(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成12年6月20日07時58分
備讃瀬戸西部 小与島南東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船泰光丸 |
油送船親菱丸 |
総トン数 |
499トン |
99トン |
全長 |
74.90メートル |
32.40メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
404キロワット |
3 事実の経過
泰光丸は、専ら鋼材輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、A受審人ほか3人が乗り組み、空倉で、船首2.1メートル船尾3.6メートルの喫水をもって、平成12年6月20日01時10分大阪港を発し、広島県広島港に向かった。
ところで、A受審人は、S海運株式会社の経営責任者で、乗組員が休暇で下船する際には、交代者の受有海技免状の種類によって自ら船長の職務を執ったり、航海士として乗船したりするなど頻繁に職名を変更して乗り組み、乗船中は実質的に運航指揮を執り、大阪港出航時には船長としてFが乗り組んでいたものの、自ら船長の職務を行っていた。
A受審人は、大阪から広島までの航海中、適宜F船長と交代で船橋当直にあたり、05時00分播磨灘西部の大角鼻東方で単独の船橋当直に就き、その後備讃瀬戸東航路(以下「東航路」という。)に入って同航路に沿って西行するうち、霧のため次第に視界が悪くなり、07時34分大槌島南方を通過したころ視程約300メートルの視界制限状態となったが、安全な速力に減じないまま、折からの潮流に乗じて12.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で同航路を西行した。
07時43分A受審人は、小瀬居島灯台から052度(真方位、以下同じ。)2.2海里の地点で乃生岬を左舷側1.650メートルに航過したとき、針路を東航路に沿う250度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、12.0ノットの速力で進行した。
07時46分少し前A受審人は、備讃瀬戸東航路中央第1号灯浮標(以下「第1号灯浮標」という。)を左舷側160メートルに航過したとき、前示灯浮標の航過距離から視程が200メートル前後であることを知ったが、ときどき汽笛を鳴らしたものの、霧中信号を行わず、このころ3海里レンジのレーダーで船首方向近距離に探知した同航船の接近模様を監視し、間もなく同船が自船とほぼ同じ速力であることが分かり、同時47分少し前機関を半速力前進に減じて8.5ノットの速力となったので、同船に接近するおそれがないものと判断し、またそのころレーダー画面に航路外から接近するような他船の映像を認めなかったことから、その後レーダーによる見張りを行わず、専ら肉眼で前路の見張りにあたった。
07時54分A受審人は、鍋島灯台から082度1.5海里の地点に達したとき、右舷船首38度0.7海里の小与島東岸沖合に南下中の親菱丸が存在し、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、航路外から航路に入って来る他船はいないと思い、使用中のレーダーを活用して周囲の見張りを十分に行わず、また親菱丸が霧中信号を行っていなかったことから、前路の航路外から接近中の同船に気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めることなく続航した。
07時57分半前方を注視していたA受審人は、右舷船首至近に親菱丸を初認し、急いで機関を全速力後進にかけたが及ばず、07時58分泰光丸は、鍋島灯台から090度1.700メートルの地点において、残存速力が約5.0ノットとなったとき、原針路のまま、右舷船首が、親菱丸の左舷側中央部に後方から40度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、視程は約200メートルで、潮候は下げ潮の初期にあたり、約1.0ノットの西南西流があった。
また、親菱丸は、備讃瀬戸及びその周辺諸港で船舶への燃料補給業務に従事する船尾船橋型油送船で、B受審人ほか1人が乗り組み、重油100キロリットル及び潤滑油45缶を積載し、船首1.8メートル船尾2.8メートルの喫水をもって、同日07時00分岡山県水島港を発し、香川県坂出市番の洲緑町のコスモ石油桟橋に向かった。
出航後B受審人は、手動で操舵しながら機関長とともに見張りにあたり、水島航路の東側を南下して櫃石島、岩黒島間の水路を通航し、小与島東岸沖合に向け航行するうち、霧模様となって次第に視界が悪くなり、小与島北東方約700メートル沖合に達したころ、坂出港の代理店から濃霧のため番の州泊地に入ることができない旨連絡を受けたが、北備讃瀬戸大橋が見えていたので、このまま航行して視界が回復するまで瀬居島と小瀬居島の間で錨泊することとし、07時50分小瀬居島灯台から332度1.7海里の地点で針路を156度に定め、機関を回転数毎分1.200の全速力前進にかけ、折からの潮流によって右方に約7度圧流されながら、8.0ノットの速力で進行した。
B受審人は、主として肉眼で周囲の見張りにあたって小与島東岸沖合を南下するうち、次第に霧が濃くなって右舷前方に北備讃瀬戸大橋がかすかに見えていたものの、左舷前方には濃い霧堤が現れ、同方向の視程が1.000メートル未満に狭められて視界制限状態となったが、霧中信号を行わず、間もなく機関長が操舵室前方の甲板上に下りて見張りを行った。
07時54分B受審人は、鍋島灯台から062度0.9海里の地点に達したとき、0.75海里レンジとしたレーダー画面を見て、左舷船首55度0.7海里に泰光丸の映像と、その西方に第3船の映像をそれぞれ探知し、このとき小瀬居島はレーダーの使用レンジの外にあって映像が映っていなかったものの、いちべつしただけでこれら2個のうちの一つが小瀬居島の映像で、同島付近までの前路に他船はいないと思い、引き続きレーダーによる動静監視を十分に行わず、また泰光丸が霧中信号を行っていなかったので、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、このことに気付かず、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めることなく続航した。
07時55分B受審人は、更に霧が濃くなって視程が200メートル前後となったので、機関を回転数毎分800の半速力前進に減じたものの、依然として針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めないで、6.0ノットの速力で進行中、07時57分半左舷前方至近に泰光丸の船首部を認め、驚いて右舵一杯として機関を停止したが、左舷側への衝突が避けられないと判断し、舵効を増し衝突角度を小さくするため再び機関を全速力前進にかけて回頭中、親菱丸は、210度に向首したとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、泰光丸は右舷船首外板に凹損と亀裂が生じ、親菱丸は左舷側外板に凹損及び操舵室左舷側に曲損などを生じた。
(原因)
本件衝突は、備讃瀬戸西部において、両船が霧のため視界制限状態となった小与島東方を航行中、備讃瀬戸東航路を西行する泰光丸が、霧中信号を行わず、レーダーによる見張りが不十分で、前路の親菱丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、小与島東方沖合を南下中の親菱丸が、霧中信号を行わず、レーダーで前路に探知した泰光丸の映像に対する動静監視が不十分で、泰光丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、単独で船橋当直に従事して備讃瀬戸東航路を西行中、霧のため視界制限状態となった場合、前路の航路外から接近する親菱丸を早期に探知できるよう、使用中のレーダーを活用して周囲の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、第1号灯浮標付近でレーダーを見たとき航路外から接近するような他船の映像を認めなかったことから、前路の航路外から航路に入って来る他船はいないと思い、使用中のレーダーを活用して周囲の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、親菱丸の接近に気付かずに進行して同船との衝突を招き、泰光丸の右舷船首外板に凹損と亀裂を、また親菱丸の左舷側外板に凹損及び操舵室左舷側に曲損などを生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、霧のため視界制限状態となった小与島東方沖合を南下中、レーダーで前路に2個の映像を探知した場合、同映像が航行中の船舶であるかどうか確認できるよう、引き続き同映像に対する動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、いちべつしただけでこれら2個のうちの一つが小瀬居島の映像で、同島までの航路内に航行中の他船はいないと思い、引き続き同映像に対する動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、泰光丸が接近することに気付かず、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めないで進行して同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。