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平成12年門審第95号
件名

油送船第五宗和丸貨物船オリエントパール衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年9月27日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(西村敏和、島 友二郎、原 清澄)

理事官
今泉豊光

受審人
A 職名:第五宗和丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:第五宗和丸一等航海士 海技免状:四級海技士(航海)

損害
宇和丸・・・球状船首部に凹損
オ号・・・左舷中央部に破口、貸物倉に浸水、転覆し沈没、のち解撒

原因
オ号・・・狭視界時の航法(信号・レーダー・速力)不遵守(主因)
宇和丸・・・狭視界時に航法(レーダー・速力)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、オリエント パールが、視界制限状態における運航が適切でなかったことによって発生したが、第五宗和丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aの三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 受審人Bを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年6月25日04時50分
 関門海峡西口

2 船舶の要目
船種船名 油送船第五宗和丸 貨物船オリエント パール
総トン数 2,998トン 2,495トン
全長 105.00メートル 85.01メートル
登録長 97.93メートル 80.22メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 2,942キロワット 1,618キロワット

3 事実の経過
 第五宗和丸(以下「宗和丸」という。)は、北海道苫小牧港を主たる積地として東北及び北陸地方各港へのガソリン、灯油又は軽油の運送に従事する、可変ピッチプロペラを備えた船尾船橋型の鋼製油送船で、A及びB両受審人ほか9人が乗り組み、空倉のまま、船首2.70メートル船尾4.30メートルの喫水をもって、平成12年6月23日16時50分富山県伏木富山港を発し、山口県徳山下松港に向かった。
 ところで、A受審人は、船橋当直を自らが8時から12時まで、次席一等航海士が0時から4時まで、及び一等航海士が4時から8時までの4時間交替の3直制とし、自らの当直には甲板員2人を、他の当直には甲板員1人をそれぞれ付け、狭水道通過時及び視界制限状態時においては自ら操船の指揮を執ることにしていた。また、これまで宗和丸の船長として約7年間乗船し、時折徳山下松港でも積油することがあり、その際関門海峡を通峡していたので、同海峡の水路事情についてはよく知っていた。
 翌々25日04時00分B受審人は、蓋井島灯台から042度(真方位、以下同じ。)3.1海里の地点において、次席一等航海士と交替して船橋当直に就き、蓋井島東方の水島水道に向けて南下した。
 04時15分A受審人は、関門港関門第2航路入航30分前の報告を受けて昇橋し、同時20分蓋井島灯台から130度3.2海里の地点において、水島水道を通過し終えたところでB受審人と交替して操船の指揮を執り、同人及び甲板員を見張りに就け、法定の灯火を表示し、針路を174度に定め、機関を回転数毎分218(以下同じ。)及び翼角14度の航海全速力前進にかけ、13.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で自動操舵により進行し、このころは視界が良好であったので、2台あるレーダーのうち、自動衝突予防援助機能を有する1台だけを作動し、同機能を使用せずに六連島及び馬島西方海域(以下「六連島西水路」という。)経由で関門第2航路に向かった。
 04時35分A受審人は、六連島灯台から318度3,670メートルの地点において、霧のため視界制限状態となったので、機関用意として、自らレーダー見張りを行いながら続航した。
 04時38分A受審人は、六連島灯台から312.5度3,360メートルの地点において、視界が更に悪くなったことから、自動吹鳴により霧中信号を開始し、甲板員を手動操舵に就けて針路を180度に転じ、翼角12度の港内全速力前進として11.0ノットの速力に減じて進行し、このとき、1.5海里レンジとしたレーダーでほぼ正船首2,450メートルのところにオリエント パール(以下「オ号」という。)の映像を、自船の後方に第三船の映像をそれぞれ探知し、いずれも関門第2航路に向かう同航船であることを知った。
 A受審人は、B受審人に対して六連島西水路第2号灯浮標(以下、六連島西水路各号灯浮標の名称については「六連島西水路」を省略する。)を目視確認するよう指示し、これを受けてB受審人は、右舷側ウイングに出て同灯浮標の確認に当たった。
 04時40分A受審人は、六連島灯台から302.5度2,930メートルの地点において、レーダーで右舷正横220メートルのところに第2号灯浮標を探知したが、B受審人から同灯浮標を視認できない旨の報告を受け、視程が約150メートルにまで狭まったことを知って、翼角6度の微速力前進として7.5ノットの速力に減じた。
 間もなく、A受審人は、B受審人から左舷後方に長音1回の霧中信号が聞こえる旨の報告を受け、レーダーで確認したところ、左舷後方の第三船は自船よりも速力が速く、同船はいずれ減速して自船に後続し、ほぼ正船首2,000メートルのところのオ号は自船よりも少し速力が遅いものの、同船とは第6号灯浮標付近までは接近することはないものと思い、その後は両船のことを気に止めることもなく、また、B受審人に対し、灯浮標を目視確認する合間にレーダー見張りを行うよう指示することもせず、昇橋してきた一等機関士を機関の操作に就けて続航した。
 A受審人は、04時42分六連島灯台から294度2,710メートルの地点において、右舷船首3度1,890メートルのところのオ号が避泊しようとして右転を始めたことに気づかず、同時45分同灯台から279.5度2,510メートルの地点に達して、針路を第6号灯浮標に向く190度に転じたとき、オ号が右舷船首4度1,500メートルのところで右回頭を続け、同時47分同灯台から269度2,560メートルの地点に至って、オ号が右舷船首19度930メートルのところに右回頭しながら接近し、自船と著しく接近することを避けることができない状況を生じさせたが、自船の前後にいるのは同航中のオ号と第三船だけであり、両船としばらくの間は接近することはないものと思い込み、視界が回復することを期待して前方を見たりしていて、レーダーにより動静監視を十分に行っていなかったので、オ号の接近に気づかなかったばかりか、第三船が自船の左舷側を追い越しにかかったことにも気づかず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもせずに進行した。
 B受審人は、視程が約100メートルにまで狭まった状況のもと、A受審人に第4号灯浮標を目視確認するよう指示されていたことから、その指示に従って同灯浮標の目視確認に当たりさえすればよいものと思い、船橋と右舷側ウイングとの間を行き来して同灯浮標の確認を行っただけで、その合間をみて、自らもレーダー見張りを行わなかったので、A受審人に対して他船の動静を報告することができず、同人を適切に補佐しなかった。
 04時49分A受審人は、六連島灯台から259.5度2,680メートルの地点において、操舵に就いていた甲板員から第三船が左舷側を追い越している旨の報告を受け、同船が左舷船首20度100メートルのところを右に回頭しながら追い越しているのを視認して衝突の危険を感じ、左舵一杯をとって、自船の船首が20度左に回頭したところで、かろうじて第三船の船尾至近を替わすことができた。
 このとき、A受審人は、依然としてレーダーにより動静監視を十分に行っていなかったので、第三船がオ号を避けるために右転したことも、オ号が右舷前方間近に接近していることにも気づかず、第三船の船尾方を替わした直後の04時50分少し前、正船首100メートルのところにオ号の左舷船首部を視認して衝突の危険を感じ、今度は右舵一杯をとり、機関を全速力後進にかけたが効なく、04時50分六連島灯台から255度2,770メートルの地点において、宗和丸は、ほぼ原速力のまま、170度を向いた船首部が、オ号の左舷中央部に後方から80度の角度で衝突した。
 当時、天候は霧で風はほとんどなく、視程は約100メートルで、潮候は下げ潮の初期であった。
 また、オ号は、中華人民共和国、大韓民国及び本邦間の定期航路に就航する船尾船橋型の鋼製貨物船で、船長C及び三等航海士Dほか11人(いずれも中華人民共和国籍)が乗り組み、ポリプロピレン約2,000トンを積載し、船首3.55メートル船尾5.88メートルの喫水をもって、同月21日11時30分(日本時間、以下同じ。)中華人民共和国営口港を出港し、24日11時00分大韓民国釜山港に寄港した後、同日17時00分同港を発し、静岡県清水港に向かった。
 C船長は、船橋当直を3人の航海士による4時間交替の3直制とし、各直に甲板員1人を付け、自らは狭水道通過時及び視界制限状態時において操船の指揮を執ることにしており、オ号の船長として約5年間乗船し、関門海峡を頻繁に通峡していたので、同海峡の水路事情についてはよく知っていた。
 翌25日03時46分半D三等航海士は、蓋井島灯台から234度1,600メートルの地点において、法定の灯火を表示し、針路を147度に定め、機関を回転数毎分200の全速力前進にかけ、10.0ノットの速力で、自動操舵により六連島西水路経由で関門第2航路に向かった。
 C船長は、関門第2航路入航30分前の連絡を受けて昇橋し、04時20分六連島灯台から314度4,250メートルの地点において、D三等航海士と交替して操船の指揮を執り、このころ視程が約1,000メートルに狭まって視界制限状態となったことから、機関用意とし、同時23分同灯台から310度3,350メートルの地点に達して、機関を回転数毎分160の半速力前進とし、6.0ノットの速力に減じたものの、霧中信号を行わずに続航していたところ、間もなく視程が約150メートルに狭まり、著しく視界が制限された状態となったので、D三等航海士を手動操舵に、甲板長を見張りにそれぞれ就けて進行した。
 C船長は、六連島西水路北口に差し掛かったころ、1.5海里レンジとしたレーダーで同水路を北上する船舶の映像を認めなかったことから、そのまま同水路を南下して関門第2航路に向かうことにし、04時27分第2号灯浮標の東方530メートルの地点に当たる、六連島灯台から306度2,690メートルの地点において、針路を185度に転じ、同時28分半、同灯台から300.5度2,550メートルの地点に達して、更に針路を190度に転じ、機関を回転数毎分140の極微速力前進として5.0ノットの速力に減じて続航した。
 04時35分C船長は、視界が回復する気配がなかったことから、航路入航に備えて見張員を増強することにし、見張りに就いていた甲板長に命じ、次直の当直者を昇橋させるため連絡に向かわせ、このときレーダーにより右舷船尾方に宗和丸を、更にその後方に第三船の映像をそれぞれ探知したものの、いずれも関門港を出航して北上する船舶であると誤信し、その後動静監視を十分に行っていなかったので、両船とも六連島西水路に向かって南下していることに気づかないまま進行した。
 04時42分少し前C船長は、レーダーにより関門第2航路西口付近に数隻の船舶の映像を探知したことから、このまま同航路に入航することが危険であると判断し、反転して視界が回復するまで六連島北方海域で避泊することにしたが、後方の船舶の映像には気にも止めず、同時42分六連島灯台から253度2,680メートルの地点において、宗和丸及び第三船が同航していることに気づかないまま、避泊予定海域に向かうため、右舵一杯をとって右回頭を始めた。
 C船長は、04時45分六連島灯台から250度3,000メートルの地点において、船首が280度を向き、更に同時47分同灯台から253度3,200メートルの地点において、船首が010度を向いたとき、右舷船首19度930メートルのところに宗和丸と、その左舷側を追い越しにかかった第三船とが南下しており、右回頭を続けることにより両船に向けて針路を転じることになって、両船と著しく接近することを避けることができない状況を生じさせたが、レーダーによる動静監視を十分に行っていなかったので、このことに気づかず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもしないまま右回頭を続けた。
 C船長は、04時48分六連島灯台から256度3,000メートルの地点において、元の針路線上を北上しようとして舵を中央に戻し、依然としてレーダーによる動静監視を十分に行わずに、針路を090度として続航していたところ、同時49分半、左舷前方約100メートルのところに宗和丸の左舷側を追い越した第三船の灯火を視認し、衝突を避けるため右舵一杯をとったが、既に第三船が右転を始めていて、自船の船尾至近のところを通過する態勢となっていたので、再び舵を中央に戻したところ、同時50分少し前、左舷前方約50メートルのところに宗和丸の灯火を視認し、衝突を避けるため再度右舵一杯をとったが効なく、オ号は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、宗和丸は、球状船首部に凹損を生じたが、のち修理され、オ号は、左舷中央部に破口を生じて貨物倉に浸水が始まり、04時55分ごろ左舷側に転覆し、六連島灯台から249度2,530メートルの水深約15メートルの地点において、左舷側を海底に向け、横倒し状態となって沈没した。オ号の乗組員は、救命胴衣を着用し、救命いかだを降下して乗り移ろうとしたが、同いかだの係止索が切断してオ号から離れたため、全員海中に飛び込み、2人は同いかだに乗り移ることができ、他の11人は乗り移ることができずに海上を漂流していたところを付近航行中の漁船に救助された。
 また、沈没したオ号の船体は、同年10月17日大型起重機船によって引き揚げられ、のち解撤された。

(原因)
 本件衝突は、夜間、霧のため視界が著しく制限された関門海峡西口において、両船が六連島西水路を関門第2航路に向けて南下中、先航するオリエント パールが、霧中信号を行わず、視界が回復するまで避泊しようとして反転した際、レーダーによる動静監視不十分で、後方を同航中の第五宗和丸に向けて針路を転じ、近距離のところで同船と著しく接近することを避けることができない状況を生じさせたばかりか、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことによって発生したが、第五宗和丸が、レーダーによる動静監視不十分で、オリエント パールが近距離のところで著しく接近することを避けることができない状況を生じさせた際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことも一因をなすものである。
 第五宗和丸の運航が適切でなかったのは、船長が、レーダーによる動静監視を十分に行っていなかったばかりか、一等航海士に対してレーダーによる見張りを行うよう指示しなかったことと、一等航海士が、レーダーによる見張りを行わず、船長を適切に補佐しなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、霧のため視界が著しく制限された関門海峡西口において、六連島西水路を関門第2航路に向けて南下中、レーダーにより先航するオリエント パールを探知した場合、同船との接近状態が判断できるよう、レーダーによる動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、レーダーにより前方に探知したオリエント パールが同航船であり、同船とは六連島西水路第6号灯浮標付近までは接近することはないものと思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、オリエント パールが自船の前路で反転し、近距離のところで自船と著しく接近することを避けることができない状況を生じさせたことに気づかず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもせずに進行して同船との衝突を招き、自船の球状船首部に凹損を生じさせ、オリエント パールの左舷中央部に破口を生じさせて浸水・沈没させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 B受審人は、夜間、霧のため視界が著しく制限された関門海峡西口において、六連島西水路を関門第2航路に向けて南下中、船長の操船指揮のもと、見張りを行う場合、レーダーによる見張りを行い、船長に対して他船の動静を報告するなど、同人を適切に補佐すべき注意義務があった。しかしながら、B受審人は、船長から六連島西水路第4号灯浮標などを目視確認するよう指示されたことから、同灯浮標の目視確認を行えばよいものと思い、その合間を見て、自らレーダーによる見張りを行い、船長に対して他船の動静を報告するなど、同人を適切に補佐しなかった職務上の過失により、船長がオリエント パールの反転に気づかないまま進行して同船との衝突を招き、前示の損傷などを生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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