日本財団 図書館




 海難審判庁裁決録 >  2002年度(平成14年) > 死傷事件一覧 >  事件





平成13年第二審第14号
件名

漁船第33幸盛丸乗組員死亡事件

事件区分
死傷事件
言渡年月日
平成14年3月13日

審判庁区分
高等海難審判庁(宮田義憲、山?重勝、田邉行夫、川本 豊、山田豊三郎)
参審員(清水逸郎、宮崎芳夫)

理事官
山本哲也

受審人
A 職名:第33幸盛丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
甲板員が胸部圧迫による肺挫傷で死亡

原因
浮子灯の回収作業を行う際、ネットホーラーを停止しなかったこと

二審請求者
理事官千手末年

主文

 本件乗組員死亡は、まき網の揚網中、浮子灯の回収作業を行う際、ネットホーラーを停止しなかったことによって発生したものである。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成10年9月11日02時10分
 鹿児島県小山田湾東方沖合

2 船舶の要目
船種船名 漁船第33幸盛丸
総トン数 19トン
全長 24.13メートル
機関の種類 ディーゼル機関
漁船法馬力数 190

3 事実の経過
(1) 第33幸盛丸の来歴及び操業形態
 第33幸盛丸(以下「幸盛丸」という。)は、鹿児島県知事の許可を受け、奄美大島海域を除く同県沖合一円を操業区域とする中型まき網漁業に従事するFRP製の漁船で、先代の網船の代替船として平成10年8月26日に竣工し、灯船の第八幸盛丸と第三十一幸盛丸、運搬船の第二十五幸盛丸と第三十八幸盛丸とともに計5隻で幸盛丸船団を構成し、主として11月から翌5月の間は種子島及び屋久島沖合で、6月から10月の間は大隈半島沖合で、月夜休みの5日間を除く夜間に、いわし及びさばなどを対象として操業を行うこととし、乗組員は同船団各船を一括公認のうえ雇入れ、作業状況に応じて適宜各船間で交代することにしていた。
 ところで、幸盛丸は、初出漁に先立ち、同年9月1日漁網を積み込んだうえ2日間にわたって海上試運転を行った。その際、乗組員に対して、油圧機器メーカーによって本船に設備した漁ろう機器の試運転やその取扱い方法についての説明が行われたほか、A受審人によって漁ろう上の安全作業と注意事項についての指導が行われた。
(2) 幸盛丸の船体構造
 幸盛丸は、船首楼付き一層甲板船で、甲板上には船首側から順に、船首楼、前部漁ろう甲板、船橋楼、後部漁ろう甲板及び船尾端甲板がそれぞれ設けられていた。
 後部漁ろう甲板は、長さ9メートル幅4.8メートルで高さ1.3メートルのブルワークに囲まれた網置場となっており、その左舷側後部には網捌き機のクレーンポストが設置され、右舷側後部は投網時に網が滑り易いように船尾端甲板までスロープ状に隆起し、網置場の右舷側が船尾端甲板に通じる幅0.5メートルの通路となっており、右舷ブルワーク上には船尾サイドローラーが設置されていた。
 船尾端甲板は、後部漁ろう甲板のブルワーク及び右舷側通路と同じ高さで船縦方向に1.4メートル幅で右舷端から左舷端にわたって設けられ、そこには船横方向に敷設されたレール上にネットホーラーが設置されていた。
(3) 幸盛丸のネットホーラー及び網捌き機
 ネットホーラーは、S技研株式会社が製造したSN1300MR−A型と称する、投網した網を後部漁ろう甲板に巻き上げるための油圧で作動する漁ろう機器で、網を巻き上げる回転装置、網の巻き込み方向を調整する旋回装置及び本体を船横方向に移動させる移動装置から構成されていた。
 回転装置は、最大4.5トンの荷重を1分間に40メートル巻き上げる能力を有する、油圧モータ及び船尾端甲板上1.6メートルの高さに達するドラム部からなり、ドラムの直径は1.3メートルで、その内側には網が滑らないように摩擦力を大きくするため幅0.5メートルでV型の深い溝が設けられ、その船首側下部には網を下方に抑えて揚網効率を向上させるためのプレスローラーが設けられていた。また、その操作方法は同装置の左舷側に設けられた操作ハンドル(以下、各漁ろう機器の操作ハンドルを「子弁」という。)により、ドラムの正転、逆転、停止及び回転速度の調整がそれぞれできるようになっていた。
 旋回装置は、最大トルク1.1トン・メートルの能力を有するモータにより駆動され、同装置の左舷側に設けられた子弁を操作することにより360度旋回が可能であった。
 移動装置は、船尾端甲板下0.5メートルに敷設された長さ5メートル幅0.65メートルの移動用レール、移動ネジ及び移動用モータによって構成され、同モータの子弁を操作することにより移動ネジが回転してレール上のネットホーラーを右舷端から左舷端まで自由に移動させることができた。
 網捌き機は、伸縮、屈折、旋回及び起伏が可能な油圧式マリンクレーンのブーム先端に取り付けられ、直径0.9メートルで内側にV型の深い溝を設けたドラムを回転させ、ネットホーラーで揚収された網を吊り上げて網置場の任意の場所に移動し、甲板員がこれを手繰って次回投網のために整理しながら格納するためのもので、その子弁及びマリンクレーンの子弁はいずれも賄室入口付近に設けられた各油圧機器のバイパス弁(以下「親弁」という。)のところに設置されていた。
 また、ネットホーラーの移動装置を除く全ての子弁は、上記親弁が開弁中にのみ操作可能であった。
(4) 幸盛丸の漁網及び浮子灯
 漁網は、長さ640メートル深さ160メートルのいわし網で、浮子側には長さ18.5センチメートル(以下「センチ」という。)直径17.5センチで3キログラムの浮力を有する浮子1,692個及び浮子灯3個が、沈子側には長さ6センチ直径5センチ重さ0.75キログラムで円筒形をした鉛製沈子1,197個、環綱を通す丸環、環吊綱及び環綱がそれぞれ取り付けられていた。
 浮子灯は、夜間、投網したまき網の形状を確認するときや揚網の残量を確認したりする目的で使用され、単1型乾電池3個を電源とし、光達距離3キロメートルで2秒間に1閃光を発する自動点滅方式の簡易標識灯で、外径18センチ厚さ4.5センチのドーナツ型フロートと一体となっており、網の中央部に1個、その両側に160メートル間隔で各1個、計3個が長さ10メートル直径0.7センチの化学繊維ロープにより、その端を引けば簡単に取り外すことができる二重つなぎ結びで浮子綱に結ばれていた。
(5) 幸盛丸の揚網作業
 揚網作業は、魚群を中心にして網船が右回りで投網を始め、約15分間ほどでその魚群を囲み、投網前に降ろしたレッコボートと称する伝馬船から手綱と環綱の端を受け取り、前部漁ろう甲板の環巻きウインチで環綱の両端を巻き込んで網の底を絞る、いわゆる環締めを行ったのち、丸環を甲板上に引き上げ、環吊綱を同環から外しながらネットホーラーを使用して魚捕り部まで揚網したのち、運搬船の舷側に同魚捕り部の浮子側を保持させ、網船の右舷側サイドローラーで沈子側から網を手繰り上げながら、たも網で漁獲物をすくい上げて運搬船に積み込むものであった。
 また、揚網は右舷側で行われ、その初期段階では、ネットホーラーを右舷側端まで移動させて、右舷側から近づいてくる網の方向に合わせるため右舷船尾45度の角度に旋回させ、網捌き機を介して送られてくる網を左舷側に浮子側が、右舷側に沈子側がくるように甲板員が手繰って網置場に格納していた。
 浮子灯3個の回収作業は、通常約10分ごとに近づいてくる同灯をネットホーラーに近く、また、右舷側通路にも近い右舷側に配置された甲板員が行っていたが、A受審人は、日頃から、同作業をネットホーラーの左舷側から行うと巻き込み中の網の上に身体が覆い被さる危険な姿勢となるので、右舷側から上がってくる浮子灯を止むを得ず左舷側から外すときには、子弁でドラムの回転を停止して行うよう指導していた。
(6) 受審人A
 A受審人は、昭和34年からまぐろ船に甲板員として乗り組み、まき網船の甲板員を経て昭和50年4月4日海技免状を取得したのち、幸盛丸の船長兼漁ろう長として乗船し、平成4年9月22日まき網船団の船長のほか、安全担当者及び衛生担当者を兼任したほか、本船の船舶所有者である有限会社幸盛丸の代表取締役を勤めていることから、実質的には本船の船舶所有者でもあった。
 A受審人は、知人の紹介によって、長年底引き網漁業の甲板員として経験のあるBを、平成9年12月10日鹿児島県山川港で幸盛丸船団に甲板員として一括公認して雇入れ、同船団の運搬船に約9箇月間乗船させたのち、翌10年9月1日幸盛丸に転船させ、炊事担当のほか全員で行う甲板作業にも従事させていた。
(7) 関連法規等
 船員労働安全衛生規則(昭和39年運輸省令第53号)では、漁ろう作業に関し、第57条第1項第8号において、「船舶所有者は、送り出し、又は巻き込む場合における漁具には、みだりに、身体を触れさせ、若しくはこれをまたがせないような措置を講じなければならない。」旨及び同項第9号において、「ドラムの回転又は索具の走行を人力で調整する作業に従事する者の服装は、袖口、上衣のすそ等を締め付ける等巻き込まれるおそれのないものとする。」旨規定している。
 一方、S技研株式会社は、ネットホーラーの取扱い上の注意として、ドラムの回転中は巻き込む網には絶対に触れないよう及び網がつまったときなどは必ずドラムの回転を止めてから作業を行うよう、同社の油圧漁ろう機械取扱説明書の中でそれぞれ警告を発していた。
(8) 出航から乗組員死亡に至るまでの経緯
 幸盛丸は、A受審人、B甲板員ほか6人が乗り組み、あじ及びさば漁の目的で、船首1.2メートル船尾2.7メートルの喫水をもって、平成10年9月9日17時鹿児島県内之浦港を僚船とともに初操業のため出航し、同県小山田湾沖合2海里の漁場に向かった。
 A受審人は、19時漁場に到着して操業を開始したが、漁獲が得られなかったところから同月10日05時に操業を打ち切り、小山田湾に投錨仮泊したのち、18時30分から再び船団の全船で魚群の探索を開始した。
 翌11日01時30分A受審人は、魚群を発見したので、レッコボートを降ろし、同時45分右回りで投網して魚群を取り囲んだのち、船橋の前部甲板左舷寄りに設置された2台の環巻きウインチを使用して環締めを行った。
 01時50分A受審人は、後部漁ろう甲板に左舷側から順に網の浮子側を手繰る甲板員1人、網の中央部付近を手繰る甲板員4人及び網の沈子側を手繰る甲板員1人を横1列に配置させ、B甲板員を右舷側の沈子を手繰る甲板員の補佐として就け、ネットホーラーの巻き上げ速度を毎分16メートルに調整して揚網を開始した。
 そして、A受審人は、右舷側賄室入口付近の通路に立ち、漁ろう機器の調整を行いながら揚網全般の操業指揮を執るほか、船橋の右舷側前部に移動して揚網につれて緊張してくる環吊綱を丸環から解き放つ作業を並行して行った。
 02時00分A受審人は、日頃から乗組員に対して浮子灯はネットホーラーの右舷側から取り外すよう指導していたにもかかわらず、B甲板員がネットホーラーの左舷側に立ち、巻き込み中の網の上に身体が覆い被さる姿勢で1個目の浮子灯を取り外そうとしているのを認めた。
 A受審人は、直ちに親弁を操作してネットホーラー及び網捌き機を停止したうえ船尾端甲板に赴き、同人に対して、ネットホーラーの左舷側から浮子灯を取り外すときには、身体が網に触れて巻き込まれるおそれがあり危険だから、必ず子弁を操作してネットホーラーのドラムの回転を停止して浮子灯を取り外すよう厳重に注意した。
 そして、A受審人は、B甲板員が十分に理解したことを知り、02時01分ごろネットホーラーの親弁を開放して揚網を再開した。
 02時10分少し前B甲板員は、2個目の浮子灯が接近してくるのを認め、船尾端甲板に赴き、ネットホーラーの左舷側に立ってドラムの回転を停止しないまま、右手を伸ばして網に身体が覆い被さる姿勢で浮子灯を取り外しにとりかかり、02時10分火埼灯台から真方位218度6.4海里の地点において、同人の雨合羽の上衣が網に触れて網とともに回転するネットホーラーのドラムに巻き込まれた。
 当時、天候は晴で風はほとんどなく、海上は穏やかであった。
 A受審人は、B甲板員に浮子灯を取り外す際の指示を行ったあと船橋右舷側前部に戻り、環吊綱を放つ作業を続けていたところ、沈子側を手繰っていた甲板員が「早くネットホーラーを止めろ」という叫び声を発したのでB甲板員がドラムに巻き込まれたことを知り、直ちに同人を救出したうえ内之浦病院に搬送したが、B甲板員(昭和16年1月23日生)は、同日03時00分胸部圧迫による肺挫傷で死亡した。


(原因に対する考察)
 本件は、夜間、まき網の揚網中、浮子灯の回収作業を行う際、甲板員が回転するネットホーラーのドラムに巻き込まれて死亡したものである。
 以下、本件発生の原因について検討する。
1 B甲板員の雨合羽着用状態について
 A受審人の原審審判調書中、「本件発生直後に同甲板員の雨合羽上衣のチャックが外れているのを見た。」旨の供述記載がある。しかし、「本件発生の10分前、1個目の浮子灯取り外し時、B甲板員に取り外し方法についての注意を与えた際、同人の雨合羽着用状態についてはよく分からなかったが、日頃から乗組員に対して雨合羽の紐やチャックは必ず締めるよう指導していた。」旨の同調書中の供述記載、及び深夜の冷気下における作業という点を勘案して、B甲板員の雨合羽のチャックは、同人がドラムに巻き込まれたとき雨合羽の一方に異常な張力が加わって外れたものと認められ、本件発生前には外れていなかったものと推認される。
2 B甲板員に浮子灯回収作業を行わせた点について
 A受審人に対する質問調書中、「B甲板員を賄の仕事ができるので採用した。まき網船での操業が初めてであったからC甲板員の手助けとして作業配置に就けた。」旨の供述記載があるが、以下の点で、B甲板員に浮子灯回収作業を行わせたことは、本件発生の原因をなしたものとは認められない。
(1) A受審人に対する質問調書中、「B甲板員は、30年間長崎方面で漁船に乗っていた。甲板員として一括雇入れした。」旨の供述記載
(2) A受審人の原審審判調書中、「浮子灯回収作業自体は、約3秒程度で、二重つなぎ結びした浮子灯綱の端を引くだけで浮子綱から解ける簡単な作業である。」旨の供述記載
3 A受審人の浮子灯回収作業時の指示について
 同受審人に対する質問調書中、「ネットホーラーの左舷側から取り外すと身を乗り出して危険だから、右舷側から浮子灯を取り外すよう指導していた。しかし、B甲板員が左舷側から網に身体が触れそうな態勢で1個目の浮子灯を取り外そうとしているのを目撃したので、左舷側から取り外すときには子弁を操作してネットホーラーを停止して取り外すよう同人に厳重に注意した。」旨の供述記載から、同受審人は、B甲板員に対して、浮子灯回収に関する安全作業について具体的な指示を行っていたものと認められ、A受審人の指示が本件発生の原因をなしたとは認められない。
4 A受審人の作業監督について
 同受審人は、B甲板員が2個目の浮子灯を取り外すとき、船橋右舷側前部で環吊綱を解き放つ作業を行っていて、同人の作業状況を見ていなかったことは明らかである。しかし、同受審人は、漁ろう長兼安全担当者として、操業全般に対しての一般的な安全監督の責務はあるものの、前述のように本件発生のわずか10分前、B甲板員に対して子弁を操作してドラムの回転を停止してから取り外すよう具体的な指示を行い、厳重な注意をしていたこと及び同甲板員がそのことを十分に理解したことを知って作業を再開したことから、A受審人が漁ろう長兼安全担当者として安全監督を怠ったということはできず、本件発生の原因とするまでもない。
5 B甲板員の浮子灯回収作業について
 B甲板員が、本件発生の10分前、ネットホーラーの左舷側から1個目の浮子灯を取り外そうとしたとき、A受審人から左舷側に立つと浮子灯綱の結び目までの距離が長くなり、手を伸ばすと身体が前屈みとなって網の上に覆い被さる姿勢となって、着衣が回転するドラムに巻き込まれるおそれがあるので、ドラムの回転を停止するよう厳しく注意されており、そのことを十分理解していたにもかかわらず、2個目の浮子灯を左舷側から取り外そうとしたとき、指示に反してドラムの回転を停止しなかったことは、本件発生の原因となる。

(原因)
 本件乗組員死亡は、夜間、鹿児島県小山田湾沖合において、まき網の揚網中、ネットホーラーの左舷側から浮子灯の回収作業を行う際、ネットホーラーを停止せず、回転中のドラムに覆い被さる姿勢で同作業に当たり、漁網とともにドラムに巻き込まれたことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成13年4月11日門審言渡
 本件乗組員死亡は、まき網揚網時の浮子灯回収作業に対する安全措置が不十分であったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。


参考図
(拡大画面:49KB)





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION