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平成13年門審第59号
件名

貨物船来恵丸貨物船エバーユニオン衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年1月16日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(佐和 明、橋本 學、島 友二郎)

理事官
畑中美秀

受審人
A 職名:来恵丸船長 海技免状:五級海技士(航海)

損害
来恵丸・・・左舷船首及び船尾部外板に凹損等
エ号・・・右舷後部外板に凹損

原因
エ号・・・追い越しの航法(避航動作)不遵守(主因)
来恵丸・・・見張り不十分、追い越しの航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、エバーユニオンが、来恵丸を確実に追い越し、かつ、十分に遠ざかるまでその進路を避けなかったことによって発生したが、来恵丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。 

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年7月5日21時44分
 宮崎県都井岬南方沖合

2 船舶の要目
船種船名 貨物船来恵丸 貨物船エバーユニオン
総トン数 199トン 69,218.00トン
全長 55.65メートル 285.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 588キロワット 48,631キロワット

3 事実の経過
 来恵丸は、チップ又は鋼材の輸送に従事する船尾船橋型の貨物船で、A受審人ほか2人が乗り組み、チップ500トンを積載し、船首2.20メートル船尾3.30メートルの喫水をもって、平成12年7月5日16時50分鹿児島県種子島の島間港を発し、三重県鵜殿港に向かった。
 A受審人は出航操船を終えたのち、船橋当直を自らが6時から12時及び18時から24時、甲板長が0時から6時及び12時から18時まで単独で行う、6時間交替の2直制に定め、一旦降橋して休息をとり、18時ごろ西之表港西南西沖合3.5海里の地点で再度昇橋して甲板長と当直を交替し、操舵スタンド前方のいすに腰を掛けて見張りに当たり、大隅海峡を北東進した。
 20時00分A受審人は、都井岬灯台から209度(真方位、以下同じ。)24.5海里の地点に至ったとき、針路を036度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて11.3ノットの対地速力で、法定灯火を表示して進行した。
 21時31分A受審人は、都井岬灯台から193度7.7海里の地点に達したとき、左舷船尾28度3.0海里のところに、エバーユニオン(以下「エ号」という。)の白、白、緑3灯を視認することができ、その後同船が自船を追い越す態勢で接近する状況にあったが、15分ほど前に船橋右舷ウイングに出て後方を一瞥した際、エ号の灯火を認めなかったことから同方向には他船はいないものと思い、左舷前方の都井岬沿岸で操業中の数隻の漁船の動向に気をとられ、後方の見張りを十分に行うことなく、エ号に気付かないまま続航した。
 21時42分A受審人は、都井岬灯台から185度5.9海里の地点に至ったとき、エ号が左舷船尾24度840メートルまで接近したが、依然として後方の見張りを十分に行っていなかったのでこのことに気付かず、警告信号を行うことも、更に間近に接近したとき大きく右転するなど衝突を避けるための協力動作をとることもないまま進行中、21時44分都井岬灯台から183度5.6海里の地点において、来恵丸は原針路、原速力のまま、その左舷後部にキック作用により船尾を右舷側に振りながら左回頭中のエ号の右舷後部が後方から6度の角度で衝突し、続いて衝突の衝撃で左に船首を振った来恵丸の左舷前部がエ号の右舷後部に再度衝突した。
 当時、天候は晴で風力3の東北東風が吹き、視界は良好であった。
 また、エ号は、船尾船橋型のコンテナ専用運搬船で、船長T及び三等航海士Rほか14人が乗り組み、コンテナ2,705個、40,810トンを積載し、船首尾とも11.45メートルの喫水をもって、同月3日21時06分(現地時間)中華人民共和国香港を発し、大阪港に向かった。
 T船長は、船橋当直を航海士に操舵手1人を付けた、4時間交替の3直制に定めて東シナ海を北上し、翌々5日18時00分船内時計を1時間進めて日本標準時に合わせ、大隅海峡を通過して太平洋側に出たのち、大隅半島東方沖合を北東進した。
 20時40分R三等航海士は、佐多岬灯台から085度14.2海里の地点で前直の一等航海士と交替し、操舵手と共に当直に就いて操船と見張りに当たり、針路を054度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、24.6ノットの対地速力で、法定灯火を表示して進行した。
 21時31分R三等航海士は、都井岬灯台から207度9.9海里の地点に至り、右舷船首11度3.0海里のところに来恵丸の白灯1個を視認し、その後、同船を追い越す態勢で接近していたが、そのころ、右舷前方に自船の右舷側至近を航過する態勢の第三船の灯火を認めたため、原針路のまま続航した。
 21時38分R三等航海士は、都井岬灯台から196度7.5海里の地点に達したとき、第三船が自船の右舷側を航過し、来恵丸を右舷船首7度1.3海里に見るようになったが、右転して同船を確実に追い越し、かつ、十分に遠ざかるまでその進路を避けることなく、同船の左舷側至近を追い越すこととし、操舵手による手動操舵に切り換え、針路を053度に転じ、その後、同時39分050度に、同時41分048度にと小刻みに左転しながら続航した。
 21時42分R三等航海士は、都井岬灯台から188度6.2海里の地点に達したとき、来恵丸が右舷船首12度840メートルまで接近し、衝突の危険を感じて左舵一杯をとったものの、及ばず、船首が030度を向いたとき、ほぼ原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、来恵丸は左舷船首及び船尾部外板に凹損、船橋左舷ウイングに曲損並びに船首ハッチカバー駆動装置に損傷を生じ、エ号は右舷後部外板に2箇所の凹損を生じた。

(原因)
 本件衝突は、夜間、都井岬南方沖合において、北東進するエ号が、来恵丸を確実に追い越し、かつ、十分遠ざかるまでその進路を避けなかったことによって発生したが、来恵丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、単独で船橋当直に就き、都井岬南方沖合を北東進する場合、後方から接近する他船を見落とさないよう、後方の見張りを十分に行うべき注意義務があった。ところが、同受審人は、左舷前方の都井岬沿岸で操業中の数隻の漁船の動向に気を取られ、後方の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、自船を追い越す態勢で接近するエ号に気付かず、警告信号を行うことも、更に間近に接近したとき大きく右転するなど衝突を避けるための協力動作をとることもないまま進行して同船との衝突を招き、来恵丸の左舷船首及び船尾部外板に凹損、船橋左舷ウイングに曲損並びに船首ハッチカバー駆動装置に損傷を生じさせ、エ号の右舷後部外板に2箇所の凹損を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同受審人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:22KB)





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