(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年11月29日08時10分
福岡県倉良瀬戸
2 船舶の要目
船種船名 |
押船第三岬秀丸 |
バージ葛城 |
総トン数 |
134トン |
約2,595トン |
全長 |
32.65メートル |
83.50メートル |
幅 |
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20.00メートル |
深さ |
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7.50メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
2,942キロワット |
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3 事実の経過
第三岬秀丸(以下「岬秀丸」という。)は、非自航型砂利採取作業船の葛城と一体となって唐津湾沖合の海砂を採取し、瀬戸内海西部の各港への輸送に従事する鋼製押船で、A及びB両受審人ほか4人が乗り組み、船首4.60メートル船尾4.80メートルの喫水をもって、前日採取した2,500立方メートルの海砂を積載して船首5.00メートル船尾5.60メートルの喫水となった葛城の船尾凹部に船首部をかん合し、全長約103メートルの押船列(以下「岬秀丸押船列」という。)を構成し、平成11年11月29日04時30分佐賀県唐津港を発して関門港へ向かった。
ところで、A受審人は、出入港時と海砂採取海域に向かう時の操船を行うほか、時折揚げ荷役中のクレーン操作を手伝っていたものの、航海中の船橋当直は3人の航海士に委ね(ゆだね)、倉良瀬戸や関門海峡などの狭水道通過時においても、操船の指揮を執ることはなく、また、航海中の針路の選定も各航海士に任せていた。
A受審人は、発航操船ののち唐津港港外において次席一等航海士に船橋当直を委ねるとき、いつものとおり何らの指示を行わないまま降橋して自室で休息をとった。
06時00分B受審人は、玄界島北西方1海里ばかりのところで昇橋し、次席一等航海士と交替して単独の当直に就き、倉良瀬戸に向けて東行し、07時50分倉良瀬灯台から214度(真方位、以下同じ。)3.4海里の地点に達したとき、針路を倉良瀬戸のオノマ瀬灯浮標と一ノ瀬灯浮標との間に向く049度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて9.5ノットの対地速力で進行した。
定針したころB受審人は、倉良瀬戸の南口に差し掛かっていたものの、A受審人から何らの指示を受けていなかったので、同人に対して倉良瀬戸に近づいていることを報告しないまま当直を続けた。また、A受審人は、それまで倉良瀬戸通航を含む全航程の船橋当直を航海士に任せて問題がなかったので、昇橋して操船の指揮を執ることなく、同瀬戸通航時の操船を航海士に任せても大丈夫と思い、自室で休息していた。
B受審人は、倉良瀬戸を北上する際、倉良瀬灯台東側の水道を通航する針路を採ると、地ノ島北西灯浮標の南西方600メートルばかりのほぼ針路上に、水深5.1メートルの浅礁が存在するほか、倉良瀬灯台から南東方へ浅礁が約400メートル拡延していることを、自船に備えられている海図によって承知しており、葛城が海砂を3,000立方メートル以上積載した満船状態のときには、航程が多少長くなるものの、オノマ瀬灯浮標と一ノ瀬灯浮標との間付近で、針路をほぼ北に転じ、倉良瀬灯台西側の安全な水道を航行することにしていた。
ところが、B受審人は、葛城に積載した海砂の量が満船時より500立方メートルほど少なく、以前にも同様の積荷状態のときに、無難に東側水道を通過したことが何度もあるので、海図記載の5.1メートルの浅礁上を通過しても大丈夫と思い、当時低潮時であることや、かなり高い波があることなどを考慮しないまま、08時00分オノマ瀬灯浮標と一ノ瀬灯浮標との間の、倉良瀬灯台から202.5度1.9海里の地点に達したとき、同灯台西側の安全な水道に向かう針路を選定することなく、同灯台東側の水道を通過する030度に転じて続航した。
やがてB受審人は、倉良瀬灯台から南東方に拡延する浅礁をかわすことに備えて操舵を手動に切り替えて進行中、08時10分葛城は、倉良瀬灯台から174度800メートルの地点にある水深5.1メートルの浅礁に乗り揚げ、船底を擦過しながらこれを通過した。
当時、天候は晴で風力5の北西風が吹き、潮候は低潮時で、付近には高さ約3メートルの波が発生していた。
A受審人は、自室で休息中に衝撃を感じて昇橋し、浅礁に乗り揚げたことを知り、損傷状況を確認するなどの事後措置に当たった。
乗揚の結果、岬秀丸は損傷がなく、葛城は船底外板に小破口を含む凹損を生じてバラストタンクに浸水したが、岬秀丸押船列は目的地まで自力航行し、のち葛城は修理された。
(原因)
本件乗揚は、佐賀県唐津港から関門港へ向けて航行中、福岡県倉良瀬戸を通航する際、針路の選定が不適切で、浅礁が存在する倉良瀬灯台東側の狭い水道に向けて進行したことによって発生したものである。
運航が適切でなかったのは、船長が狭水道通航時に操船の指揮を執らなかったことと、船橋当直者が針路の選定を適切に行わなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は、佐賀県唐津港から関門港へ向けて航行する場合、途中の倉良瀬戸は可航幅が狭く針路が屈曲しているうえ、多数の浅礁が散在する海域であったから、適切な針路の選定が行われるよう、自ら昇橋して操船の指揮を執るべき注意義務があった。ところが、同受審人は、それまで倉良瀬戸通航を含む全航程の船橋当直を航海士に任せて問題がなかったので、同瀬戸通航時の操船を航海士に任せても大丈夫と思い、昇橋して操船の指揮を執らなかった職務上の過失により、当直航海士が浅礁が存在する倉良瀬灯台東側の狭い水道に向けて航行していることに気付かないで乗揚を招き、葛城の船底外板に小破口を含む凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、単独の船橋当直に就いて倉良瀬戸を北上する場合、倉良瀬灯台東側の水道南口には、押航する葛城の喫水より浅い浅礁が存在することを知っていたのであるから、浅礁に乗り揚げることのないよう、同灯台西側の安全な水道を航行する針路を選定すべき注意義務があった。ところが、同受審人は、当時の喫水が満船時より浅く、以前にも同様な積荷状態で同灯台東側の水道を通航した経験があったから大丈夫と思い、同灯台西側の安全な水道に向かう針路を選定しなかった職務上の過失により、同灯台東側の水道を航行して浅礁への乗揚を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。