(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年7月13日02時53分
瀬戸内海 安芸灘南部
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船第一千代丸 |
貨物船アサマ |
総トン数 |
199トン |
1,478トン |
全長 |
55.44メートル |
73.04メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
625キロワット |
1,029キロワット |
3 事実の経過
(1) 指定海難関係人Nナビゲーション株式会社
指定海難関係人Nナビゲーション株式会社(以下「Nナビゲーション」という。)は、昭和53年12月Nナビゲーションサービス株式会社(平成3年9月現社名に変更)として資本金2,400万円で本社を神戸市に置いて船舶部及び運航部等の3部門制を採り、更に東京営業所を配して船舶運航及び海上運送取扱業等の海運事業を目的に設立された。そして、Iが代表取締役及びMが船舶部長として、平成13年現在貨物船アサマを含む13隻をもって主に日本と中華人民共和国との間の不定期航路の運航にあたり、運航船舶の配乗要員の手配をフィリピン共和国マニラ市のマンニング会社E
ナビゲーション カンパニーほか2社に行わせていた。その際、同マンニング会社に対して配乗する船長の要件として日中航路及び瀬戸内海航行等の経験を有する者を人選するよう要請し、更に採用が予定された乗組員の履歴書等を入手し検討のうえで乗船許可を与えるようにしていた。なお、乗船者に対しては事前に自社作成のゼネラル
インストラクション(会社概要及び航行に対する安全等に関するもの。)を配布して指導を行い、本邦に入航した際には訪船して航海に関する資料の提供及び指導するなどして各船の運航管理を行っていた。また、平成13年3月にはそれまで自社が関わった海難事故を踏まえて安全運航に関する手引書(その内容は、安全運航、環境保護、非常配置表、海難通報、操練・船上訓練、油流出事故対応、狭水道航行、狭視界航行及び荒天航海に関するもの。)を整備して各船に配布し、一層乗組員の指導を行うようになった。
こうして、Nナビゲーションは、アサマの船長として配乗したP(以下「P船長」という。)に対しても、2000年10月に乗船の折に同様の措置をとったほか、本件発生直前に兵庫県飾磨港寄港の際にも訪船して来島海峡の潮流に関わる航法等について確認及び指示を行ったりしていたが、会社として本船に対して必要な助言を与えても、基本的には船長が操船に関する事項等を含めて最終的な判断を行うようにさせていた。
ところが、国際海事機関の決議により1993年「船舶の安全航行及び汚染防止のための国際管理コード」(以下「ISMコード」という。)が採択されたことから、1998年7月以降国際航路に従事する旅客船、総トン数500トン以上の油タンカー・ケミカルタンカー・ガスキャリア・ばら積船及び高速貨物船、さらに2002年7月1日から総トン数500トン以上のその他の船舶の部類に属する運航船舶が同コード対象船舶として強制適用されることになり、各船舶運航会社は配下の運航船舶の厳しい安全管理を求められることになった。
そこで、Nナビゲーションは、運航する船舶が総トン数500トン以上のその他の船舶の部類に属することから、ISMコードに基づく安全管理システムの検討を行い、それまで独自に採用してきた安全運航に関する手引書を見直して同コードに基づいて文書化したものを作成し、それによる運航管理を実施すべく準備を進め、平成13年11月22日付で同コードに関わる申請である「安全管理システムに関わる会社」の審査申込書を財団法人日本海事協会に提出した。一方、ISMコードの運用に先だって従来の手引書に船員職務及び船橋機関当直の規定を追加した安全教育書を各船に配布し、また安全対策会議において同コードの運用に備えて陸上社員にも周知を計った。
(2) 本件発生に至る経緯
第一千代丸(以下「千代丸」という。)は、船尾船橋型鋼製貨物船でA及びB両受審人ほか1人が乗り組み、チップ450トンを載せ、船首2.55メートル船尾4.00メートルの喫水をもって、平成13年7月12日11時00分宮崎県油津港を発し、愛媛県三島川之江港に向かった。
ところで、A受審人は、平素から船橋当直を自らを含むB受審人及び実質オーナーでもある機関長の3人による4時間3直制の単独当直で行い、しかも全員が船橋当直の経験を有する甲板部有資格者であったので、狭水道等の通航時でも各当直者の単独当直によって行っていた。その中でもB受審人は同級生で船長経験も豊かであったので、同人に対して船橋当直に関する注意事項や指示を与えるまででもなかった。
こうして、A受審人は、油津港出航後17時から21時までの船橋当直を済ませて次直の機関長と当直を交替する際にも、特に当直に関する指示を出さないまま、自室に退いて休息した。
翌13日00時10分B受審人は、伊予灘東部青島南西5海里付近で船橋当直を交替するため昇橋し、いつものとおり航海灯の点灯状況を確認したうえで前直の機関長と交替して当直に就き、機関を全速力前進にかけて伊予灘東部を東行した。01時10分由利島を通過したころから霧のため視界が狭められた状態となったので、一時機関を減速して手動による霧中信号を吹鳴しながら当直を続けた。
01時23分A受審人は、釣島南西方3海里付近に達したころ、自船が吹鳴する霧中信号と減速されたことに気付いて昇橋したが、当直中のB受審人にそれまでどおり当直を任せたままで支障ないものと思い、自ら操船指揮を執ることなく、そのまま在橋して時折レーダーを覗き船橋左ウイングで見張っていた。
一方、B受審人は、その後一時的に視界の回復兆しを認め、更に前方に他船も見当らなかったので、再び機関を増速して釣島水道を東行した。しかし、安芸灘南航路第2号灯浮標(以下、灯浮標の名称中の「安芸灘南航路」を省略する。)を航過したころから、再び霧のため視程が100メートル以下の状態となったので、02時35分波妻ノ鼻灯台から268度(真方位、以下同じ。)0.6海里の地点に達したところで、針路を海図記載の推薦航路線(以下「推薦航路線」という。)の南側に向かうことになる041度に定め、機関を半速力に減じて折からの北東流に乗じて8.0ノットの対地速力(以下、速力は対地速力である。)で自動操舵により進行した。
その後もB受審人は、手動により霧中信号を行いながら続航中、02時39分半前方4海里にアサマのレーダー映像を初めて探知した。同時43分半前路3海里に同映像を認めるようになり、予期に反して同船が推薦航路線の南側を反航してくることに不審を抱き、またその後同船と著しく接近することを避けることができない状況であったが、そのうちに同船が右転して自船の進路を避けるものと思い、昇橋中のA受審人と適切な対処の仕方を相談するなり操船を委ねるなどの措置をとることなく、そのまま操船を続け、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、さらに必要に応じて行きあしを止めることもなく進行した。間もなく、02時49分少し前ほぼ正船首1海里にアサマのレーダー映像を認めるようになったところで、同船を左舷側に替すつもりで長音1回を吹鳴して20度ばかり右転し機関を極微速力前進に減じて続航中、同時50分少し前左舷側ウイングにいたA受審人の「わあ、前方に船が見えた。」の叫び声と同時に左舷前方至近にアサマの白灯2個を鉛直線状に視認し、同船の前路から脱しようとして機関を全速力前進にかけたが及ばず、02時53分波妻ノ鼻灯台から030度2.1海里の地点において、千代丸は、060度を向首した状態の左舷側後部に、アサマの船首が前方から60度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風力1の南西風が吹き、視程は約100メートルで、衝突付近には約0.7ノットの北東流があった。
また、アサマは、主として日本と中華人民共和国との間の不定期航路に就航する船尾船橋型鋼製貨物船で、P船長及び三等航海士S(以下「S三等航海士」という。)を含むフィリピン人船員8人が乗り組み、鋼材990トンを載せ、船首2.70メートル船尾3.90メートルの喫水をもって、同月12日15時50分兵庫県姫路港飾磨区を発し、瀬戸内海を経る進路で大韓民国釜山港に向かった。
ところで、P船長は、船橋当直を3人の航海士による単独4時間3直制を採り、それまでの本邦各地及び瀬戸内海の航行経験から狭水道や狭視界時等の航行の際には、自らが操船指揮を執るようにしていた。
翌13日01時20分P船長は、備後灘航路第1号灯浮標付近に達したころ、来島海峡通峡のため昇橋して操船指揮を執り、当直中のS三等航海士を見張り兼操舵にあたらせ、機関を全速力前進にかけて同海峡東口に向かった。その後来島海峡に近づくに伴って霧のため視界が著しく狭められた状況となり、霧中信号を行いながら同海峡西水道を経て来島海峡航路の南端に寄って西行した。
ところが、02時17分P船長は、推薦航路線の南側にあたる来島梶取鼻灯台から253度0.9海里の地点に達したとき、依然として視界が制限された状態であったので、引き続き操船指揮を執って針路を221度に定め、機関を全速力前進にかけたまま折からの北東流に抗して11.3ノットの過大な速力でそのまま同航路線の南側に向かって進行した。02時43分半船首少し右3海里に千代丸のレーダー映像を初めて探知し、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況であったが、そのまま右舷を対して航過することができると考え、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めないまま続航した。同時51分半同船が前路約0.5海里に接近したころ、レーダー感度の調整不良のためから同船のレーダー映像を明瞭に判読できないまま不安を感じて進行中、突然前路至近に千代丸の白灯を視認して右舵一杯を令したところ、慌てた当直航海士が一瞬左舵を取りすぐに右舵に取り直したが及ばず、アサマは、180度を向首して全速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、千代丸は左舷側後部外板に生じた破口から機関室に浸水して沈没し、アサマは左舷船首外板に小凹損を生じ、またA受審人は全身打撲傷及びB受審人は左足第3指骨折傷をそれぞれ負った。