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平成13年函審第40号
件名

漁船第八福重丸貨物船スルグット衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年2月26日

審判庁区分
函館地方海難審判庁(工藤民雄、安藤周二、織戸孝治)

理事官
大石義朗

受審人
A 職名:第八福重丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
指定海難関係人
B 職名:第八福重丸漁労長

損害
福重丸・・・右舷船首部から中央部にかけてのブルワークに凹損、船尾部の門型マストに曲損
ス 号・・・船首材及び右舷船首部外板に擦過傷

原因
ス 号・・・狭視界時の航法(信号、レーダー、速力)不遵守

主文

 本件衝突は、スルグットが、視界制限状態における運航が適切でなかったことによって発生したものである。 

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年4月11日05時15分
 青森県尻屋埼北東方沖合

2 船舶の要目
船種船名 漁船第八福重丸 貨物船スルグット
総トン数 75トン 1,577トン
全長 31.21メートル 80.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 485キロワット 1,150キロワット

3 事実の経過
 第八福重丸(以下「福重丸」という。)は、可変ピッチプロペラを装備した船首船橋型の鋼製漁船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか6人が乗り組み、ほっけ底引き網漁の目的で、船首1.4メートル船尾3.6メートルの喫水をもって、平成13年4月11日03時00分青森県大畑港を発し、尻屋埼北東方沖合の漁場に向かった。
 ところで、福重丸の底引き網の漁法は、かけ回し式と呼ばれ、左舷側曳網索の端に取り付けられた浮標を海面に投入し、航走しながら同索を約1,200メートル繰り出して針路を左に変え、更に同索を約400メートル延出したところで、左転するとともに減速して長さ約300メートルの網部を投網し、その後針路を左に変えて速力を上げ、右舷側曳網索を繰り出しながら航走し、同索を約800メートル延出したところで左転して浮標に向かい、浮標を収納して左舷側曳網索の端を取り込み、左右の曳網索を張り合わせて網の沈下を待ったのち曳網に移るものであった。
 A受審人は、発航時から単独で船橋当直に就いて北東進し、04時30分ごろ尻屋埼北東方5海里付近の漁場に到着したとき、休息していた、一級小型船舶操縦士の免状を受有して豊富な操船経験を有するB指定海難関係人を起こし、自らは操舵室後部でトロールウインチのハンドル操作に当たって第1回目のかけ回し漁に取り掛かることとし、同指定海難関係人に操船を行わせた。
 B指定海難関係人は、魚群の探索を行ったのち、04時50分尻屋埼灯台から049度(真方位、以下同じ。)5.35海里の地点において、霧のため視程が約100メートルに制限された状況下、航海灯のほか操舵室上のマストに黄色回転灯、船尾の門型マストに船尾甲板を照射する投光器2個を点灯し、更にトロールにより漁労に従事していることを示す形象物を操舵室上のマストに掲げてかけ回し漁を始め、浮標を投下したのち針路を000度に定めて自動操舵とし、機関を前進にかけ6.5ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、操舵室右舷側でレーダーの後ろに立ち見張りと操船に当たって、左舷側の曳網索を繰り出しながら進行した。
 04時56分B指定海難関係人は、針路を280度に転じ、更に同時58分針路を235度に転針して減速し、約300メートルの網部を投入した後、05時01分尻屋埼灯台から042度5.55海里の地点で針路を180度に転じ、8.6ノットの速力に増速して右舷側の曳網索を繰り出して続航した。
 転針したときB指定海難関係人は、無線電話で僚船から自船の方に向かう態勢の貨物船があるとの情報を得て、6海里レンジとしたレーダーを見て左舷船首方3海里ばかりにスルグット(以下「ス号」という。)の映像を認め、その後漁労に従事している船舶の霧中信号の吹鳴を開始し、05時04分尻屋埼灯台から44.5度5.25海里の地点に差し掛かったとき、針路を浮標に向かう120度に転針し、同船に留意しながら進行した。
 05時07分B指定海難関係人は、尻屋埼灯台から049度5.3海里の地点に達して浮標に戻り、可変ピッチプロペラの翼角を0度とし、更に機関のクラッチを中立として停留したのち浮標の収納を始めたとき、ス号の映像が右舷船首44度1.4海里になったことを知った。
 こうしてB指定海難関係人は、レーダーを3海里レンジに切り替えてス号の監視に当たったところ、同船の映像が自船に向け著しく接近することを避けることができない状況となって近づいてくるので、05時09分注意を喚起するつもりで、汽笛を自動吹鳴に切り替え長音を繰り返し鳴らして様子を見守った。
 一方、A受審人は、05時10分左右の曳網索の張り合わせを終えたとき、揚網作業に取り掛かる前までに食事を済ませておこうと考え、B指定海難関係人に当直を任せて降橋した。
 05時12分半、B指定海難関係人は、ス号が0.5海里以内に近づき、同船の映像が海面反射で識別できなくなったので、長音を鳴らし続けながら、レーダーの調整を行って前方を見たとき、同時15分少し前、右舷船首至近に迫ったス号の黒い船体を認めたがどうすることもできず、05時15分尻屋埼灯台から049度5.3海里の地点において、福重丸は、135度に向いていたとき、その右舷船首部にス号の右舷船首が前方から29度の角度で衝突した。
 当時、天候は霧で風はほとんどなく、視程は約100メートルで、潮候は下げ潮の初期にあたり、日出時刻は05時05分であった。
 A受審人は、食堂で食事中に衝撃を感じ、上甲板に出たところで衝突を知り、急いで昇橋して事後の措置に当たった。
 また、ス号は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、船長Z及び一等航海士Mほか21人が乗り組み、中古の乗用車41台を積載し、船首1.8メートル船尾4.4メートルの喫水をもって、同月10日06時00分宮城県石巻港を発し、ロシア連邦ナホトカ港に向かった。
 翌11日02時00分M一等航海士は、むつ小川原港東方16海里付近で、前直の二等航海士から船位、針路及び付近の船舶や視界の状況を引き継いで甲板員とともに船橋当直に就き、機関を全速力前進にかけて10.0ノットの速力で、津軽海峡に向け北上した。
 04時00分M一等航海士は、尻屋崎灯台から139度11.2海里の地点に達したとき、霧のため視界が約100メートルに制限される状況であったが、霧中信号を行うことも安全な速力に減じることもなく、針路を344度に定め、機関を全速力前進にかけたまま同じ速力で、甲板員を手動操舵に配置し、自らはレーダーのレンジを適宜切り替えながら見張りに当たって続航した。
 M一等航海士は、05時07分尻屋埼灯台から063度4.95海里の地点に達したとき、4海里レンジとしたレーダーで正船首1.4海里のところに、底引き網漁に従事して停留状態の福重丸の映像を探知でき、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、周囲の他船に気をとられ、レーダーによる見張りを十分に行っていなかったので、この状況に気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行きあしを停止することなく進行した。
 05時13分少し過ぎM一等航海士は、レーダーを見たとき、正船首0.3海里ばかりに福重丸の映像を探知し、左舷ウイングに出て周囲を確認したものの、その動静がつかめなかったので船橋内に戻り、同時14分半少し過ぎ甲板員に右舵一杯を命じ、次いで自らエンジンテレグラフを操作し、機関を全速力後進として前方を注視したところ、船首至近に福重丸の船体を認めたがどうすることもできず、ス号は、ほぼ原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。
 Z船長は、05時ごろ起床して船橋後部に隣接した海図室に赴き、海図に記入された自船の航跡を確認していたところ、突然機関が後進に操作された振動を感じ、不審に思って船橋に入ったとき、船首至近に迫った福重丸を視認した直後に、同船との衝突を知ったものの事後の措置をとらないまま航行中、海上保安部からの問合わせを受け、その指示により八戸港に寄せ、ス号の損傷状況を見て衝突を認めた。
 衝突の結果、福重丸は、右舷船首部から中央部にかけてのブルワークに凹損を生じたほか、船尾部の門型マストに曲損を生じ、のち修理され、ス号は、船首材及び右舷船首部外板に擦過傷を生じた。

(原因)
 本件衝突は、霧のため視界が著しく制限された尻屋埼北東方沖合において、北上中のス号が、安全な速力とせず、レーダーによる見張り不十分で、底引き網漁に従事して停留状態の福重丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを停止しなかったことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
 B指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:20KB)





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