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平成12年第二審第15号
件名

漁船第二十七共栄丸遭難事件〔原審仙台〕

事件区分
遭難事件
言渡年月日
平成13年7月26日

審判庁区分
高等海難審判庁(宮田義憲、山崎重勝、田邉行夫、川本 豊、山田豊三郎)

理事官
伊藤 實

受審人
A 職名:第二十七共栄丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
共栄丸・・・船体大破、のち全損、同乗者1人が溺死体で発見

原因
寄港地の選定不適切

二審請求者
理事官大本直宏

主文

 本件遭難は、寄港地の選定が不適切で、港口において高起した波浪を受け、船体が大傾斜して航行が困難となったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成10年11月8日22時55分
 青森県大間港

2 船舶の要目
船種船名 漁船第二十七共栄丸
総トン数 8.5トン
全長 17.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 364キロワット

3 事実の経過
 第二十七共栄丸(以下「共栄丸」という。)は、一本釣り漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人ほか1人が乗り組み、義兄であるBほか1人を同乗させ、ぶり漁の目的で、船首0.5メートル船尾1.6メートルの喫水をもって、平成10年11月8日16時00分風力6の南西風が吹く中、青森県奥戸漁港を発し、大間埼北方沖合約2.5海里の漁場に向かった。
 これより先、A受審人は、同日正午前のテレビ放送の天気予報と天気図を見て、南西風が強くなり、海上が時化模様となるが、出漁を見合わせるほどの天候にはならないものと予測してその準備をしていたところ、B及びその友人から同乗を求められ、時化模様を予測していたので一旦は断ったものの、再度にわたって懇請され、やむなく同乗させて発航するに至ったものであった。
 本船は、一層甲板で、甲板上の船首部に倉庫があり、前部甲板に続いて船体のほぼ中央部に操舵室が、これに連なって機関室囲壁と食堂が設けられ、その後方が後部甲板となっており、甲板下には船首側から順に魚倉1、2、3が、操舵室下に燃料タンク1が、これに続いて機関室、船員室があって、その後部中央に操舵機室が、これを挟んでその両舷に燃料タンク2、3が、これらの船尾側に清水タンク、同タンクの左舷側に魚倉4が配置されていた。当時、魚倉にはロープ、氷等が、また、燃料タンクには燃料が半載され、甲板上には特に固縛を要する移動物は積載されていなかった。
 A受審人は、同日19時ごろ漁場に到着し、操業を開始して間もなく、同乗者が船酔いをしているのを認めたが、同乗者達から構わずに操業を続けてほしい旨頼まれ、引き続き操業を行ったが、釣果を得ないうえ、同業者から携帯電話で太平洋側の同県三沢市沖でいかが釣れているとの情報を得たことから、いか釣りの準備をするため操業を切り上げて帰航することとした。
 A受審人は、波高が1.5メートルとなり、風力6の南西風が増勢する状況下、荒天に備えて魚倉の蓋など開口部の密閉を確かめ、21時30分大間埼灯台から003度(真方位、以下同じ。)2海里の地点を発進し、同乗者達の船酔いを気遣い、南西方からの風波を避けるため、大間埼北方600メートルに位置する弁天島の東方海域に向かって南下した。
 22時00分A受審人は、大間埼灯台から031度1,100メートルの地点に達したとき、さんまの大群に遭遇し、船内に飛び込んでくる状況となったので、機関を減速してこれをかごに取り入れながら進行した。
 A受審人は、22時20分大間埼灯台から086度700メートルの地点に至り、乗組員から同乗者の1人の船酔いが一通りでないと知らされ、同人を早期に下船させることとしたが、大間港は日ごろ見ているから、無難に入航できるものと思い、入港経験の全くない風上側に立地する同港に向かうこととし、下手浜漁港など入港経験のある風下側の港を選定することなく、なお南西方からの風波が増勢する状況下、機関を増速して弁天島と大間埼との間の水道に向かって続航した。
 ところで、大間港は、奥戸漁港の北方約2海里に位置し、青森県下北半島の北西岸にあって、津軽海峡に面し、沖合からの波浪を遮るように北から順に大間港東(以下大間港を冠する防波堤名については、冠称を省略する。)、北、西及び根田内各防波堤がほぼ南北に構築され、距岸900メートル以内の水深は不規則で浅礁が存在しており、西寄りの風が強いときには西方沖合から打ち寄せる波浪が隆起し、これらの防波堤に当たって反射しあるいは屈折するほか、引波とあいまって、防波堤付近では複雑かつ不規則に変化し、時には三角波を形成することがあった。
 A受審人は、漁場への往復航時にしばしば大間港の沖合を通航して同港を見たことがあり、同港の沿岸域では波浪が隆起することは承知していたものの、入港した経験が一度もなく、その詳細は知らなかった。
 22時38分半A受審人は、大間埼灯台から215度750メートルの地点において、針路を200度に定めて手動操舵とし、機関の回転数を毎分1,400より少し下げ、5.0ノットの対地速力で、ほぼ船首に風波を受けながら進行した。
 A受審人は、22時50分大間港西防波堤灯台(以下「西防波堤灯台」という。)から304度380メートルの地点に達したとき、針路を北及び西両防波堤間の港口(以下「港口」という。)に向く117度に転じ、機関を徐々に減速し、波高2メートルの波浪と風力7の南西風とを右舷船尾約70度に受けながら続航した。
 22時51分A受審人は、大間埼で風速毎秒15メートルの南西風が吹いていることをラジオ放送によって聞き、南西方からの波浪が大間港の沿岸域に打ち寄せて波浪が隆起する状況となっていることが予測されたものの、なお、港口に向かって進行した。
 A受審人は、強い南西風によって浅瀬に吹き寄せられて大きくなる波浪と大間港の防波堤からの返し波とによって高起する波浪の中を続航して、2.5ノットの対地速力で西防波堤の先端付近に至り、針路を港奥にとり始めたところ、22時55分西防波堤灯台から047度50メートルの地点において、共栄丸は、右舷斜め後方から来襲した一段と高起した波浪によって、船体が左舷側に大傾斜して同舷側が水没し、海水が甲板上に流入して排水できないまま復原せず、航行が困難となった。
 当時、天候は曇で風力7の南西風が吹き、潮候は下げ潮の末期で、波高は2メートルであった。
 A受審人は、転覆の危険を感じ、同乗者達の救助を意図して任意座礁を試み、22時56分少し前西防波堤灯台から065度110メートルの地点において、共栄丸は、船首が080度を向いて左舷に傾斜したまま、北防波堤外側の岩礁に乗り揚げ、その直後に左舷側に横転した。
 A受審人は、乗船者全員にその場に留まるよう指示し、自らが単独で泳いで救助を求めに赴こうとしたところ、乗船者全員が同行することを希望したので、全員で陸に向かって泳ぐうち、B同乗者(昭和31年11月18日生)が行方不明となった。
 その結果、共栄丸は、波浪によって大破し、のち引き揚げられたが、全損となり、B同乗者は、同月16日港口付近で溺死体となって発見された。

(原因)
 本件遭難は、夜間、青森県大間埼北方沖合において、南西風の強吹する荒天下、船酔いの同乗者を下船させる際、寄港地の選定が不適切で、入港経験のない、風上側に立地する大間港に向かい、同港の港口で高起した波浪を受け、船体が大傾斜して航行が困難となったことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、青森県大間埼北方沖合において、南西風の強吹する荒天下、船酔いした同乗者を下船させる場合、大間港が風上側に立地して沿岸域では波浪が隆起することを知っており、また、同港に入港した経験がなかったのだから、安全に入航できるよう、風下側で入港経験のある下手浜漁港など適切な寄港地を選定すべき注意義務があった。
 しかしながら、同受審人は、大間港は日ごろ見ているから、無難に入航できるものと思い、適切な寄港地を選定しなかった職務上の過失により、大間港の港口において、高起した波浪を受け、船体が大傾斜して航行が困難となり、任意座礁させて船体を全損させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同受審人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成12年7月18日仙審言渡
 本件遭難は、沿岸域の波浪に対する配慮が十分でなかったことによって発生したものである。
 なお、同乗者が死亡したのは、救命胴衣を着用しないまま、高起した波浪のある沿岸域を泳いだことによるものである。
 受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。


参考図
(拡大画面:45KB)





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