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平成13年門審第36号
件名

油送船昭豊丸貨物船デューク衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年8月21日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(原 清澄、西村敏和、相田尚武)

理事官
千手末年

損害
昭豊丸・・・左舷船首部外板に凹傷
デューク・・・左舷船尾部に凹傷

原因
デューク・・・風圧に対する配慮不十分

主文

 本件衝突は、デュークが、風圧に対する配慮が十分でなかったことによって発生したものである。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年11月25日17時40分
 大分県大分港住吉泊地

2 船舶の要目
船種船名 油送船昭豊丸 貨物船デューク
総トン数 493トン 2,593トン
全長 66.80メートル 96.08メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 956キロワット 2,059キロワット

3 事実の経過
 昭豊丸は、航行区域を限定沿海区域とする、船尾船橋型の油タンカー兼引火性液体物質ばら積船兼液体化学薬品ばら積船で、船長Aほか5人が乗り組み、空倉のまま、船首1.35メートル船尾3.35メートルの喫水をもって、平成11年11月24日17時40分大阪港堺泉北区を発し、翌25日13時00分大分県大分港の住吉泊地に至り、大分港住吉西防波堤灯台(以下「西防波堤灯台」という。)から128度(真方位、以下同じ。)820メートルの、住吉ふとう13号岸壁と14号岸壁のほぼ中間部において、船首を331度に向け、両舷錨を正船首方向に対し、それぞれ約15度の角度をもたせて投入後、各錨鎖を約3.5節繰り出して双錨泊とし、船尾からハの字型に岸壁のビットに係留索を取り、船尾端と岸壁間に約3メートルの間隔を保って係留し、翌26日の同港鶴崎泊地でのガソリンの積荷役に備えて待機した。
 着岸後、A船長は、明朝の出港時刻を07時00分として乗組員に休息を与え、16時30分ごろ前部マストに300ワットの作業灯1個、船橋前部両舷に500ワットの作業灯を各1個及び船橋後部に500ワットの作業灯2個をそれぞれ点灯し、その後、夕食をとったのち、自室で休息した。
 昭豊丸は、A船長が自室で休息中、17時40分西防波堤灯台から127度750メートルの地点において、その左舷船首部に、船首が193度を向いたデュークの左舷船尾が42度の角度をもって衝突した。
 当時、天候は曇で風力6の北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、強風波浪注意報が発表されていた。
 また、デュークは、航行区域を遠洋区域とする船尾船橋型貨物船で、船長Bほか11人が乗り組み、炉材2,850トンを積載し、同月19日17時00分中華人民共和国クィンダオ港を発し、同月22日07時35分住吉泊地に至り、西防波堤灯台から119度400メートルの地点の住吉ふとう2号岸壁で、船首が332度に向く出船右舷付けとして揚荷役を開始し、越えて25日16時30分積荷の全量を揚げたのち、船首1.00メートル船尾3.60メートルの喫水をもって、兵庫県東播磨港に向かう予定で、出港準備に取りかかった。
 ところで、住吉泊地は、その出入口が北北西に面し、北北西方及び東北東方を向くL字型の形状をした水域からなり、これらの可航幅がそれぞれ約250メートルと狭く、かつ、本件時には東北東方を向く水域の南側岸壁に昭豊丸のほか2隻の船舶が船尾付けで係留しており、同水域の北側岸壁にも2隻の船舶が出船及び入船付けでそれぞれ係留していたので、水域が更に狭められる状況となっていた。
 17時04分B船長は、北西方からの強風を受ける状況下、出港部署を発令して船首尾にそれぞれ要員を配置し、三等航海士をテレグラフの操作に就かせ、操舵手を手動操舵に当たらせることとし、係留索を船尾側から順次放したのち、機関を後進にかけて離岸を始めたところ、船首が風圧で右方に圧流され、同時10分西防波堤灯台から138度460メートルの地点に至ったとき、船首がほぼ076度に向き、更に右方に圧流される状況となっていたが、機関や舵を種々使用すれば何とか態勢を立て直すことができるものと思い、速やかに左舷錨を投入して船首を風向に立てるなどの風圧を考慮した適切な操船を行わなかった。
 その後、B船長は、後進して西防波堤灯台から145度380メートルの地点に至り、船尾が右舷側の浅所に接近し、更に船首が風圧で右方に落とされて113度を向く状況となったとき、同地点での回頭を諦め、泊地の奥で回頭することとし、17時12分機関を前進にかけ、行きあしを調整しながら進行した。
 17時20分B船長は、船橋から住吉泊地の東端までの距離が240メートルばかりとなる、西防波堤灯台から115度760メートルの地点に至り、船首が061度に向いたとき、右舷錨を投じ、機関と舵を適宜使用して右転を試みたものの、水域に余裕がなくて回頭できず、回頭を中止して水路の屈曲部付近まで後退することとし、同時33分機関を後進にかけて進行した。
 デュークは、船尾が風に切り上がり、17時35分西防波堤灯台から117度660メートルの地点において、船首が約106度を向いたとき、B船長が右舷錨を揚げて右舵一杯をとり、機関と舵を種々使用して右回頭を始めたものの、17時36分同灯台から120度700メートルの地点において、船首が200度を向いたまま、風圧で舵効を得ることができなくなり、その後、双錨泊をして船尾付け中の昭豊丸が左舷船尾至近に迫る状況となったので、機関を停止して進行中、昭豊丸を辛うじて替わしたものの、船首が岸壁に衝突したのち、船尾が風下に落とされ、船首が193度に向いた状態で、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、昭豊丸は、左舷船首部外板に凹傷などを生じ、デュークは、左舷船尾部に凹傷を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
 本件衝突は、大分県大分港住吉泊地において、右舷付けで接岸中のデュークが、左舷船首方からの強風を受けて離岸操船を行う際、風圧に対する配慮が不十分で、操船の自由を失って風下に落とされたことによって発生したものである。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:48KB)





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