(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年1月24日21時45分
京浜港東京区
2 船舶の要目
船種船名 |
旅客船第十八濱田丸 |
貨物船ユエン ハン |
総トン数 |
40トン |
1,329トン |
全長 |
25.75メートル |
72.86メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
275キロワット |
956キロワット |
3 事実の経過
第十八濱田丸(以下「濱田丸」という。)は、最大搭載人員95人のFRP製屋形船型旅客船で、A受審人ほか3人が乗り組み、乗客24人を乗せ、隅田川及びお台場界隈(かいわい)における遊覧の目的で、船首1.1メートル船尾1.2メートルの喫水をもって、平成13年1月24日19時00分京浜港東京区第2区の汐留川水門付近の桟橋を発し、隅田川上流に向かった。
ところで、濱田丸は、甲板上に畳敷きの客室と調理室を設け、専ら隅田川の蔵前橋とお台場海浜公園間を周遊しながら乗船客への飲食提供を目的として運航する、港則法で定められた雑種船で、当時、所定の灯火のほか、両舷のブルワーク上部外舷側に設置された船体照明灯、客室周囲に吊り下げられた数十個の白色のちょうちん、客室上部に取り付けられた濱田屋と書かれた照明入り看板をそれぞれ点灯しており、夜間であっても、同船が観光目的で港内を周遊する舟艇であることは容易に判断できる状況となっていた。
また、操舵室は、船尾部にある調理室中央部前側にあって、舵輪のほか機関遠隔操縦装置、サイドスラスタの操縦桿等が配置されており、舵輪後方の踏み台に立つと、同室天井開口部に設けられた透明のアクリル製風防から肩より上が出ることとなり、そこから周囲の見張りと操舵操船ができるようになっていた。
A受審人は、濱田丸等の隅田川界隈を就航する小型船の運航に携わって10年の経験を有し、大型船と出会った際には自船が避航すべきことは十分承知しており、出航時から自ら操舵室の踏み台に立って操舵操船に当たっていた。
19時40分ごろA受審人は、蔵前橋の南側に達したところで東京湾に向けて引き返し、20時30分第3台場南側のお台場海浜公園内に至って錨泊したのち、21時30分同所を発進して帰途につき、同時39分少し過ぎ晴海信号所から195度(真方位、以下同じ。)1,230メートルの地点に達したとき、針路をほぼ竹芝桟橋北端に向首する350度に定め、機関を半速力前進にかけ、6.5ノットの対地速力で進行した。
定針したころA受審人は、船首方陸岸の多数の明かりに紛れて船舶の灯火がやや視認しにくい状況下、隅田川からの南下船、晴海ふ頭南側からの出港船等に注意すべく、前路を一べつしたところ、他船を認めなかったことから、南下船はいないものと思い、見張りを厳重に行わないまま続航した。
21時42分半A受審人は、晴海信号所から219度680メートルの地点に達したとき、右舷船首11度820メートルにユエン ハン(以下「ユ号」という。)の白、白、紅3灯を認めることができ、その後方位が変わらず衝突のおそれのある態勢で接近したが、見張り不十分で、背景となる水産ふ頭の明かりに紛れていたユ号の灯火に気付かず、雑種船以外の船舶であるユ号の進路を避けないまま進行した。
21時45分少し前A受審人は、右舷船首至近に大きな黒い影となったユ号の船首部分を初めて認め、とっさに同船の右舷方に出て衝突を避けようと左舵一杯、機関を全速力前進としたが及ばず、21時45分晴海信号所から266度520メートルの地点において、濱田丸は、288度に向首し、8.0ノットとなったその右舷中央部に、ユ号の船首が直角に衝突した。
当時、天候は晴で風力2の北風が吹き、潮候は下げ潮の末期であった。
また、ユ号は、船尾船橋型貨物船で、船長Bほか9人が乗り組み、スクラップ約1,057トンを積載し、船首2.8メートル船尾4.2メートルの喫水をもって、同日21時33分晴海ふ頭北岸の朝潮ふ頭G7岸壁を発し、中華人民共和国ハイメン港に向かった。
B船長は、京浜港東京区へは何度か入航経験があり、甲板員を手動操舵につけて自ら出航操船に当たって離岸し、入船右舷付けで係留していたことから、機関を後進にかけて水産ふ頭南西側に進み、21時39分南東方を向首したところで一旦機関を全速力前進にかけて後進行きあしを止め、同時40分機関を微速力前進としてレインボーブリッジ中央部に向け右転を開始したところ、第6台場と第3台場の中間付近に濱田丸の緑灯と船体周囲の多数の明かりを認め、同船がこの界隈を周遊する観光船であることが分かったが、まだ距離があったのでそのまま回頭を続けた。
21時42分半B船長は、晴海信号所から305度500メートルの地点に達したとき、針路をレインボーブリッジ中央部に向く198度に定め、機関を微速力前進にかけて4.5ノットの対地速力で進行した。
定針したころB船長は、濱田丸の白、白、緑3灯を左舷船首17度820メートルに認めるようになり、同船と衝突のおそれのある態勢で接近していることを知ったが、雑種船である濱田丸がそのうち針路を右に転ずるものと思い、警告信号を行わないまま続航した。
21時45分少し前B船長は、濱田丸が針路を右に転じないまま左舷船首至近に接近したことでようやく衝突の危険を感じたが、そのとき同船が増速しながら針路を左に転じたのを認めて驚き、汽笛を連吹するとともに機関を全速力後進としたが及ばず、ユ号は、ほぼ原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。
衝突の結果、ユ号は、船首部の塗装が一部剥離しただけであったが、濱田丸は、右舷中央部に破口を生じて浸水し、発航地付近まで自力航行して浅瀬に乗り揚げ、船体はのち修理された。また、濱田丸の乗組員及び乗客は来援した船艇に救助されたが、甲板員2人及び乗客6人が3日間から3週間の加療を要する骨折、頚椎捻挫等をそれぞれ負った。
(原因)
本件衝突は、夜間、京浜港東京区において、雑種船である濱田丸が、見張り不十分で、雑種船以外の船舶であるユ号の進路を避けなかったことによって発生したが、ユ号が、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、京浜港東京区において、多数の乗客を乗せて航行する場合、陸岸の明かりに紛れて船舶の灯火がやや視認しにくい状況にあったから、雑種船以外の船舶である出航中のユ号を見落とさないよう、見張りを厳重に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、周囲を一べつしただけで他船はいないものと思い、見張りを厳重に行わなかった職務上の過失により、接近するユ号に気付かず、その進路を避けないまま進行して同船との衝突を招き、ユ号の船首部に擦過傷を、自船の右舷中央部に破口をそれぞれ生じさせ、自船の甲板員2人及び乗客6人に骨折、頚椎捻挫等を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の六級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。