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平成13年門審第54号
件名

漁船第二十五日昇丸貨物船オリエンタル フェニックス衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年2月21日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(橋本 學、佐和 明、米原健一)

理事官
畑中美秀

受審人
A 職名:第二十五日昇丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
日昇丸・・・船首部を圧壊
オ号・・・左舷中央部外板に凹損

原因
日昇丸・・・居眠り運航防止措置不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
オ号・・・横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、第二十五日昇丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、前路を左方に横切るオリエンタル フェニックスの進路を避けなかったことによって発生したが、オリエンタル フェニックスが、衝突を避けるための協力動作をとることが遅れたことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年7月12日15時25分
 大隅海峡

2 船舶の要目
船種船名 漁船第二十五日昇丸 貨物船オリエンタル フェニックス
総トン数 19トン 27,658トン
全長   158.98メートル
登録長 18.94メートル  
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力   6,619キロワット
漁船法馬力数 160  

3 事実の経過
 第二十五日昇丸(以下「日昇丸」という。)は、専らまき網船団の灯船として使用されるFRP製漁船で、A受審人が1人で乗り組み、操業の目的で、船首0.70メートル船尾1.20メートルの喫水をもって、平成12年7月12日13時50分鹿児島県内之浦漁港を発し、種子島東方沖合のまき網漁場へ向かった。
 ところで、A受審人は、いずれも内之浦漁港を基地とする、網船1隻、運搬船2隻及び自船を含む灯船2隻の計5隻で船団を組み、時化(しけ)の日や満月前後の約5日間を除き、連日、夕刻出漁して夜通し操業を行い、翌朝、種子島の西之表港又は内之浦漁港のいずれかに帰港して休息をとり、夕刻、再び出漁するという就業形態を繰り返していたものであった。
 そして、A受審人は、その間、灯船に1人で乗り組んでいたことから、操業中や漁港と漁場間の航行中は休息することができず、また、入港中も、機関の保守点検作業などで、十分な睡眠をとることができなかったので、過労気味であったが、長年にわたって同様の就業形態で操業に従事していたことから、当日も休むことなく平素のとおり出漁したものであった。
 発航後、A受審人は、船橋内の舵輪後方に設置されたいすに腰を掛けて見張りを行い、14時10分火埼灯台から090度(真方位、以下同じ。)0.3海里の地点に達したとき、針路を185度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、折からの潮流の影響を受けて東方へ圧流されながら実航針路177度、対地速力10.4ノットで進行した。
 しばらくして、A受審人は、目視でもレーダーによっても周囲に危険な他船を見受けなくなったことから、やや緊張が緩み、加えて過労気味であったことなどが起因して眠気を覚えるようになったが、眠気覚ましに缶コーヒーを飲んでいたので、まさか居眠りに陥ることはあるまいと思い、立ち上がって外気に当たったり、僚船と無線電話で話すなどして、より効果的な居眠り運航の防止措置をとらなかったので、15時00分ころ火埼灯台から175度8.7海里付近に至ったとき、いすに腰を掛けた姿勢のまま、いつの間にか居眠りに陥った。
 こうして、A受審人は、15時20分少し前火埼灯台から175.5度12.1海里の地点に至ったとき、右舷船首25度2.0海里のところに、オリエンタル フェニックス(以下「オ号」という。)を視認することができ、その後、同船が、自船の前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近する状況となったが、居眠りに陥っていたため、このことに気付かず、速やかに、その進路を避けることなく続航中、15時25分火埼灯台から175.5度13.0海里の地点において、日昇丸は、原針路、原速力で、その船首が、オ号の左舷中央部に後方から67度の角度で衝突した。
 当時、天候は曇で風力4の北西風が吹き、視界は良好であった。
 また、オ号は、専ら自動車輸送に従事する船首船橋型貨物船で、船長M及び二等航海士Uほか22人が乗り組み、空倉で、船首5.54メートル船尾7.36メートルの喫水をもって、同年6月21日08時50分(現地時間)クウェート国クウェート港を発し、広島県因島へ向かった。
 出航後、M船長は、船橋当直を3人の航海士による4時間交替3直制に定め、各直に操舵手1人を割り当てた当直態勢で、アラビア海からインド洋を経てマラッカ海峡に入り、翌7月4日シンガポール海峡を通過したのち、南シナ海及び東シナ海を大隅海峡へ向けて北上した。
 越えて、12日12時00分U二等航海士は、大隅海峡の硫黄島南方8海里付近で前直の三等航海士と当直を交替し、13時20分佐多岬灯台から180度14.8海里の地点に至ったとき、針路を053度に定めて自動操舵とし、関埼パイロットステーション到着時間に合わせ、機関を全速力前進からやや減じて14.0ノットの対水速力とし、同海峡を東北東方へ流れる黒潮に乗じて15.3ノットの対地速力で進行した。
 15時08分U二等航海士は、火埼灯台から189度15.8海里の地点に至ったとき、左舷前方6.4海里付近に、南下する日昇丸を目視により初認し、しばらくして、その航行模様などから同船が航行中であることを確認した。
 そして、U二等航海士は、15時20分少し前火埼灯台から180度13.8海里の地点に達したとき、日昇丸が左舷船首23度2.0海里に接近し、その後、同船が、前路を右方に横切り衝突のおそれがある態勢で、なおも接近する状況となったが、自船が保持船であったことから、同じ針路、速力で続航した。
 こうして、U二等航海士は、同じ針路、速力で進行中、15時22分日昇丸までの距離が1.1海里となったとき衝突の危険を感じ、VHFで呼び出しを行いながら汽笛により短音5回を吹鳴したものの、同船が依然として避航の気配を示さないまま接近してきたため、同時24分半距離350メートルとなったとき、操舵手に命じて手動操舵に切り替え、右舵一杯としたが、及ばず、オ号は、その船首が118度を向いたとき、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、日昇丸は船首部を圧壊したがのち修理され、オ号は左舷中央部外板に凹損を生じるに至った。
 M船長は、汽笛を聞いて急遽(きゅうきょ)昇橋して衝突の事実を知り、直ちにU二等航海士と操船指揮を交替して事後の措置に当たった。

(原因)
 本件衝突は、大隅海峡において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、南下する日昇丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、前路を左方に横切るオ号の進路を避けなかったことによって発生したが、東行するオ号が、衝突を避けるための協力動作をとることが遅れたことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、大隅海峡において、鹿児島県内之浦漁港から種子島東方沖合の漁場へ向けて南下中、眠気を覚えた場合、居眠り運航とならないよう居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。ところが、同人は、眠気覚ましに缶コーヒーを飲んでいたことから、まさか居眠りに陥ることはあるまいと思い、立ち上がって外気に当たったり、僚船と無線電話で話すなどして、より効果的な居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、いつの間にか居眠りに陥り、衝突のおそれがある態勢で接近するオ号に気付かず、その進路を避けることなく進行して同船との衝突を招き、自船の船首部を圧壊させ、オ号の左舷中央部に凹損を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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