しなかった。
19時02分少し前B受審人は、大王埼灯台から075度3.1海里の地点に達したとき、針路を陸岸に沿う217度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、11.5ノットの対地速力で進行した。
19時16分半B受審人は、大王埼南東方約1.9海里に並航したとき、右舷正横0.2海里に自船とほぼ同じ針路で、やや早い速力で同航している同型船を認め、同船が針路を布施田水道に向かうようにしたので自船も同水道に向かうため、同時31分少し前麦埼灯台から131度3.0海里の地点で、同航船が支障になっていたので一旦針路を289度に転じ、左舷標識である大長磯灯標を正船首少し右方約3.2海里に見て、このまま進行すれば同灯標の南東方のボテ島と、西方の険礁地に向首する態勢であることを知ったが、同航船が自船を追い越せば同水道に接近する前に同灯標を左舷側に見る針路にできるものと思い、機関を減速するなどして同船に後続し、同灯標を左舷側に見る針路を選定することなく続航した。
B受審人は、大長磯灯標を右舷側に見て同航船にほぼ並航したまま西行中、19時46分半大長磯灯標から139度370メートルの、水深3.5メートルのボテ島の暗岩に、太陽丸は、原針路、原速力で乗り揚げてこれを擦過し、引続き同じ態勢で進行中、同時48分同灯標から250度200メートルの地点で、同船の船首が310度を向いたとき、同灯標の西方に存在する岩礁に再度乗り揚げた。
A受審人は、昇橋中に衝撃を感じて乗り揚げたことを知り、事後の措置に当たった。
当時、天候は晴で風力4の北西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。
乗揚の結果、船底外板全般に亀裂及び破口を伴う凹損を生じたが、サルベージ船によって救助され、のち修理された。
(原因)
本件乗揚は、夜間、大王埼南方沖合において、予定航路を報告せずに変更したばかりか、針路の選定が不適切で、左舷標識である大長磯灯標を右舷側に見る針路で進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
B受審人は、夜間、大王埼南方沖合において、予定航路を変更して布施田水道に向かって西行する場合、左舷標識である大長磯灯標を左舷側に見て同水道に接近する針路を選定すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、同航船が自船を追い越せば同水道に接近する前に同灯標を左舷側に見る針路にできるものと思い、同灯標を左舷側にみて同水道に接近する針路を選定しなかった職務上の過失により、ボテ島の暗岩に向首進行してこれに乗り揚げ、更に同灯標の西方に存在する岩礁に再度乗り揚げ、船底外板全般に亀裂及び破口を伴う凹損を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して、同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。