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 海難審判庁裁決録 >  2001年度(平成13年) > 乗揚事件一覧 >  事件





平成13年門審第7号
件名

押船第三岬秀丸被押バージ葛城乗揚事件

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成13年7月26日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(米原健一、原 清澄、橋本 學)

理事官
畑中美秀

受審人
A 職名:第三岬秀丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
B 職名:第三岬秀丸二等航海士 海技免状:五級海技士(航海)

損害
岬秀丸・・・損傷ない
葛城・・・左舷中央部船底外板に小破口を含む凹損及び船底外板全面に擦過傷

原因
岬秀丸・・・狭水道通航時における操船指揮不適切、居眠り運航防止措置不十分

主文

 本件乗揚は、狭水道通航時における操船の指揮が適切でなかったばかりか、居眠り運航の防止措置が十分でなかったことによって発生したものである。
 受審人Aの五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 受審人Bの五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年2月8日03時26分
 関門海峡大瀬戸

2 船舶の要目
船種船名 押船第三岬秀丸 バージ葛城
総トン数 134トン 約2,595トン
全長 32.65メートル 83.50メートル
  20.00メートル
深さ   7.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関  
出力 2,942キロワット  

3 事実の経過
 第三岬秀丸(以下「岬秀丸」という。)は、船首船橋型の鋼製押船で、A及びB両受審人ほか4人が乗り組み、船首4.60メートル船尾4.80メートルの喫水をもって、海砂3,000立方メートルを積載し船首5.00メートル船尾6.00メートルの喫水となった葛城の船尾中央凹部に船首部を嵌合(かんごう)して全長約103メートルの押船列(以下「岬秀丸押船列」という。)を形成し、平成12年2月7日22時00分佐賀県唐津港を発し、関門海峡経由で大分県姫島に向かった。
 ところで、岬秀丸押船列は、平素、05時00分ごろ唐津港を出港して同港北方沖合7海里の小川島付近の海域で海砂の採取作業を行い、午前中に同作業を終え、同港で着岸するなどして時間調整をしたのち同夜出港し、関門海峡を経由して翌朝福岡県や大分県など瀬戸内海西部の各地に到達し、揚荷役を行って深夜唐津港に帰港するという航海を繰り返していたもので、A受審人は、各航海士に対し、居眠り運航の防止措置などについて十分に指示しないまま、同港から目的地までの全航程を航海士3人に任せて単独の船橋当直を行わせていたうえ、同海峡通航時においても自ら昇橋して操船の指揮を執らず、専ら出入港操船及び荷役作業中のクレーン操作に当たっていた。
 こうして、A受審人は、22時30分出港操船を終えて唐津港港外に至り、次席一等航海士に船橋当直を任せるとき、翌8日03時00分ごろ関門海峡西口に達することを知っていたが、それまで同海峡通航を含む全航程の船橋当直を航海士に任せて問題がなかったので、いつものとおり同海峡通航時の操船を航海士に任せても大丈夫と思い、同海峡通航時に自ら昇橋して操船の指揮が執れるよう、船長の昇橋地点を具体的に指示することも、眠気を催したとき報告するよう指示することもなく、姫島沖合に近づくまで自室で休息するつもりで降橋した。
 B受審人は、2週間ばかり前から連続して就労していたものの、航海中や唐津港入港時など、1日当たり10時間ばかり休息がとれていたので、疲労が蓄積した状態ではなかったが、7日05時00分から海砂採取作業に従事し、15時00分唐津港に着岸後帰宅して雑用に時間を費やしたのち、21時00分ごろ帰船して出港作業に当たり、睡眠をとらないまま、翌8日00時30分福岡県大島北方沖合で次席一等航海士から引き継いで単独の船橋当直に就いたもので、当直に就いたときから睡眠不足の状態にあった。
 その後、B受審人は、窓と扉を閉めて暖房を効かせた操舵室で、舵輪後方に置いた背もたれ及び肘掛け付きいすに腰を掛けた姿勢で見張りに当たり、02時55分ごろ関門港港界まで約1海里の地点に達したが、その旨をA受審人に報告しないで同港界に向かった。
 03時00分B受審人は、若松洞海湾口防波堤灯台から223度(真方位、以下同じ。)950メートルの関門港港界に達したとき、眠気を催すようになったが、操舵室の扉を開放し、冷気を入れて眠気を払拭したことから、まさか居眠りをすることはあるまいと思い、休息中の船長に報告して昇橋を求めるなど、居眠り運航の防止措置をとることなく、針路を大瀬戸第1号導灯(以下大瀬戸導灯に冠する「大瀬戸」を省略する。)の前灯と後灯とを一線に見る141度に定め、機関を11.0ノットの全速力前進にかけ、折からの潮流に乗じて12.5ノットの対地速力で、遠隔操舵装置による手動操舵により関門第2航路を進行した。
 B受審人は、間もなく関門航路に入航し、しばらくして船体の動揺で操舵室の扉が閉まり、同室内が暖まって再び眠気を催すようになったまま南下し、03時19分半少し過ぎ大山ノ鼻灯台から223度950メートルの地点に差し掛かったとき、針路を第2号導灯前灯の少し左方に向く115度に転じ、増勢した潮流に乗じて14.0ノットの対地速力で続航した。
 針路を転じたあとB受審人は、いつしか居眠りに陥り、03時23分半針路を第3号導灯に向く059度に転じる予定地点に達したものの、このことに気付かず、転針が行われないで進行中、同時24分半ふと目が覚めて前方を見たところ、目前に迫った陸岸を見て航路外を航行していることに気付き、急いで左舵一杯を取ったが、及ばず、03時26分第2号導灯前灯から022度450メートルの地点において、岬秀丸押船列は、船首が045度を向いたとき、大瀬戸南部に拡延する浅所に乗り揚げた。
 当時、天候は晴で風力5の北西風が吹き、潮候は下げ潮の末期で、付近には3.0ノットの東流があった。
 A受審人は、自室で休息中、機関音が変わったので、同室窓から外を見たところ、行きあしがないことに気付き、急いで昇橋して乗り揚げたことを知り、事後の措置に当たった。
 乗揚の結果、岬秀丸は、損傷がなく、葛城は、左舷中央部船底外板に小破口を含む凹損及び船底外板全面に擦過傷を生じたが、来援したサルベージ会社の引船によって引き下ろされ、のち修理された。

(原因)
 本件乗揚は、夜間、佐賀県唐津港から関門海峡経由で大分県姫島に向けて航行する際、同海峡通航時における操船の指揮が適切でなかったばかりか、居眠り運航の防止措置が不十分で、同海峡大瀬戸南部に拡延する浅所に向首進行したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、佐賀県唐津港から関門海峡経由で大分県姫島へ向けて航行する際、同港港外において、出港操船を終えて航海士に船橋当直を任せる場合、同海峡通航時に自ら昇橋して操船の指揮が執れるよう、報告すべき船長の昇橋地点を具体的に指示すべき注意義務があった。ところが、同受審人は、それまで関門海峡通航を含む全航程の船橋当直を航海士に任せて問題がなかったので、いつものとおり同海峡通航時の操船を航海士に任せても大丈夫と思い、報告すべき船長の昇橋地点を具体的に指示しなかった職務上の過失により、関門海峡に接近した際、船橋当直に就いていた航海士からその旨の報告を受けることができず、同海峡通航時に自ら操船の指揮を執らずに乗揚を招き、葛城の左舷中央部船底外板に小破口を含む凹損及び船底外板全面に擦過傷を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 B受審人は、夜間、単独の船橋当直に当たって関門海峡西口を航行中、眠気を催した場合、睡眠不足の状態にあったのであるから、居眠り運航とならないよう、休息中の船長に報告して昇橋を求めるなど、居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。ところが、同受審人は、操舵室に冷気を入れて眠気を払拭したので、まさか居眠りをすることはあるまいと思い、休息中の船長に報告して昇橋を求めるなど、居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、居眠りに陥り、予定の転針が行われないまま進行して同海峡大瀬戸南部に拡延する浅所への乗揚を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

 よって主文のとおり裁決する。 





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