日本財団 図書館




 海難審判庁裁決録 >  2001年度(平成13年) > 乗揚事件一覧 >  事件





平成13年門審第65号
件名

漁業取締船雄山丸乗揚事件

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成13年12月20日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(西村敏和、原 清澄、相田尚武)

理事官
千手末年

受審人
A 職名:雄山丸船長 海技免状:三級海技士(航海)

損害
船尾船底部に擦過傷

原因
投錨地点の選定不適切

主文

 本件乗揚は、投錨地点の選定が不適切であったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年9月13日09時08分
 長崎県対馬竹敷錨地

2 船舶の要目
船種船名 漁業取締船雄山丸
総トン数 499トン
登録長 59.68メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,838キロワット

3 事実の経過
 雄山丸は、水産庁に用船された鋼製漁業取締船で、A受審人ほか13人が乗り組み、水産庁漁業監督官1人を乗せ、排他的経済水域における外国漁船の取締りに従事する目的で、船首2.80メートル船尾4.90メートルの喫水をもって、平成12年9月8日15時45分山口県下関漁港を発し、長崎県対馬西方海域に向かった。
 A受審人は、対馬海峡東水道に向けて西行していたところ、秋雨前線の影響で海上が時化模様となったことから、同日22時20分対馬南端の豆酘湾において荒天避泊した。
 10日07時55分A受審人は、豆酘(つつ)湾を抜錨し、巡視警戒業務のため対馬西方海域に向かったが、 依然として海上は時化模様が続いていたので、08時30分豆酘湾西方約5海里の地点において、対馬中央部の浅茅(あそう)湾に向けて北上を始めた。
 ところで、浅茅湾は、対馬中央部に位置する西方に開いた湾で、同湾北部に仁位(にい)錨地が、東部に濃部(のぶ)錨地が、南部には竹敷(たけしき)錨地があり、それぞれ小型船舶の錨地となっていた。
 10時00分ごろA受審人は、浅茅湾に入って仁位錨地に向かい、同時45分浮瀬灯標から318度(真方位、以下同じ。)700メートルの水深約28メートルの地点において、左舷錨を投じ、保有錨鎖7節のうち、5節を使用して荒天避泊した。
 A受審人は、台風14号が九州の南海上を東シナ海に向けて北上するのに伴い、秋雨前線が対馬海峡まで北上し、活動が活発になって北東風が強吹するようになり、仁位錨地周囲の陸岸寄りのところに設置された養殖施設までの距離が約100メートルしかなかったことから、12日08時10分抜錨して仁位錨地を北上し、同時20分浮瀬灯標から334度1,200メートルの水深約33メートルの地点において左舷錨を投じ、錨鎖6節を使用して転錨を終えた。
 A受審人は、台風の接近に伴って風勢が更に強まることが予想され、転錨地点においても風下の養殖施設までの距離が十分にとれなかったことから、北東風の強吹時に避泊したことがある竹敷錨地に移動することにし、翌13日07時55分仁位錨地を抜錨して竹敷錨地に向かった。
 竹敷錨地は、同錨地の入口にあたる漏斗口(じょうごうくち)から最奥部までの距離が約6,000メートルのS字型に屈曲した地形をしており、同錨地中央部の西側には竹敷港があって、同港から東南東方に延びる防波堤とその東方の鹿ケ小島との間の海域(以下「竹敷港東方錨地」という。)が、東西約600メートル、南北約600メートルの広さがあり、また、同港南東方の苗字埼、嫁塚ノ鼻及び鹿ケ島との間の海域(以下「苗字埼沖錨地」という。)が、東西約500メートル、南北約500メートルの広さがあって、いずれも水深約30メートルであるが、周囲の陸岸寄りのところには暗礁が拡延していた。
 A受審人は、操舵室前面で操船の指揮を執り、 甲板員を手動操舵、機関長を機関の操作及び通信士をレーダー見張りにそれぞれ就け、 船首甲板に一等航海士及び甲板長を配置して投揚錨作業に当たらせ、適宜の針路及び速力で漏斗口を通過して竹敷錨地に至った。
 A受審人は、台風の接近に伴って避泊日数が長くなることが予想されたことから、食料などの補給の便を考慮して竹敷港東方錨地において錨泊することにし、08時37分竹敷港樽ケ浜灯台(以下「樽ケ浜灯台」という。)から341度1,730メートルの地点において右舷錨を投じ、錨鎖5節を使用して錨泊した。
 ところが、A受審人は、錨泊して間もなく、風下の竹敷港防波堤先端までの距離が約80メートルしかないことに気付き、避泊経験がある苗字埼沖錨地の中央部に転錨することにし、08時43分抜錨を開始して同時53分抜錨を終え、同錨地に向けて南下を始めた。
 08時55分A受審人は、樽ケ浜灯台から344度1,000メートルの投錨予定地点に達したところ、 突風を伴う北東風が強吹して付近の海面が白く泡立ち、走錨の危険を感じたので同地点での錨泊を断念し、北東風を避けるため一旦鹿ケ島西岸寄りのところに錨泊することにして、09時00分同灯台から348度730メートルの地点まで南下したところで左舵一杯をとって左転し、機関を適宜使用しながら2ないし3ノットの低速力で、針路をほぼ鹿ケ島島頂に向く030度に定め、音響測深機を作動させ、北東風を右舷船首方から受けながら進行した。
 A受審人は、鹿ケ島西岸をはじめ周囲の陸岸付近には暗礁が拡延していることを知っていたが、強風を避けるため、できるだけ鹿ケ島西岸に接近して錨泊することにしたことから、同島西岸との距離を確認することに気を取られ、錨泊に適した底質のところで投錨できるよう、海図や音響測深機により水深や海底の起伏の状態を確認するなど、 適切な投錨地点の選定を行わないまま、同島西岸に向けて接近した。
 09時04分A受審人は、鹿ケ島西岸に約100メートルまで接近したところで、機関を後進にかけて投錨態勢に入り、陸岸までの距離の目測と機関長を介して音響測深機による水深の確認とを行ったものの、依然として、音響測深機により海底の起伏の状態を確認しなかったので、底質が岩であることに気付かず、同時05分樽ケ浜灯台から001度1,000メートルの、水深約15メートル及び底質が岩である地点において、約2ノットの後進行きあしで右舷錨を投じ、錨鎖5節を伸出した。
 A受審人は、北東風により南西方に後退するものと考えていたところ、右舷船首方から強風を受けて次第に船首が風下に落とされ、船尾が風上に切り上がり、底質が岩であったことから錨が把駐せずに、これを引きずりながら船尾が鹿ケ島南方の陸岸に向けて後退を続け、やがて海面下に拡延する暗礁に著しく接近する状況となり、09時08分樽ケ浜灯台から004.5度810メートルの地点において、雄山丸は、船首が285度を向いていたとき、船尾部が暗礁に乗り揚げた。
 当時、天候は雨で風力7の北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期にあたり、潮高は224センチメートルで、対馬地方には波浪警報及び強風注意報が発表されていた。
 雄山丸は、同日11時32分引船の支援を得て離礁した。
 乗揚の結果、雄山丸は、船尾船底部に擦過傷を生じたが、のち修理された。

(原因)
 本件乗揚は、北東風が強吹する状況下の長崎県対馬竹敷錨地において、錨泊する際、投錨地点の選定が不適切で、鹿ケ島西岸寄りの底質が岩である地点に投錨し、錨が把駐せずに、これを引きずりながら、船尾が風上に切り上がる状態で、鹿ケ島南方の陸岸付近に拡延する暗礁に向けて後退したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、北東風が強吹する状況下の長崎県対馬竹敷錨地において、北東風を避けて鹿ケ島西岸寄りのところで錨泊する場合、同島西岸寄りのところには暗礁が拡延していたのであるから、錨泊に適した底質のところに投錨できるよう、海図や音響測深機により水深や海底の起伏の状態を確認するなど、 投錨地点の選定を適切に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、北東風を避けるため、できるだけ鹿ケ島西岸に接近しようとして陸岸との距離の確認に気を取られ、海図や音響測深機により水深や海底の起伏の状態を確認するなど、 投錨地点の選定を適切に行わなかった職務上の過失により、鹿ケ島西岸寄りの底質が岩である地点に投錨し、錨が把駐せずに、これを引きずりながら後退するうち、船首が風下に落とされて船尾が風上に切り上がる状態となり、鹿ケ島南方の陸岸付近に拡延する暗礁に向けて後退し、船尾部がこれに乗り揚げ、船尾船底部に擦過傷を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。 





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION