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平成13年神審第20号
件名

貨物船第十六旭豊丸貨物船日洋丸衝突事件
二審請求者〔補佐人田川俊一〕

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年3月13日

審判庁区分
神戸地方海難審判庁(黒田 均、西山烝一、小金沢重充)

理事官
野村昌志

受審人
A 職名:第十六旭豊丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:日洋丸船長 海技免状:三級海技士(航海)

損害
旭豊丸・・・左舷船首部外板に凹損
日洋丸・・・船首部外板に亀裂

原因
日洋丸・・・狭い水道の航法(右側通行・衝突回避措置)不遵守(主因)
旭豊丸・・・警告信号不履行(一因)

主文

 本件衝突は、日洋丸が、狭い水道の右側端に寄って航行しなかったばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、第十六旭豊丸が、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
 受審人Bを戒告する。
 受審人Aを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年12月26日17時45分

2 船舶の要目
船種船名 貨物船第十六旭豊丸 貨物船日洋丸
総トン数 499トン 299トン
全長 64.92メートル 52.736メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 625キロワット

3 事実の経過
 第十六旭豊丸(以下「旭豊丸」という。)は、船尾船橋型の液体化学薬品ばら積船で、A受審人ほか5人が乗り組み、空倉のまま、船首1.60メートル船尾3.70メートルの喫水をもって、平成11年12月25日11時45分静岡県田子の浦港を発し、岡山県水島港に向かった。
 翌26日14時20分兵庫県福良港港外で潮待ちのため仮泊したA受審人は、17時30分抜錨し、所定の灯火を表示して操船に当たり、一等航海士を機関操作に、次席一等機関士を見張りにそれぞれ就け、徐々に増速しながら鳴門海峡に接近した。
 ところで、鳴門海峡は、淡路島南西部と四国北東部との間にある海峡で、そこに架かる大鳴門橋付近から、その南方600メートルにある飛島にかけての水域が、東西から拡延する浅礁などで可航幅約400メートルの狭い水道となっていた。
 17時41分半わずか前A受審人は、孫埼灯台から125度(真方位、以下同じ。)1,620メートルの地点において、針路を大鳴門橋橋梁灯(L1灯)に向く310度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの潮流に抗し10.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、手動操舵により進行した。
 定針したときA受審人は、右舷船首28度1.1海里のところに、日洋丸が表示した白、白、緑3灯を初めて認め、弱潮流時なので左舷を対して通航できると判断し、17時43分半わずか過ぎ孫埼灯台から120度900メートルの地点に達したとき、針路を大鳴門橋橋梁灯(C1灯)と同(R1灯)との中間に向く350度に転じ、狭い水道の右側端に寄って北上した。
 転針したときA受審人は、船首わずか左770メートルのところに、再び日洋丸の右舷灯を視認し、同船が淡路島寄りに南下中で衝突のおそれがある態勢で接近していることを認めたが、間もなく日洋丸が右転するものと思い、警告信号を行うことなく続航した。
 17時44分半A受審人は、船首わずか左300メートルに接近した日洋丸の発光信号を認め、衝突の危険を感じて右舵をとり、機関を微速力前進に続いて停止し、更に全速力後進として間もなく、17時45分孫埼灯台から094度700メートルの地点において、旭豊丸は、045度に向首したとき、ほぼ原速力のまま、その左舷船首部に、日洋丸の船首部が、前方から62度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風力1の西北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、付近には2ノットの南流があった。
 また、日洋丸は、船尾船橋型の液体化学薬品ばら積船で、B受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首1.2メートル船尾3.4メートルの喫水をもって、同月26日13時20分香川県丸亀港を発し、和歌山県和歌山下津港に向かった。
 小豆島南方沖合で船橋当直に就いたB受審人は、所定の灯火が表示されていることを確認し、機関長を見張りに就け、操舵と見張りに当たって鳴門海峡に向かい、17時39分孫埼灯台から005度1,700メートルの地点において、針路を中瀬にある大鳴門橋の橋脚に向く150度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの潮流に乗じ12.0ノットの速力で、手動操舵により進行した。
 定針したときB受審人は、前示の橋脚と門埼灯台との中間に、旭豊丸が表示した白、白、緑3灯を初めて認め、弱潮流時なのでどちらの舷を対してでも通航できると判断し、17時41分半孫埼灯台から033度1,080メートルの地点に達し、同船が右舷船首8度1.0海里に接近していたとき、鳴門海峡の最狭部に向け南下することとしたが、旭豊丸が依然右舷灯を見せていたので、四国寄りに北上するものと思い、狭い水道の右側端に寄って航行することなく、針路を大鳴門橋橋梁灯(C2灯)に向く180度に転じ、機関を半速力前進として9.0ノットの速力で続航した。
 17時43分半わずか過ぎB受審人は、孫埼灯台から063度660メートルの地点に達したとき、旭豊丸と右舷を対して航過するよう針路を163度に転じたところ、旭豊丸が船首わずか右770メートルのところで右転したので、初めて同船の左舷灯を認め、その後衝突のおそれがある態勢で接近したが、大きく右転するなど、衝突を避けるための措置をとらず、同時44分半衝突の危険を感じて単閃光数回の発光信号を行い、機関長が全速力後進として間もなく、日洋丸は、ほぼ原針路原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、旭豊丸は、左舷船首部外板に凹損を、日洋丸は、船首部外板に亀裂を伴う凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。

(主張に対する判断)
 本件は、弱南流時の鳴門海峡の最狭部において、北上する旭豊丸と南下する日洋丸とが衝突した事件である。
 日洋丸側補佐人は、「旭豊丸が逆潮船であったから、南下している日洋丸をして、大鳴門橋下を先に通過させるべきであった。」旨主張するのでこの点について検討する。
 鳴門海峡の最狭部の可航幅は、事実に示したとおり、大鳴門橋付近から、その南方にかけての水域が約400メートルとなっていた。これに対し、旭豊丸の左旋回時の最大横距は、同船の海上試運転成績書抜粋写中の記載により167メートル、日洋丸の左旋回時の旋回径は、同船の公試運転成績書(船体部)写中の記載により130メートルであり、両船が大鳴門橋橋梁灯間の中央部を航行すると約200メートルの航過距離を保つことができるので、同時通航は可能と判断できる。
 また、当時、視界は良好で、潮流は南流の末期に当たり、流速が2ノットであるので、操船に著しく影響を及ぼすとは言えず、A及びB両受審人の当廷における、「当時の状況であれば1,000トンぐらいまでの船と無難に航過できる。」旨の一致した供述により、両人とも同時通航の可能性を認めていることから、同補佐人の主張を認めることはできない。

(原因)
 本件衝突は、夜間、鳴門海峡において、南下する日洋丸が、狭い水道の右側端に寄って航行しなかったばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、同水道の右側端に寄って北上する旭豊丸が、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 B受審人は、夜間、鳴門海峡を南下する場合、狭い水道の右側端に寄って航行すべき注意義務があった。しかるに、同人は、旭豊丸が四国寄りに北上するものと思い、狭い水道の右側端に寄って航行しなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、旭豊丸の左舷船首部外板に凹損を、日洋丸の船首部外板に亀裂を伴う凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 A受審人は、夜間、鳴門海峡において、狭い水道の右側端に寄って北上中、船首わずか左に日洋丸の右舷灯を視認し、同船が淡路島寄りに南下中で衝突のおそれがある態勢で接近していることを認めた場合、警告信号を行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、間もなく日洋丸が右転するものと思い、警告信号を行わなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:30KB)





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