(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成12年3月28日12時45分
東京都隅田川千住大橋付近
2 船舶の要目
船種船名 |
油送船太洋丸 |
総トン数 |
143トン |
全長 |
40.83メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
330キロワット |
船種船名 |
作業船第12栄進丸 |
台船三港丸28号 |
全長 |
9.75メートル |
24.00メートル |
幅 |
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9.00メートル |
深さ |
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1.80メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
139キロワット |
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3 事実の経過
太洋丸は、主として出光興産株式会社千葉製油所から東京都隅田川尾久橋下流にある同社荒川油槽所への重油輸送に従事する船尾船橋型の鋼製油送船で、A受審人ほか2人が乗り組み、A重油450キロリットルを積み、船首1.95メートル船尾2.75メートルの喫水をもって、平成12年3月28日10時00分千葉港千葉第4区姉崎の同社専用桟橋を発し、同油槽所に向かった。
ところで、東京都荒川及び足立両区境界を流れる隅田川には、上流から順に小台橋、尾久橋、尾竹橋、京成電鉄本線鉄道橋、東電送電橋(以下「送電橋」という。)、千住水道橋、千住大橋、千住大橋(新橋)、JR常磐線鉄道橋(以下「JR鉄橋」という。)及び営団地下鉄日比谷線鉄道橋(以下「営団鉄橋」という。)が架けられていた。
千住大橋は、国道4号の下り車線用に供用され、橋脚がなく、同橋下流側に隣接して架けられた千住大橋(新橋)は、同国道の上り車線用に供用され、2本の橋脚(以下「橋脚」という。)が川幅のほぼ中央部に33メートルの間隔で築造されていた。左右両岸で一体となった千住大橋及び千住大橋(新橋)の両橋(以下「千住大橋」という。)は、左岸側の幅が41メートル、右岸側の幅が50メートルで、その上流側の送電橋との距離が約160メートル及び下流側のJR鉄橋との距離が約330メートルであった。
千住大橋付近の隅田川(以下「水路」という。)は、川筋の方向が上流に向かって千住大橋の上流側が280度(真方位、以下同じ。)、同橋下付近が287度及び同橋の下流側が283度で、送電橋の上流側及びJR鉄橋の下流側がそれぞれ北方に大きく屈曲し、左右両岸には、東京湾平均海面上高さ5.8メートルの直立型護岸が連続して築造され、部分的に同護岸の内側に同海面上高さ1.1メートル幅7.5メートルのテラス型護岸が築造されていた。これら各護岸で挟まれた水路の川幅は、送電橋下で67メートル、千住大橋下で90メートル及びJR鉄橋下で108メートルであった。また、左右各直立護岸からそれぞれ15メートル離れた水路の水深は、東京湾平均海面下5.1メートルに確保されていた。
水路の水流は、主として上流から下流に向かって流れるが、潮汐の影響を受けて下流から上流に向かって流れることもあった。
水路を通航する船舶は、左岸の直立型護岸により上流側及び下流側ともにそれぞれ左岸側遠方の視野が妨げられていたことや、橋脚の築造方向と川筋の方向とが違っていたことから、通常、上下流いずれに向かうときも、千住大橋の手前で、橋脚間に向く針路と橋脚の築造方向とが平行になる地点まで左側に寄せたのち、水深が確保された橋脚間を通航していたが、橋脚間の可航幅が約31メートルであったことから、船舶の行き違いが困難な場所になっていた。このため、千住大橋付近で互いに行き会う状況となった船舶は、水流に抗して航行する(以下「上航」という。)船舶が行きあしを落として水流に乗じて航行する(以下「下航」という。)船舶に進路を譲ることなどに留意し、十分注意して運航する必要があった。
A受審人は、ほぼ毎日隅田川を上下航して同川の航行に慣れており、平素、同川航行時には、自ら船首端から後方30.5メートルの操舵室中央(以下「操舵位置」という。)に立って操舵操船に当たり、船首に機関長及び操舵位置の横に甲板員を配置してそれぞれ見張りに当たらせ、右側航行を遵守し、必要に応じて直ちに投錨できるように準備して徐行していた。
こうして、A受審人は、折から下向水流となっている隅田川を右側に寄って上航し、12時40分千住大橋上の荒川及び足立両区の境界線と国道4号下り車線の中心線とが交わる点(以下「基点」という。)から100度430メートルの地点に差し掛かったとき、いつものように橋脚間を通航する針路に乗せるため及び左岸直立型護岸の上流側から下航船が現れるかどうかを確認するために、針路を右岸と水路中央との中間付近に向かう270度に定め、機関を微速力前進にかけ、2.4ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、手動操舵により進行し、同時43分少し前基点から109度230メートルの地点で、機関を半速力前進に上げ、4.0ノットの速力として続航した。
12時43分A受審人は、基点から111.5度200メートルの地点に達したとき、右舷船首21度240メートルのところに、橋脚の上流側を下航中の第12栄進丸(以下「栄進丸」という。)を初めて認め、間もなく機関長から同船の船尾に三港丸28号(以下「三港丸」という。)を引き、引船列を構成(以下「栄進丸引船列」という。)している旨の報告を受け、同引船列と千住大橋付近で行き会う状況であることを知ったが、行き違いが困難な場所での運航についての配慮が不十分で、このまま進行しても左舷を対して行き違うことができるものと思い、直ちに右側に寄るとともに行きあしを落とすなど同引船列に進路を譲る措置をとることなく、いったん機関を中立としたものの、針路を300度に転じたのち、再び機関を微速力前進にかけ、2.0ノットの速力として進行した。
12時44分少し過ぎA受審人は、基点から107.5度130メートルの地点に至り、栄進丸が左舷船首12度95メートルの地点で千住大橋を通過したのを認めたとき、まだ三港丸が同橋の下にいたが、栄進丸引船列と互いに左舷を対して行き違うつもりで、針路を橋脚間に向かう287度に転じ、その後同引船列と互いに行き会う状況で接近したが、依然、同引船列に進路を譲らないまま、機関を中立に戻したり微速力前進にかけたりして速力を保持しながら続航した。
12時45分少し前A受審人は、栄進丸引船列が千住大橋下を通過したのちも右転の気配を見せずに接近したので、衝突の危険を感じ、慌てて左転し、機関を全速力後進にかけたが、とき既に遅く、12時45分基点から107度110.5メートルの地点において、太洋丸は、原針路のまま、1.2ノットの速力となったとき、その右舷船首が、基点から107度80メートルの地点で、三港丸の右舷船首に前方から10度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風はなく、潮候は下げ潮の中央期に当たり、上流から下流に向かう水流があり、千住大橋の上流約3キロメートルに位置する小台水位観測所における水位は東京湾平均海面下16センチメートルであった。
また、栄進丸は、主として東京都内の各河川で台船などの曳航(えいこう)に従事する船尾船橋型の鋼製作業船で、B受審人が1人で乗り組み、船首尾とも0.30メートルの等喫水で空倉無人の鋼製台船三港丸を船尾に引き、全長48.0メートルの栄進丸引船列を構成し、船首0.50メートル船尾1.80メートルの喫水をもって、同日12時02分半尾竹橋の上流左岸約600メートルの護岸工事現場を発し、隅田川相生橋下流左岸の定係地に向かった。
栄進丸引船列は、栄進丸の船尾から伸出した直径50ミリメートル長さ4.5メートルのナイロン製ロープの後端と、三港丸の船首両舷からそれぞれ伸出した長さ10.6メートルの同製ロープのブライドル各先端とを縛り付けて接続した長さ14メートルの曳航索により、両船が連結されていた。
B受審人は、操舵室中央の舵輪の後ろに置いたいすの上に立ち、同室天窓から顔を出して前路の見張りに当たりながら、隅田川の中央を下航し、12時40分基点から284.5度241メートルの地点で、針路を川筋に沿う110度に定め、機関を半速力前進にかけ、2.2ノットの速力で、手動操舵によって進行した。
12時41分B受審人は、基点から282.5度174メートルの地点に達したとき、左舷船首8度530メートルのJR鉄橋上流側に、上航中の太洋丸を初めて認めたが、これまで水路を下航中に千住大橋付近で上航船と行き会う状況となったときには、上航船が行きあしを落として下航船に進路を譲っていたので、太洋丸もそのうち行きあしを落とすなどして自船に進路を譲るものと思い、引き続き太洋丸に対する動静監視を十分に行うことなく、同船が続航していることに気づかないまま、針路を097度に転じて水路の中央からわずか左側に向かい、同時42分少し過ぎ基点から287度95メートルの地点に達したとき、橋脚間に向く針路に乗ったことを確認して針路を107度に転じ、同じ速力で進行した。
12時43分B受審人は、基点から287度40メートルの地点に達したとき、上航中の太洋丸が右舷船首4度240メートルのところに接近し、その後同船が栄進丸引船列に進路を譲らないまま続航して千住大橋付近で行き会う状況となったが、太洋丸に対する動静監視を行っていなかったので、このことに気づかず、装備していたモーターホーンを使用して自船に進路を譲ることを促すための警告信号を行わないまま、三港丸を橋脚の中央を通航させるよう、同船と橋脚との位置関係を見ながら続航した。
12時44分少し過ぎB受審人は、基点から107度35メートルの地点で、千住大橋を通過して船首方を向いたとき、右舷船首1度95メートルに太洋丸を再度認め、同船が自船に進路を譲らないまま上航してきたことを知ったが、まだ三港丸が同橋を通過していなかったので回頭することができず、同じ針路、速力のまま進行し、同時45分少し前三港丸が同橋を通過したのを確認したのち、急いで左舵一杯に取ったが間に合わず、基点から100度94メートルの地点において、栄進丸は、左回頭により船首が077度を向いて衝突を免れたものの、三港丸は、船首が097度を向いたとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、栄進丸は損傷がなく、太洋丸及び三港丸はともに各右舷船首部に凹損を生じたが、のちそれぞれ修理された。
(原因)
本件衝突は、東京都隅田川の千住大橋付近において、両船が行き会う状況となった際、上航する太洋丸が、行き違いが困難な場所での運航についての配慮が不十分で、下航する栄進丸引船列に進路を譲らなかったことによって発生したが、栄進丸引船列が、動静監視不十分で、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
A受審人は、東京都隅田川の千住大橋付近において、同川を上航中、前路に下航する栄進丸引船列を認めた場合、同橋付近は可航幅が狭く、行き違いが困難な場所であったから、同引船列と同橋付近で行き違うこととならないよう、行き違いが困難な場所での運航について十分に配慮すべき注意義務があった。ところが、同受審人は、このまま進行しても左舷を対して行き違うことができるものと思い、行き違いが困難な場所での運航について十分に配慮しなかった職務上の過失により、直ちに右側に寄って行きあしを落とすなど同引船列に進路を譲る措置をとらないまま進行して三港丸との衝突を招き、太洋丸及び三港丸の各右舷船首部に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、東京都隅田川の千住大橋付近において、同川を下航中、前路に上航する太洋丸を認めた場合、同橋付近は可航幅が狭く、行き違いが困難な場所であったから、同船と同橋付近で行き違うこととなるかどうかが判断できるよう、太洋丸に対する動静監視を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同受審人は、これまで同橋付近で下航船と上航船とが行き会う際には、上航船が行きあしを落として下航船に進路を譲っていたので、同船もそのうち行きあしを落として自船に進路を譲るものと思い、引き続き太洋丸に対する動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、太洋丸が続航して千住大橋付近で行き会う状況となったことに気づかず、警告信号を行わないまま進行して三港丸と太洋丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。