(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成12年6月9日23時30分
大分県佐伯湾
2 船舶の要目
船種船名 |
釣船第二彰丸 |
漁船蛭子丸 |
総トン数 |
6.6トン |
6.2トン |
全長 |
14.10メートル |
13.12メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
713キロワット |
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漁船法馬力数 |
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120 |
3 事実の経過
第二彰丸は、FRP製釣船で、A受審人ほか甲板員5人が乗り組み、潜水器漁業の目的で、船首0.3メートル船尾1.2メートルの喫水をもって、平成12年6月9日18時30分愛媛県松山港三津浜を発し、大分県海域に向かった。
A受審人は、出航に先立ち、気象情報を入手して潜水器漁業の操業が可能な気象状況であることを知り、B受審人ほか潜水器漁業の仲間3人に連絡をとり、合計5隻で大分県海域に向かうことにした。
ところで、A受審人は、平成10年に松山市漁業協同組合の組合員となって漁業に従事するようになり、翌11年1月に2基2軸を備えた最高速力約40ノットの第二彰丸を建造し、潜水器漁業に使用する空気圧縮機2台を設備して、潜水器漁業の許可を受けていない他県海域まで出向き、違反操業であることを知りながら、主機駆動の空気圧縮機に連結された送気用ホースにより潜水者に送気し、同ホースの先端に取り付けた空気圧力調整器から潜水者に呼吸用の空気を供給する、フーカー式潜水と称する方法で潜水器漁業を営み、さざえなどの磯物を採捕していた。
A受審人は、発航時から1人で操船に従事し、伊予灘を西行して速吸瀬戸に向かい、日没となったところで法定の灯火を表示し、携帯用無線機で蛭子丸及び仲間の船と連絡をとり、海上が平穏であったことから、平成12年6月に入って既に2回操業を行っていた大分県佐伯湾に向かうことにした。
A受審人は、速吸瀬戸付近に差し掛かったところで、地元漁船などに察知されないよう、法定の灯火を消灯し、同瀬戸を通過して大分県寄りを佐伯湾口に向かい、高甲岩灯台の東方約1海里を通過した後、佐伯湾で操業する地元漁船の状況を確認しながら同湾南部に向けて南下を続け、20時45分竹ケ島灯台から121度(真方位、以下同じ。)3.2海里にあたる、宇戸島北東方約400メートルの地点に到着し、潜水器漁業の準備に取り掛かった。
A受審人は、操舵室で操船及び操業の指揮を執り、機関を中立運転とし、船尾部に取り付けたスラスターで船体姿勢を保持しながら、潜水服、マスク、ウエイトベルト及びフィンを装着した甲板員2人を潜水させ、他の甲板員2人を船上で送気用ホースを捌いたり、潜水者を引き揚げるなどの潜水支援に当て、他の1人を漁獲物の選別作業などに当てて、違反操業が発覚しないよう、無灯火状態として潜水器漁業の操業を開始した。
A受審人は、宇戸島付近で約1時間操業した後、22時00分竹ケ島灯台から138度3.0海里にあたる、猿戸漁港南南西方約700メートルの地点に移動し、付近海域において約20分間操業して、再び操業場所を移動することにし、大分県南海部郡鶴見町野崎鼻沖合に向かった。
22時30分A受審人は、野崎鼻北端付近に至って操業を始め、約30分間操業してさざえなど合計約30キログラムを採捕したところで野崎鼻付近での操業を切り上げ、佐伯湾口南側に位置する高手島、小間島及び大島の各東岸(以下「大島東岸」という。)に移動することにし、そのことを無線でB受審人及び仲間の船に連絡した。
23時14分A受審人は、竹ケ島灯台から195度1.2海里の地点を発進し、操舵室右舷側でいすに腰をかけて手動操舵に当たり、違反操業が発覚しないよう、法定の灯火を表示せず、3.0海里レンジとして1.0海里後方にオフセンターしたレーダーにより高手島を確認したうえで、針路を同島の北方に向く074度に定め、8.0ノットの低速力で、船首甲板を照らすかさ付きの作業灯1個を点灯して漁獲物の選別や潜水器具の整理を行いながら進行した。
23時23分A受審人は、竹ケ島灯台から137度1.2海里の地点において、漁獲物の選別などを終えたところで作業灯を消灯して無灯火状態とし、甲板員5人に船首甲板で休息を取らせ、機関を回転数毎分2.000の30.0ノットに増速し、夜陰に乗じて続航した。
A受審人は、間もなくレーダーで高手島の北西方に小型漁船の映像を認めたので、これらの漁船群の北側約0.5海里のところを迂回して大島東岸に向かうことにし、23時23分半竹ケ島灯台から128度1.3海里の地点において、針路を043度に転じ、レーダーを1.5海里レンジに切り換えてオフセンターを解除し、漁船群に注意を払いながら進行した。
A受審人は、右舷前方の漁船群がいずれも緑、白2灯を連携した小型底びき網漁船であることを知り、同漁船を右舷側に約0.5海里隔てて続航していたところ、23時29分少し前竹ケ島灯台から069度3.0海里の地点において、左舷船首40度1.0海里のところに蛭子丸が存在し、左方から衝突のおそれのある態勢で接近していたが、同船が法定の灯火を表示していなかったので、同船を視認することができず、また、1.5海里レンジとしたレーダーによって同船を探知し得る状況であったが、右舷前方の漁船群の動静を注視していて、レーダーによる見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かず、減速するなどして衝突を避けるための措置をとらずに進行した。
こうして、A受審人は、自船も法定の灯火を表示していなかったので、蛭子丸に対して自船の存在及び運航状態を認識させることができないまま続航中、23時29分少し過ぎ竹ケ島灯台から066度3.3海里の地点において、蛭子丸が同方位0.5海里のところに急速に接近したが、依然として、右舷正横付近となった漁船群の動静に気を取られ、レーダーによる見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かず、衝突を避けるための措置をとらないまま進行し、23時30分竹ケ島灯台から064度3.6海里の地点において、突然大きな衝撃を受け、第二彰丸は、原針路、原速力のまま、その船首が、蛭子丸の右舷中央部に前方から80度の角度で衝突し、乗り切った。
当時、天候は曇で風力1の南南西風が吹き、視界は良好で、月齢は約7日に当たり、月没時刻は翌10日01時05分であった。
A受審人は、直ちに停止してサーチライトなどを点灯したところ、船首甲板で休息していた甲板員が海中に投げ出されており、後方に蛭子丸の船体を視認して衝突したことを知り、直ちに救助に当たるとともに、無線で仲間の船に救助を要請した。
また、蛭子丸は、潜水器漁業に使用する空気圧縮機1台を備えたFRP製漁船で、B受審人ほか甲板員5人が乗り組み、潜水器漁業の目的で、船首0.4メートル船尾1.5メートルの喫水をもって、同月9日18時00分愛媛県今治港を発し、大分県海域に向かった。
ところで、B受審人は、一級小型船舶操縦士(5トン限定)の免許を取得しているが、蛭子丸の総トン数が6.2トンであるため、同船の船長として乗り組むことができないのに、平成12年1月同船を建造して以来、同船の船長として乗り組み、潜水器漁業の許可を受けていない他県海域まで出向き、違反操業であることを知りながら、第二彰丸と同様フーカー式潜水によって潜水器漁業を営み、さざえなどの磯物を採捕していた。
B受審人は、発航時から1人で操船に従事し、伊予灘を西行して速吸瀬戸に向かい、日没となったところで法定の灯火を表示し、携帯用無線機で第二彰丸及び仲間の船と連絡をとり、海上が平穏であったことから、大分県佐伯湾に向かうことにし、速吸瀬戸付近に差し掛かったところで、地元漁船などに察知されないよう、法定の灯火を消灯し、同瀬戸を通過して大分県寄りを佐伯湾口に向けて南下した。
B受審人は、佐伯湾口北部の大分県南海部郡蒲戸埼を通過して同埼南岸に沿って西行し、21時00分竹ケ島灯台から007度4.0海里の地点にあたる福泊漁港沖合に到着して潜水器漁業の準備に取り掛かり、同時20分、自らは操舵室で操船及び操業の指揮を執り、機関を中立運転とし、船尾部に取り付けたスラスターで船体姿勢を保持しながら、夫婦岩付近において甲板員2人を潜水させ、他の甲板員2人を船上で送気用ホースを捌いたり、潜水者を引き揚げるなどの潜水支援に当て、他の1人を漁獲物の選別作業などに当てて、違反操業が発覚しないよう、無灯火状態として潜水器漁業の操業を開始した。
22時00分B受審人は、夫婦岩付近での操業を止め、蒲戸埼の南岸沿いに東方に移動し、同時10分観音鼻東方約400メートルの地点に至って再び操業を始め、同海域で約50分間操業したころ、A受審人の大島東岸に向かう旨の無線を傍受し、さざえなど合計約50キログラムを採捕したところで蒲戸埼南岸での操業を切り上げ、大島東岸に移動することにした。
23時14分B受審人は、竹ケ島灯台から017度4.4海里の地点を発進し、操舵室右舷側でいすに腰をかけて手動操舵に当たり、違反操業が発覚しないよう、法定の灯火を表示せず、12海里レンジとしたレーダーで高手島を確認して6海里レンジに切り換え、針路を同島に向首する143度に定め、5.0ノットの低速力で、船首甲板を照らすかさ付の作業灯1個を点灯して漁獲物の選別などを行いながら進行し、同時24分少し前同灯台から027度3.9海里の地点において、漁獲物の選別などを終えたところで作業灯を消灯して無灯火状態とし、甲板員5人に船首甲板で休息を取らせ、17.0ノットに増速し、夜陰に乗じて続航した。
23時26分少し過ぎB受審人は、竹ケ島灯台から034.5度3.7海里の地点に達して、機関回転数毎分1.700の30.0ノットに増速し、レーダーで高手島までの距離が約4海里となったことを確認したうえで、3海里レンジに切り換えて進行した。
23時29分少し前B受審人は、竹ケ島灯台から054度3.5海里の地点において、右舷船首40度1.0海里のところに第二彰丸が存在し、右方から衝突のおそれのある態勢で接近していたが、同船が法定の灯火を表示していなかったので、同船を視認することができず、また、3海里レンジとしたレーダーによって同船を探知し得る状況であったが、右舷前方で操業中の漁船群の動静を注視していて、レーダーによる見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かず、減速するなどして衝突を避けるための措置をとらずに続航した。
こうして、B受審人は、自船も法定の灯火を表示していなかったので、第二彰丸に対して自船の存在及び運航状態を認識させることができないまま進行中、23時29分少し過ぎ竹ケ島灯台から059度3.6海里の地点において、第二彰丸が同方位0.5海里のところに急速に接近したが、依然として、右舷前方の漁船群の動静に気を取られ、レーダーによる見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かず、衝突を避けるための措置をとらないまま続航し、レーダーで高手島を正船首2.0海里に認めたとき、突然大きな衝撃を受け、蛭子丸は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
B受審人及び船首甲板で休息していた甲板員5人は、全員海中に投げ出された。
海中に投げ出された両船の乗組員は、B受審人ほか甲板員1人が第二彰丸に収容され、他の甲板員も間もなく到着した仲間の船に収容された。A受審人は、仲間の船に負傷者を病院に搬送するよう依頼したが、違反操業が発覚するのを恐れ、同行して負傷者の状態などを確認することも、事故の発生を通報することもせずに、自らは第二彰丸に重傷を負ったB受審人を乗せ、大破した蛭子丸を曳航して現場から立ち去り、松山港に向かったものの、愛媛県三机港沖合に差し掛かったころ日出となったことから同港に入港し、ようやく海上保安庁に事故の発生を通報した。
衝突の結果、第二彰丸は、左舷船首部に破口などを生じ、蛭子丸は、操舵室及び船体中央部を大破し、両船の甲板員10人は、仲間の船で福泊漁港まで輸送され、同漁港にいた釣り人が手配した救急車によって全員病院に搬送されたが、蛭子丸甲板員Y(昭和50年7月25日生)が橋及び延髄挫滅などにより、及び同K(昭和46年5月16日生)が右肺及び右第七肋間筋肉挫裂などによりいずれも死亡し、B受審人が1箇月の加療を要する肋骨骨折などの重傷を負ったほか、蛭子丸甲板員N、第二彰丸甲板員T及び同Oがそれぞれ1箇月半から2箇月の加療を要する重傷を負い、第二彰丸甲板員F、同G及び同Iがそれぞれ軽傷を負った。
(原因)
本件衝突は、夜間、大分県佐伯湾において、野崎鼻北方から大島東岸に向けて航行中の第二彰丸が、法定の灯火を表示しなかったばかりか、レーダーによる見張り不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことと、蒲戸埼南岸から大島東岸に向けて航行中の蛭子丸が、法定の灯火を表示しなかったばかりか、レーダーによる見張り不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったこととによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、大分県佐伯湾において、操業場所を移動するため、野崎鼻北方から大島東岸に向けて航行する場合、自船の存在及び運航状態を他船に認識させることができるよう、法定の灯火を表示すべき注意義務があった。しかるに、同人は、違反操業が発覚することを恐れ、法定の灯火を表示しないで航行した職務上の過失により、蛭子丸に対して自船の存在及び運航状態を認識させることができないまま、高速力で進行して同船との衝突を招き、第二彰丸の左舷船首部に破口などを生じさせ、蛭子丸の操舵室及び船体中央部を大破させ、蛭子丸の乗組員2人を死亡させたほか、両船の乗組員7人に重軽傷を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して、同人の一級小型船舶操縦士の業務を3箇月停止する。
B受審人は、夜間、大分県佐伯湾において、操業場所を移動するため、蒲戸埼南岸から大島東岸に向けて航行する場合、自船の存在及び運航状態を他船に認識させることができるよう、法定の灯火を表示すべき注意義務があった。しかるに、同人は、違反操業が発覚することを恐れ、法定の灯火を表示しないで航行した職務上の過失により、第二彰丸に対して自船の存在及び運航状態を認識させることができないまま、高速力で進行して同船との衝突を招き、前示の損傷などを生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して、同人の一級小型船舶操縦士の業務を3箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。