日本財団 図書館




 海難審判庁裁決録 >  2002年度(平成14年) > 衝突事件一覧 >  事件





平成13年広審第100号
件名

旅客船第八十二玉高丸貨物船第二住力丸衝突事件
二審請求者〔補佐人赤地 茂、補佐人松井孝之〕

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年3月28日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(坂爪 靖、竹内伸二、西林 眞)

理事官
道前洋志

受審人
A 職名:第八十二玉高丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:第二住力丸機関長 海技免状:四級海技士(航海) 

損害
玉高丸・・・右舷船首部外板に破口を伴う凹損等
住力丸・・・左舷船首部ブルワーク及び左舷船尾部ハンドレールに曲損等

原因
玉高丸・・・狭視界時の航法(信号、レーダー、速力)不遵守(主因)
住力丸・・・狭視界時の航法(信号、レーダー、速力)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、第八十二玉高丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことによって発生したが、第二住力丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Bを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年5月21日07時12分
 岡山県宇野港

2 船舶の要目
船種船名 旅客船第八十二玉高丸 貨物船第二住力丸
総トン数 820トン 474.20トン
全長 71.83メートル 73.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,912キロワット 735キロワット

3 事実の経過
 第八十二玉高丸(以下「玉高丸」という。)は、バウスラスターを備えた2機2軸の船首船橋型の鋼製旅客船兼自動車渡船で、姉妹船3隻とともに、岡山県宇野港と香川県高松港との間の定期航路に就航していたところ、平成13年5月20日08時17分高松港発第14便でA受審人ほか5人が前任者と交代して翌21日08時09分同港着の便までの予定で乗り組み、片道約1時間かけて両港間を9往復半したあと、同日07時05分宇野港発第12便として旅客21人及び車両19台を載せ、船首1.9メートル船尾3.1メートルの喫水をもって、同港を発航することになった。
 ところで、四国フェリー株式会社は、運航管理規程に基づく運航基準により、発航前に港内の視程が500メートル以下となっているときや発航港に近接した海域における視程が500メートル以下となるおそれがあるときは、発航を中止すること、航行中に視程が1,000メートル以下となったときは、基準経路を基準速力により航行することと同規程で定めた基準航行を中止して当直体制の強化及びレーダーの有効利用を図るとともに安全な速力とし、状況に応じて停止、航路外錨泊または基準経路変更などの措置をとることなど、視界制限状態時の船長のとるべき措置を定めていた。
 一方、A受審人は、20日23時52分宇野港を発航して高松港に向かう際、1号岸壁東方沖合に錨泊中の第二住力丸(以下「住力丸」という。)を認め、その後も同船が錨泊しているのを認めながら両港間の航海を続けた。そして、翌21日04時28分宇野港に入港して一等航海士と船橋当直を交代し、休息していたところ、06時35分ごろ香川県直島宮ノ浦港沖合で、当直中の同人から同島北岸付近にある、宇野港入航時の船首目標でもある直島北西方灯浮標付近に霧堤が存在し、同灯浮標が見えず、その付近だけ視界が狭められている旨の報告を受けて昇橋し、そのまま在橋して操船の指揮をとり同時54分宇野港第1突堤に入港着岸したもので、発航にあたり、霧のため視界がやや狭められていたものの、濃霧注意報などが出されていなかったうえ、視程は約1,200メートルで運航基準に定める発航条件を満たしていたので、07時05分定刻どおり宇野港を発し、高松港に向かった。
 離岸後、A受審人は、一等航海士を手動操舵に就け、自らレーダー監視を行って操船の指揮を執り、07時06分ごろ両舷機を回転数毎分225の8.0ノットの微速力前進にかけ、同時07分宇野港口飛州灯台(以下「飛州灯台」という。)から020度(真方位、以下同じ。)1,820メートルの地点で、針路を205度に定め、同一回転のまま折からの南西流に乗じて9.5ノットの対地速力で、所定の灯火を表示したものの、霧中信号を行わないまま進行した。
 定針したとき、A受審人は、1.5海里レンジとしたレーダーにより右舷船首15度1,600メートルのところに、前夜から錨泊している住力丸の映像を認めたが、レーダー画面を一瞥しただけで、霧のため視界制限状態であったことから、同船は錨泊を続けるものと判断し、同船に対する動静監視を十分に行わなかったので、そのころ住力丸が抜錨して自船の前路に向けて進行し始めたことに気付かなかった。そして、間もなく船首作業を終えて甲板員2人が昇橋したので、一等航海士に代えて甲板員1人を手動操舵に、他の甲板員を見張りにそれぞれ就けたものの、一等航海士をレーダー監視に当てて他船の動静や周囲の状況を自らに報告させるなどの措置をとらず、船橋左舷側後部の海図台で書類の記載などを行わせながら続航した。
 07時09分A受審人は、飛州灯台から018度1,240メートルの地点に達し、南近端鼻を右舷側340メートルに並航したとき、針路を220度に転じたところ、住力丸のレーダー映像が右舷船首5度980メートルに接近し、同船を視認できなかったので、視程が1,000メートル以下となり、運航基準で定められた基準航行の中止の視程に達したのを認めたが、いつものように霧は犖島付近に局地的に発生したもので、同島付近を通過すればすぐに視界が回復するものと思い、速やかに減速して安全な速力としたうえ、基準経路を変更し、停止または錨泊などの措置をとって基準航行を中止することなく、視界が徐々に悪化する中を目的地に向けて同一速力で進行した。
 07時09分半A受審人は、霧が濃くなって右舷前方の陸岸が視認できず、視程が約500メートルに狭められ、そのころ住力丸が同方位、800メートルに接近し、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、依然動静監視不十分で、住力丸が自船に接近していることに気付かず、速やかに行きあしを止めることなく続航中、同時12分少し前右舷前方至近に霧の中から現れた住力丸の船体を初めて視認し、慌てて両舷機を全速力後進とするとともに左舵一杯としたが及ばず、07時12分飛州灯台から340度530メートルの地点において、玉高丸は、船首が210度を向いて約8.5ノットの対地速力となったとき、その右舷船首に住力丸の左舷船首部が後方から79度の角度で衝突した。
 当時、天候は霧で風はなく、視程は約100メートルで、潮候は上げ潮の中央期にあたり、付近には1.5ノットの南西流があった。
 また、住力丸は、専ら直島から福岡県苅田港への水滓輸送に従事する船尾船橋型の鋼製貨物船で、B受審人と同人の長男である船長ほか1人が乗り組み、同月17日17時05分苅田港を発し、積地の直島では同月21日朝まで荷役待ちがあるため、自宅近くの愛媛県伯方港で待機したあと20日19時36分同港を発し、23時50分宇野港内の、飛州灯台から320度620メートルの地点に左舷錨を投じ、錨鎖3節を延出して錨泊待機した。
 ところで、B受審人は、四級海技士(航海)のほか五級海技士(機関)の海技免状を受有し、長男が乗船中は、機関長として、長男が休暇のときは機関長の次男が代わって乗り組むので、船長として雇入れするようにしていたもので、40年ほど船長経験があり、当時長男が船長として雇入れされていたものの、自らが実質上の船長として入出港操船などの運航の指揮に当たっていた。
 翌21日07時00分ごろB受審人は、霧のため視界が著しく制限され視程が約100メートルの状況であったが、錨地から約1.2海里の、飛州灯台東北東方約1海里のところにある三菱マテリアル株式会社直島精錬所の専用桟橋での積荷役が同時40分から予定されていたので、同桟橋に着桟することとし、船首に一等航海士を、船尾に船長をそれぞれ配置し、自らは船橋で操船を指揮し、船首1.3メートル船尾3.3メートルの喫水をもって、同時07分錨地を発し、機関を回転数毎分250の4.5ノットの極微速力前進にかけ、針路を064度に定め、折からの南西流により23度右方に圧流されながら真針路が087度となり、機関の前進と停止を繰り返して平均1.5ノットの対地速力で、所定の灯火を表示したものの、霧中信号を行わないまま手動操舵によって進行した。
 発航したころ、B受審人は、舵輪右横のレーダーにより左舷船首24度1,600メートルのところに玉高丸の映像を探知でき、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、1.5海里レンジとしたレーダー画面を一瞥して前方に他船が映っていなかったように見えたので、前方に他船はいないものと思い、レーダーによる見張りを十分に行わなかったので、このことに気付かず、速やかに行きあしを止めることなく、目的地に向けて航行を続けた。
 07時09分B受審人は、飛州灯台から327度590メートルの地点に達したとき、0.5海里レンジとして前方が約0.8海里まで映るオフセンターにしたレーダーにより左舷船首19度980メートルのところに、宇野港内を南西方に向けて進行している玉高丸の映像を初めて認め、その監視を続けた。同時09分半同船の映像が同方位800メートルに接近し、その後も同船の映像がレーダーの中心部に寄ってくるので不安を覚えたものの、玉高丸の方で自船を避けるのを期待して依然行きあしを止めないまま進行中、同時12分少し前左舷前方至近に霧の中から現れた玉高丸の船体を初めて視認し、直ちに機関を全速力後進とするとともに右舵一杯としたが及ばず、住力丸は、船首が131度を向いて行きあしがなくなったとき、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、玉高丸は右舷船首部外板に破口を伴う凹損、船首ランプドアーに凹損及び右舷船尾部外板に擦過傷等を生じ、住力丸は左舷船首部ブルワーク及び左舷船尾部ハンドレールに曲損等を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
 本件衝突は、霧のため視界が著しく制限された岡山県宇野港において、南下する玉高丸が、運航基準を遵守せず、基準航行を中止しなかったばかりか、レーダーによる動静監視不十分で、住力丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに行きあしを止めなかったことによって発生したが、錨地を発して東行する住力丸が、レーダーによる見張り不十分で、玉高丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに行きあしを止めなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、霧のため視界が著しく制限された岡山県宇野港において、レーダーにより右舷前方に住力丸を探知して南下中、視界が運航基準に定められた基準航行の中止の視程以下となったのを認めた場合、速やかに減速して安全な速力としたうえ、基準経路を変更し、停止または錨泊するなどの基準航行を中止すべき注意義務があった。しかるに、同人は、いつものように霧は犖島付近に局地的に発生したもので、同島付近を通過すればすぐに視界が回復するものと思い、速やかに基準航行を中止しなかった職務上の過失により、そのまま進行して同船との衝突を招き、玉高丸の右舷船首部外板に破口を伴う凹損及び船首ランプドアーに凹損等を、住力丸の左舷船首部ブルワークに曲損等をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B受審人は、霧のため視界が著しく制限された岡山県宇野港において、錨地を発して香川県直島の専用桟橋に向け東行する場合、左舷前方から接近する玉高丸のレーダー映像を見落とすことのないよう、レーダーによる見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、1.5海里レンジとしたレーダー画面を一瞥して前方に他船が映っていなかったように見えたので、前方に他船はいないものと思い、レーダーによる見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、玉高丸と著しく接近することを避けることができない状況となったことに気付かないまま進行して同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:28KB)





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION