(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年5月3日02時55分
四国南西岸
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船タスマン パイオニア |
総トン数 |
16,748トン |
全長 |
166.00メートル |
登録長 |
158.00メートル |
幅 |
27.00メートル |
深さ |
14.10メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
8,208キロワット |
3 事実の経過
タスマン パイオニア(以下「タ号」という。)は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、船長R、二等航海士Gほか25人が乗り組み、コンテナ155個及び鋼材、合板等13,667トンを載せ、船首7.72メートル船尾7.80メートルの喫水をもって、平成13年5月1日19時42分京浜港横浜区を発し、大韓民国釜山港に向かった。
R船長は、本州太平洋岸沖を南西進した後、四国南西端沖に所在の沖ノ島南方沖を回り、豊後水道を抜け関門海峡を経由する航行予定に従って進行中、同日20時10分高知県全域に強風波浪注意報が発表され、しけ模様の翌2日午前を迎え、徐々に主要地点航過時刻に遅れを生じ、関門港東口での水先人乗船予定時刻に遅れることが気になり、四国本島南西岸と沖ノ島との間の水域を通航して、航程の短縮を図る点に着目した。
そのころ、レーダーは、機器来歴がほぼ同様のレーダー2台のうち、2号レーダーが船体振動増大などの影響が加わると不調になるので休止しており、1号レーダーを使用中のところ、同レーダーも気象海象状況の変化等に応じて微調整を要する状況で、不安定であった。
ところで、前示の水域は、ほぼ中央部に蒲葵島(びろうしま)があって東側、西側両水路に2分され、同島と高さ4.3メートルの水上岩である

碆(むろばえ)との間が、可航幅0.8海里の東側水路で、同水路を通過すると、

碆南方沖から北西方への直線針路模様により、10海里の航程短縮が可能である反面、夜間、同水路事情を示す航路標識の灯光等がなかった。
これまで、R船長は、総トン数4,000トン程度の貨物船で幾度となく東側水路を通航しており、タ号においても南航時に同水路を利用したことがあり、同水路の水路事情は心得ていた。
翌々3日02時25分R船長は、土佐沖ノ島灯台(以下「沖ノ島灯台」という。)から085度(真方位、以下同じ。)10.0海里の地点において、昇橋して自ら操船指揮を執り、G二等航海士を操船補佐に就け、当直操舵手を手動操舵に当たらせ、東側水路を通過する目的で、針路を278度に定め、機関を14.8ノット(対地速力、以下同じ。)の全速力前進にかけて進行した。
02時30分R船長は、沖ノ島灯台から083度8.7海里の地点に差し掛かかったころ、折からのしゅう雨のため、視程が1海里に狭められる状態となったが、1号レーダーで東側水路状況を確認すれば大丈夫と思い、元の航行予定にしていた沖ノ島南側の広い海域に向け、針路を適切に選定することなく、1号レーダーを3海里レンジとし東側水路に向け続航した。
こうして、R船長は、02時46分半沖ノ島灯台から071度5.0海里の地点で、蒲葵島の左舷並航距離0.4海里を目途に、針路を308度に転じて続航するうち、しゅう雨等の影響で蒲葵島の映像を失った。
そこで、R船長は、G二等航海士にレーダーの調整を命じたが、依然として蒲葵島の映像の復旧を得られず、同島との相対位置関係が不明となり、急に不安が増大し、02時53分沖ノ島灯台から053度4.4海里の地点で、左舷前方に蒲葵島が迫っていることに気付かず、前示の広い海域へ向け左舵一杯を命じ、左舷ウイングに出て回頭方向を注視するうち、同時54分左舷側間近に同島の島頂付近の黒影を認め、急ぎ右舵一杯としたが及ばず、タ号は、02時55分沖ノ島灯台から047度4.0海里の地点において、270度に向首し速力12.0ノットのとき、船首船底部が同島北岸至近の浅所に乗り揚げ、これを乗り切った。
当時、天候は曇で時折しゅう雨が来襲し、風力2の北西風が吹き、潮候はほぼ高潮時で、視程は1海里であった。
乗揚の結果、船首船底部に長さ14メートルの亀裂と、船首から左舷側中央部までの船底外板等に、破口を伴う多数の凹損を生じた。
乗揚後、R船長は、乗揚地点の北西方15海里の地点まで移動して、いったん由良岬南東沖に錨泊し、損傷状況調査など事後措置に当たったが、タ号は、のち修繕費等との関連でスクラップ処理の方針も示され、外国へ移送された。
(原因)
本件乗揚は、夜間、四国南岸沖を西行中、しけ模様のなか沖ノ島東方沖に差し掛かり、2号レーダーは不調で休止し1号レーダーも不安定な状況下、航程短縮の目的をもって、同島北方の蒲葵島と

碆との間で、水路事情を示す航路標識の灯光等のない狭い水路の東口に向け航行中、折からのしゅう雨のため視程が狭められる状態となった際、針路の選定が不適切で、元の航行予定にしていた沖ノ島南側の広い海域に向かわず、その後同水路に向け転針して北西進するうち、しゅう雨等で蒲葵島のレーダー映像を失い、同島との相対位置関係が不明のまま、沖ノ島南方沖に向け急左転後に急右転し、蒲葵島北方至近の浅所に向かったことによって発生したものである。
よって主文のとおり裁決する。