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平成13年横審第96号
件名

貨物船日日丸油送船佐平丸衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年3月26日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(黒岩 貢、半間俊士、小須田 敏)

理事官
供田仁男

受審人
A 職名:日日丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:日日丸二等航海士 海技免状:三級海技士(航海)
C 職名:佐平丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
D 職名:佐平丸二等航海士 海技免状:六級海技士(航海)

損害
日日丸・・・左舷外板中央部に大破口、浸水し沈没
佐平丸・・・船首部を圧壊

原因
佐平丸・・・狭視界時の航法(信号、レーダー、速力)不遵守(主因)
日日丸・・・狭視界時の航法(信号、レーダー、速力)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、佐平丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことによって発生したが、日日丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことも一因をなすものである。
 受審人Dの六級海技士(航海)の業務を1箇月15日停止する。
 受審人Bの三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年8月2日01時50分
 伊豆半島南方沖合

2 船舶の要目
総トン数 4,382トン 749トン
全長 108.22メートル 74.08メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 4,118キロワット 1,471キロワット

3 事実の経過
 日日丸は、船首船橋型自動車運搬船で、A、B両受審人ほか8人が乗り組み、自動車約100台を積載し、船首4.15メートル船尾5.18メートルの喫水をもって、平成13年8月1日16時00分名古屋港を発し、京浜港川崎区に向かった。
 A受審人は、船橋当直を各直に甲板手1人を配す4時間交代3直制とし、08時から12時を自らが入り、00時から04時及び12時から16時をB受審人に、04時から08時及び16時から20時を一等航海士に、20時から00時を甲板長にそれぞれ行わせ、平素から、視程が2海里以下に狭まったとき、当直中不安を感じたときなど、何かあればいつでも報告するよう指導していたほか、レーダープロッティングの励行等を記載した「霧中時当直の心得」と称する覚書を操舵室に張り出していた。また、A受審人は、各主要地点の通過予定時刻を記載した航海計画表を用意し、各当直者で適宜速力を調整してこれに合わせるよう指示していた。
 出航後A受審人は、名古屋港の港域を出るまで在橋し、その後17時50分から昇橋して伊良湖水道通過時の操船に当たり、18時50分当直を一等航海士に引き継いだが、その際、視界制限時の報告についても念を押したものの、そのことを各当直者にも申し伝えるよう指示せず、降橋して自室で休息した。
 翌2日00時00分B受審人は、御前埼灯台から105度(真方位、以下同じ。)11.2海里の地点において、法定灯火の表示を確認したのち前直の甲板長から当直を引き継ぎ、航海計画表の神子元島通過予定時刻である02時に合わせるため、00時30分機関を全速力前進から少し減じた12.2ノットの対地速力(以下「速力」という。)とし、01時30分神子元島灯台から249度5.5海里の地点に達したとき、針路を神子元島の南2.2海里付近に向首する095度に定め、自動操舵により進行した。
 01時40分B受審人は、自船を追い越して左舷船首方2海里にいた船舶の船尾灯が見えなくなり、それまで6海里ほどあった視程が2海里以下になったことを知ったが、もう少し様子を見ることにしてA受審人に報告せず、まもなく視程が1海里に狭まったものの、霧中信号を行うことも、安全な速力に減ずることもなく、ときどき6海里レンジとした衝突予防援助装置(以下「アルパ」という。)付きレーダーを見ながら続航した。
 ところで、日日丸のアルパ付きレーダーは、捕捉した物標の進行方向をその速力に応じた長さのベクトルで表示し、また、捕捉した任意の1物標について針路、速力、最接近距離等を数値として表示することもできた。B受審人は、主に、物標のベクトル表示を見てレーダー監視を行っていたが、その場合、物標が中心点に近づくに従ってその針路、最接近距離の予測は難しくなり、レーダーレンジを小範囲に切り替える必要があった。
 01時41分半B受審人は、神子元島灯台から233度3.5海里の地点に達したとき、左舷船首5度3.1海里のところに佐平丸のレーダー映像を初めて認め、さらに、その後方にも3隻の大型船らしき映像を探知したことから、これらをアルパで捕捉して神子元島を過ぎてからの動きに注目していたところ、同時44分左舷船首4度2.2海里に接近した佐平丸のベクトルが290度方向に向き、他の3隻のものは変わらず、そのまま南西進する様子であることが分かった。
 B受審人は、これで佐平丸は左舷側を航過して伊豆半島南西岸沿いに北上し、他の3隻は右舷側を離れて通過するものと判断していたところ、01時45分半神子元島灯台から222度3.0海里の地点に至り、左舷船首6度1.7海里となった佐平丸のベクトルが270度方向に変わっているのを認めた。
 このときB受審人は、6海里レンジのレーダー画面に表示された佐平丸のベクトル表示を一瞥(べつ)し、少し右転して航過距離を広げれば安全に替われるものと思い、3海里レンジに切り替えて同船の針路、最接近距離を数値表示で確認するなど、レーダーによる動静監視を十分に行わなかったので、すでに著しく接近することを避けることができない状況となっていることに気付かず、針路を5度右に転じて100度としただけで、針路を保つことのできる最小限度の速力に減ずることも、必要に応じて停止することもなく進行したが、このころから霧が濃くなって急速に視程が狭まった。
 01時48分B受審人は、依然、レンジを6海里としたままのレーダーを見たところ、0.7海里まで接近した佐平丸の映像からベクトル表示が消え、アルパによる追尾ができなくなったことから、操舵スタンド後方に立った甲板手に左舷側に見えてくるはずの佐平丸の灯火を双眼鏡で探させ、自らもレーダーから離れて双眼鏡を手に同船の灯火を探し始めた。
 01時49分半B受審人は、左舷船首40度300メートルに佐平丸の白、緑2灯を認め、直ちに手動操舵に切り替えて右舵一杯をとらせようとしたところ、先にレーダーで認めた右舷側を南西進する大型船が気になって右舵10度だけ令し、佐平丸に対し探照灯を照射したが及ばず、01時50分神子元島灯台から205度2.6海里の地点において、日日丸は、原速力のまま、120度を向首したその左舷側中央部に、佐平丸の船首がほぼ直角に衝突した。
 A受審人は、衝突の衝撃で昇橋し、事後の措置に当たった。
 当時、天候は霧で風力2の南風が吹き、潮候は上げ潮の末期で、視程は約300メートルであった。
 また、佐平丸は、船尾船橋型油送船で、C、D両受審人ほか4人が乗り組み、C重油約1,900キロリットルを積載し、船首3.90メートル船尾5.20メートルの喫水をもって、同年8月1日19時06分京浜港横浜区を発し、法定灯火を表示して静岡県田子の浦港へ向かった。
 C受審人は、船橋当直を単独の4時間交代3直制とし、00時から04時及び12時から16時をD受審人に、04時から08時及び16時から20時を一等航海士に、08時から12時及び20時から00時を自らがそれぞれ行うこととし、狭水道通過時、視界不良時のほか、当直者から要請のあった場合には昇橋して操船の指揮をとることにしていた。また、C受審人は、視程1海里以下になったら船長に報告することなどを記載した「当直心得」と称する書面を各航海士に持たせるとともに、操舵室に航海当直交代引継帳を用意し、その時々の航海中の注意事項を記載して各航海士に読ませ、署名させていた。
 出航操船後C受審人は、引き続き単独の当直に立ち、23時55分伊豆大島の西方沖合でD受審人に当直を引き継いだが、その際、平素から前示のような指導を行っていたため、とりたてて視界制限時の報告について指示せず、降橋して自室で休息した。
 自動操舵のまま当直を交代したD受審人は、船首が左右各2度ばかり振れる状態で伊豆半島南東岸沿いを南西進し、途中、それまで6海里程度あった視程が2海里に狭まる状況下、01時34分半神子元島灯台から126度1.5海里の地点に達したとき、針路を216度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.9ノットの速力で自動操舵により進行した。
 定針したころD受審人は、神子元島灯台の灯光が見えなかったため、視程がさらに狭まり、1海里程度となったことを知ったが、当直を終えて休息したばかりのC受審人を気遣い、同人に報告せず、霧中信号を行うことも、安全な速力に減ずることもなく、ときどき3海里レンジとしたレーダーを見ながら続航した。
 ところで、佐平丸のレーダーは、映像の基準を自船の船首方向と同期させる相対方位指示と呼ばれる表示方式で使用されていた。この表示方式は、映像と視認情報の対照が容易であるが、船首の振れや転針により映像全体が動くこととなり、レーダープロッティング等により系統的なレーダー監視を行わないと対象物標の方位変化の確認がしにくかったが、D受審人は、レーダープロッティングの方法を知っていても、実際に行ったことはほとんどなく、探知した映像にときどきカーソルを合わせるだけで方位変化の有無を判断しており、当時、船首が左右各2度ばかり振れる状態であったため、レーダーによる十分な動静監視が行えない状況となっていた。
 01時41分半D受審人は、神子元島灯台から171度2.1海里の地点に達したとき、右舷船首54度3.1海里に日日丸のレーダー映像を初めて認め、同時42分神子元島灯台から173度2.2海里の予定転針地点に達したことから、自動操舵の針路調整つまみをわずかずつ回して右回頭を開始したが、このころ霧が濃くなって視程が500メートルに狭まった。
 01時43分半D受審人は、神子元島灯台から179度2.2海里の地点で針路が290度に整定したとき、日日丸のレーダー映像を左舷船首18度2.4海里に認めるようになったが、ときどきカーソルで方位変化を確認するだけで大丈夫と思い、レーダープロッティングの実施など、レーダーによる動静監視を十分に行わないまま進行した。
 01時44分半D受審人は、神子元島灯台から184度2.2海里の地点に達したとき、日日丸のレーダー映像が左舷船首20度2.0海里となり、同船と左舷対左舷で航過することが分かる状況となったが、レーダーによる動静監視が不十分であったため、このことに気付かず、たまたまカーソルを合わせた同映像の方位が以前のものと変化なく、針路が前路で交差しているように思えたことから、同船と著しく接近する事態を避けるための動作として針路を左に転ずることとし、コンパスを見ないまま、自動操舵の針路調整つまみをわずかずつ回して左回頭を開始した。
 01時45分半D受審人は、神子元島灯台から189度2.2海里の地点において、針路が265度に整定したとき、日日丸の映像を右舷船首4度1.7海里に認め、著しく接近することを避けることができない状況となったが、依然、レーダーによる動静監視不十分でこのことに気付かず、これで右舷を対して無難に航過できると判断し、針路を保つことができる最小限度の速力に減ずることも、必要に応じて停止することもなく続航した。
 01時47分少し過ぎD受審人は、1海里に接近した日日丸の映像が船首輝線に近づいてきているように感じたことから、航過距離を広げようと自動操舵の針路調整つまみを回して針路をわずかに左に転じ、その後さらに視程が狭まる中、ますます接近する同船に対し、同じ意図をもって左転を繰り返しながら進行中、同時49分半針路が210度のとき、右舷船首30度300メートルに日日丸の探照灯を認め、まもなく紅灯も認めたことから、機関を中立として操舵を手動に切り替え、右舵一杯としたが及ばず、佐平丸は、ほぼ原速力のまま、210度を向首して前示のとおり衝突した。
 C受審人は、衝突の衝撃で昇橋し、事後の措置に当たった。
 衝突の結果、日日丸は、左舷外板中央部に大破口を生じ、同所からの浸水により同日16時08分神子元島灯台から203度7.2海里の地点において沈没し、佐平丸は、船首部を圧壊したが、のち修理され、日日丸の全乗組員は、衝突後まもなく救命筏(いかだ)で退船し、佐平丸に救助された。

(原因)
 本件衝突は、夜間、霧のため視界が著しく制限された伊豆半島南方沖合において、西行する佐平丸が、安全な速力にせず、レーダーによる動静監視不十分で、著しく接近する事態を避けるための動作として針路を左に転じたばかりか、著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて停止しなかったことによって発生したが、東行する日日丸が、安全な速力にせず、レーダーによる動静監視不十分で、著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて停止しなかったことも一因をなすものである。
 佐平丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限状態時の報告についての指示が十分でなかったことと、船橋当直者の視界制限時の報告及び措置が適切でなかったこととによるものである。
 日日丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限状態時の報告についての指示が十分でなかったことと、船橋当直者の視界制限時の報告及び措置が適切でなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
 D受審人は、夜間、霧のため視界が著しく制限された伊豆半島南方沖合を西行中、東行する日日丸をレーダーで認めた場合、同船と著しく接近することとなるかどうか判断できるよう、レーダープロッティング等による系統的な観察により、レーダーによる動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、ときどきカーソルで方位変化を確認するだけで大丈夫と思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、著しく接近する事態を避けるための動作として針路を左に転じたばかりか、著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて停止することもなく進行して日日丸との衝突を招き、自船の船首を圧壊し、日日丸の左舷側中央部に破口を生じさせ、同所からの浸水により同船を沈没せしめるに至った。
 以上のD受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の六級海技士(航海)の業務を1箇月15日停止する。
 B受審人は、夜間、霧のため視界が著しく制限された伊豆半島南方沖合を東行中、西行する佐平丸をレーダーで認めた場合、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったかどうかを判断できるよう、レーダーレンジを小範囲に切り替えたうえ、アルパにより表示される佐平丸の針路、最接近距離等を数字で確認するなど、レーダーによる動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに同人は、6海里レンジで見た佐平丸のベクトル表示とそれから推測した最接近距離だけで少し右転して航過距離を広げれば安全に替われるものと思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、佐平丸と著しく接近することを避けることができない状況となったことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減ずることも、必要に応じて停止することもなく進行して佐平丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を招き、自船を沈没せしめるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 C受審人が、夜間、部下に船橋当直を引き継ぐ際、視界制限状態となった際の報告についての指示が十分でなかったことは、本件発生の原因となる。
 しかしながら、以上のC受審人の所為は、視界制限時の報告について記載した当直心得と称する書面を各航海士に渡しておくなど、平素から十分に視界制限状態となった際の報告について部下を指導している点に徴し、職務上の過失とするまでもない。
 A受審人が、夜間、部下に船橋当直を引き継ぐ際、視界制限状態となった際の報告についての指示が十分でなかったことは本件発生の原因となる。
 しかしながら、以上のA受審人の所為は、霧中航行について別途船橋に注意事項を表示するなど、平素から十分に視界制限状態となった際の報告について部下を指導している点に徴し、職務上の過失とするまでもない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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