(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年12月24日11時20分
熊本県三角港蔵々ノ瀬戸
2 船舶の要目
船種船名 |
押船第拾八俊栄丸 |
総トン数 |
198トン |
全長 |
31.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,029キロワット |
3 事実の経過
第拾八俊栄丸(以下「俊栄丸」という。)は、専ら台船型バージと押船列を形成して海砂の運搬に従事する鋼製押船で、A受審人ほか3人が乗り組み、熊本県三角港で食料及び清水を補給したのち、船首2.8メートル船尾4.0メートルの喫水をもって、平成11年12月24日11時00分同港を発し、蔵々ノ瀬戸を経由して同県天草郡龍ケ岳町の樋島沖へ向かった。
ところで、蔵々ノ瀬戸は、三角港の八代海側の出入口に位置し、戸馳(とばせ)島と維和(いわ)島に挟まれた幅約350メートルの水道であり、戸馳島の片島鼻沖には干出岩を伴う網取瀬が存在するため可航幅が約250メートルに狭められていることから、戸馳島灯台から298度(真方位、以下同じ。)410メートル地点に当たる同瀬戸の中央部付近に、右舷標識として赤色の三角港網取瀬西灯浮標が、浅瀬の南端部から南西方へ約50メートル離れて設置されていた。
また、当時、A受審人は、長さ約100メートル、幅約30メートル、深さ約7メートルの台船型バージ七福の船尾部に、俊栄丸の船首部を嵌合させて押船列を形成し、八代海で海砂を積んで愛媛県まで運搬する業務に従事していたが、食料及び清水が不足したことから、前示樋島沖でストックバージに横付けして海砂の積荷中であった七福との嵌合(かんごう)を解き、俊栄丸単独で蔵々ノ瀬戸を経由して三角港に入港し、1週間分の食料及び清水10トンを補給したのち、再び同瀬戸を経由して樋島沖に向かっていたものであった。
A受審人は、これまで三角港には何回か入港したことがあったものの、いずれも島原湾側から大瀬戸を経由して入港したものであり、八代海側から蔵々ノ瀬戸を経由して入港したことは一度もなかったことから、水路誌や灯台表を調べるなどして蔵々ノ瀬戸の水路調査を十分に行う必要があったが、同調査を十分に行わなかったので、浅瀬の拡延模様や三角港網取瀬西灯浮標が右舷標識であることに気付かず、入港時に同灯浮標を左舷側至近に見て何事もなく航過できたことから、出港時も同様に航行すれば大丈夫と思い、11時11分少し過ぎ寺島灯台から339度660メートルの地点に至ったとき、針路を151度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で、手動操舵により進行した。
こうして、A受審人は、11時13分半寺島灯台から061度100メートルの地点に達したとき、右舷船首方1.1海里ばかりのところに、三角港網取瀬西灯浮標を視認することができる状況となったが、同灯浮標が浅瀬を避けるための右舷標識であることに気付かないまま、これを左舷に見る針路とすることなく網取瀬に向首して進行中、11時20分戸馳島灯台から318度420メートルの地点において、俊栄丸は、原針路、原速力で、同瀬の水面下に隠れていた干出岩に乗り揚げた。
当時、天候は晴で風力1の北西風が吹き、潮候は下げ潮の初期であった。
乗揚の結果、左舷プロペラブレード先端部に折損、スケグに凹損及び船尾部船底に擦過傷を生じたが、のち修理された。
(原因)
本件乗揚は、熊本県三角港において、蔵々ノ瀬戸を航行する際、水路調査が不十分で、同瀬戸網取瀬の干出岩に向かって進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、熊本県三角港において、蔵々ノ瀬戸を航行する場合、赤色の三角港網取瀬西灯浮標が設置されていることは知っていたものの、浅瀬の拡延模様や同灯浮標が右舷標識であることを知らなかったのであるから、水路誌や灯台表を調べるなどして水路調査を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、入港時に同灯浮標が右舷標識であることに気付かないまま、これを左舷側至近に見て何事もなく航過できたことから、出港時も同じように航行すれば大丈夫と思い、同瀬戸の水路調査を十分に行わなかった職務上の過失により、前示灯浮標が右舷標識であることに気付かないまま、網取瀬の干出岩に向かって進行して乗揚を招き、左舷プロペラブレード先端部を折損、スケグに凹損及び船尾部船底に擦過傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。