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平成14年広審第1号
件名

漁船第二十二浜富丸漁船第一吉勝丸衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年3月26日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(?橋昭雄、西林 眞、横須賀勇一)

理事官
岩渕三穂

受審人
A 職名:第二十二浜富丸船長 海技免状:四級海技士(航海)(履歴限定)
C 職名:第一吉勝丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
指定海難関係人
B 職名:第二十二浜富丸機関員

損害
浜富丸・・・船首外板に擦過傷
吉勝丸・・・左舷船尾外板に亀裂、船長が頭部に打撲傷

原因
浜富丸・・・居眠り運航防止措置不十分、船員の常務(避航動作)不遵守(主因)
吉勝丸・・・動静監視不十分、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、航行中の第二十二浜富丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、待機のため漂泊中の第一吉勝丸を避けなかったことによって発生したが、第一吉勝丸が、動静監視不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Cを戒告する。


理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成10年3月30日23時55分
 日本海 島根県益田港北西方沖合

2 船舶の要目
船種船名 漁船第二十二浜富丸 漁船第一吉勝丸
総トン数 75トン 19トン
登録長 26.80メートル 17.55メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット  
漁船法馬力数   190

3 事実の経過
 第二十二浜富丸(以下「浜富丸」という。)は、2そう引き沖合底引網漁業に従事する船首船橋型鋼製漁船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか7人が乗り組み、操業の目的で、主船とともに平成10年3月24日10時00分島根県浜田港を発し、山口県見島の西方漁場に至って操業を行い、越えて同月30日19時ごろ従船側である自船の揚網を最後に1週間近く続いた操業を打ち切り、同県角島の西方8海里沖合の漁場を発進し、主船に続いて帰路に就いた。
 ところで、主船との2そう引き網による操業は、主船と従船が搭載する網を交互に投網して曳網し、その後投網側が揚網した漁獲物の選別を行い、順次投網が交互に行われていた。
 そこで、A受審人は、船橋当直及び休息に関して、全員で作業を行う曳網の開始時及び漁獲物の選別時は自らが船橋当直を行い、その他の曳網中及び操業時以外の航行中には甲板員ら6人による単独で行わせ、その間それぞれが休息をとるようにしていたものの、操業中の休息が短い時間の繰り返しの状態となり、長い操業後の帰航時には各自は疲れが蓄積した状態であった。
 発進後、A受審人は、甲板員らに揚網した漁獲物の選別を行わせ、自らが船橋当直に就き、先航した主船の後方を1海里余り離れて帰航を開始した。その後1時間ほどで選別作業が終わり、22時少し前山口県萩港沖合に達したころ、B指定海難関係人が当直のため昇橋してきた。
 ところが、A受審人は、全員が休息不足などで長い操業の疲れが蓄積した状態であったが、それまで当直中に眠気覚しに努めることなどを指示して単独当直体制を維持してきたので、引き続き同じ当直体制で支障ないものと思い、それまでの単独当直及び長い当直時間を避けた当直体制を組むなどの居眠り運航の防止措置をとることなく、22時00分萩相島灯台から327度(真方位、以下同じ。)8.6海里の地点で、針路を061度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて10.0ノットの対地速力(以下速力は対地速力である。)として、B指定海難関係人にその後3時間の当直を単独で行わせて自室に退いた。
 こうして、B指定海難関係人は、選別作業後2時間ほどの休息後に単独当直にあたったが、他船が認められないまま1海里余り前方を先航する主船に追尾する態勢で、船橋後部に位置した一段高くなった床間に腰掛けて当直を行っていたところ、23時00分ごろ眠気を感じてコーヒーを飲んで一時的に眠気を払ったものの、単独船橋当直に対する自覚を欠き、座ったままの姿勢で当直を続けているうちに居眠りに陥ってしまった。その後、同時45分前方1.7海里のところに集魚船の強力な灯火から少し離れたところで漂泊中の第一吉勝丸(以下「吉勝丸」という。)の紅や緑の回転灯を視認することができ、その後同船と衝突のおそれがある態勢で接近する状況であったが、これに気付かず、吉勝丸を避けないまま続航し、23時55分高山岬灯台から327度8.8海里の地点において、浜富丸は、原針路、原速力のまま、その船首が吉勝丸の左舷船尾部に前方から79度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風力2の南西風が吹き、視界は良好であった。
 また、吉勝丸は、網船として5隻から成る船団を組んでまき網漁業に従事するFRP製漁船で、C受審人ほか11人が乗り組み、操業の目的で、船首0.4メートル船尾1.0メートルの喫水をもって、同月30日16時00分浜田港を発し、すでに先航した灯船が探索中の同港西方約27海里沖合の漁場に向かった。
 途中、C受審人は、甲板員2名に操舵及び見張りをそれぞれ行わせて、探索を行いながら灯船と連絡をとって予定の漁場に向かい、22時30分ごろ予定の前示衝突地点付近の漁場で集魚灯を点じて集魚中の灯船から南方約1,000メートル離れたところに至り、紅や緑の回転灯を点じて投網までの待機のため漂泊を始めた。
 こうして、23時45分C受審人は、前示衝突地点付近で、船首を320度を向いた状態で漂泊していたとき、左舷正横前11度1.7海里のところに浜富丸の白、白、紅、緑の4灯及びそれより1海里余りを先航する同業船の灯火をそれぞれ認めたが、間もなく先航船が自船の船尾約100メートルのところを替わっていったことから、後続する浜富丸も同じように船尾方を替わるものと思い、同船に対する動静監視を十分に行わなかったので、その後浜富丸が衝突のおそれがある態勢のまま自船を避けることなく接近することに気付かず、機関を使用して衝突を避けるための措置をとらないまま漂泊を続け、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、浜富丸は船首外板に擦過傷を、吉勝丸は左舷船尾外板に亀裂及び船尾マストの倒壊等の損傷をそれぞれ生じ、更にC受審人は頭部に打撲傷を負った。

(原因)
 本件衝突は、夜間、島根県益田港北西方沖合において、沖合漁場から帰航する浜富丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、前路で灯火を表示して漂泊中の吉勝丸を避けなかったことによって発生したが、吉勝丸が、動静監視不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
 浜富丸の運航が適切でなかったのは、船長が休息不足状態の無資格者に配慮した船橋当直体制をとらなかったことと、無資格の船橋当直者が単独の船橋当直に対する自覚が十分でなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
 A受審人は、夜間、島根県益田港北西方沖合において、数日間に及ぶ操業を終えて帰航する際、無資格の部下に船橋当直を行わせる場合、連日の繰り返しの操業で乗組員が疲労と休息不足の状態であったから、仮にも船橋当直中に居眠りに陥ることのないよう、それまでの単独当直及び長い当直時間を避けた当直体制を組むなどの居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。しかし、同人は、それまでの操業と特に変わったこともなかったので、それまでどおりの当直体制で支障ないものと思い、連続操業による休息不足と疲労を考慮して単独当直を避けた当直体制を組むなどの居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、単独当直中の機関員が居眠りに陥り、前路で灯火を表示して漂泊中の吉勝丸に気付かず、同船を避けないまま進行して、吉勝丸との衝突を招き、浜富丸の船首外板に擦過傷を、吉勝丸の左舷船尾外板に亀裂をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 C受審人は、夜間、島根県益田港北西方沖合において、網船として船団を組んで灯船の集漁のため灯火を表示して待機のため漂泊中、自船に接近する2隻の灯火を認めた場合、接近する同船との衝突の有無を確かめるよう、その動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、2隻のうち先航船が自船の船尾方を航過したので、後続する浜富丸も船尾方を替わすものと思い、その動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、浜富丸が自船を避航しないまま接近することに気付かず、機関を使用するなどして衝突を避けるための措置をとらないまま漂泊を続けて、浜富丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用してを戒告する。
 B指定海難関係人が、夜間、帰路、連日の操業で疲労と休息不足の状態で単独で船橋当直を行う際、眠気を感じながらいすに腰掛けた姿勢のまま当直を続けるなど単独船橋当直に対する自覚が十分でなかったことは本件発生の原因となる。
 B指定海難関係人に対しては勧告しない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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