(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年9月7日06時00分
関門港若松区
2 船舶の要目
船種船名 |
作業船帆柱丸 |
総トン数 |
19.98トン |
登録長 |
11.90メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
242キロワット |
3 事実の経過
帆柱丸は、昭和56年3月に進水した、全長13.95メートル幅1.00メートル深さ1.90メートルの鋼製作業船で、平成6年8月にR式会社(以下「R社」という。)が購入し、主に関門港内において艀(はしけ)の曳船として使用されていたところ、同10年9月ごろから月に1日ないし2日しか運航されなくなり、予備船として関門港若松区第2区の、若戸大橋橋梁灯(C1灯)から206度(真方位、以下同じ。)1.9海里に位置する製鉄八幡泊地八幡製鉄岸壁12号(以下「12号岸壁」という。)に係留されていた。
ところで、帆柱丸は、上甲板上の船体中央部船首寄りに操舵室が設けられ、その後方が機関室囲壁となっており、また、上甲板下は、船首部から順に船首水槽、船員室、機関室、船倉及び船尾水槽からなり、機関室後部両舷側に燃料タンクが備えられていた。そして、船底部は、方形キールが取り付けられた単底構造で、機関室内船底には艀を曳航するためのバラスト用として新造時から鉄塊が敷き詰められていた。
R社は、昭和18年に創立された資本金1,000万円、船員を含めた従業員8人の通船及び曳船事業を営む会社で、通船5隻及び作業船2隻を所有していた。
D社長は、一級小型船舶操縦士の免状を受有し、通船の運航に従事した経験もあり、営業活動のほか所有船の入出渠や保守作業の指示などの運航管理も行い、帆柱丸が船齢の古い船であることを知っていたものの、平成11年3月に行われた定期検査時も含め、同船購入以来1度も機関室内船底部外板の腐食程度の確認や板厚計測を実施していなかった。
また、A受審人は、昭和51年からR社に雇用され、同社が帆柱丸を購入したときに同船の船長として乗り組んだのち、平成9年1月に同社の作業船第二十五俊栄丸(以下「俊栄丸」という。)の船長職を執るようになり、関門港内で土曜日、日曜日を除く毎日07時00分ごろから5時間ないし10時間艀の曳航作業に従事していた。そして、帆柱丸が予備船として俊栄丸の近くに係留されていたことから、帆柱丸の後任船長が腰痛で入院したのち、他の乗組員と交代で同船の状況を時折見回って会社に報告するようになった。
D社長は、荷主関係者から今後帆柱丸を毎日運航してもらうことになるとの連絡を受け、かきなどの船底付着物を落とす目的で底洗いを行うため、稲益造船株式会社(以下「稲益造船所」という。)の船台に上架することにしたが、同船の船長が入院しているので、A受審人に、俊栄丸における曳船作業の合間に帆柱丸の入渠作業に当たるよう指示した。
こうして、帆柱丸は、A受審人が甲板員1人とともに乗り組み、平成11年9月4日12時30分12号岸壁を発し、同時50分ごろ若松区の若戸大橋橋梁灯(C1灯)から249度2.3海里ばかりの稲益造船所に到着して船台に上架された。
上架に立ち会ったD社長は、帆柱丸の購入後1度も機関室内船底部外板の状態を確認していなかったものの、同造船所と相談して機関室内船底部に敷き詰められている鉄塊を除去し、船底外板の発錆状態を確認したり、必要であれば板厚の計測を実施するなど、帆柱丸に対する保守管理を十分に行わないで、機関室内船底部外板が腐食により衰耗していることに気づかないまま、平素の入渠時と同様、A受審人と臨時の作業員2人に底洗いを指示し、稲益造船所にはペイントの塗装と保護亜鉛板の交換のみを依頼した。
A受審人は、13時00分ごろからスクレーパによる船底付着物の除去と高圧洗浄水による底洗いに従事したのち、水線部付近の発錆部をチッピングハンマーでたたくなどの作業を行い、15時30分ごろこれを終え、16時00分ごろから1号ペイントの塗装作業が始まり17時ごろ終わったのを見届けて帰宅した。
翌々6日A受審人は、早朝から俊栄丸で仕事を行い、これが一段落したところで稲益造船所に赴き、船台から引き下ろされた帆柱丸に同人及び甲板員1人が乗り組み、浸水の有無等を点検したのち、11時00分船首1.20メートル船尾2.80メートルの喫水をもって同造船所を発し、機関の試運転をしたり、船内各所に浸水がないかを確かめたりしながら洞海湾を航行し、12時00分12号岸壁に左舷付けで着岸し、船首及び船尾からそれぞれ直径25ミリメートルの化学繊維製索2本ずつを取り係留した。
A受審人は、浸水等異常が認められなかったことから、隣に係留していた俊栄丸に戻って自船の業務を行い、18時00分ごろ自宅への帰途再び帆柱丸に立ち寄り浸水の有無など安全を確認したのち同船を無人にした。
その後、帆柱丸は、腐蝕により衰耗した機関室内船尾左舷側の船底部外板に小破口が生じて浸水が始まり、翌7日06時00分12号岸壁前において、マスト上部のみを海面から出して沈没しているところを、俊栄丸に乗船するため通りかかったA受審人に発見された。
当時、天候は晴で風はなく、潮候は高潮時であった。
沈没の結果、帆柱丸は、主機及び航海計器など各部に濡損を生じ、のち引き揚げられたものの、修理費の都合で廃船とされた。
R社は、本件後直ちに俊栄丸を上架して船底部外板の板厚計測を行うなど、保守管理を充実させ、同種事故再発防止のための措置を行った。
(原因の考察等)
本件は、出渠後に無人の状態で岸壁に係留されていたところ、翌朝沈没していることが発見されたもので、その原因について考察する。
帆柱丸は、沈没後引き揚げられており、機関室内船底部の小破口から浸水し、浮力が喪失して沈没に至ったことは明白である。
そして、破口が生じたのは、多湿で振動が大きい機関室内船底部外板上にバラストのため鉄塊が敷き詰められたまま長年放置されていたことにより、鉄塊の下の外板に電食が進行して衰耗したことによるものと認められる。
R社は、D社長が入渠の手配など所有船の保守管理を行い、同社長は、帆柱丸が建造後18年目の平成11年3月に行われた定期検査をアフロートで実施され、同船の船底部外板の腐食状態が確認されていなかったことを承知しており、入渠時には専任の船長が入院して自らが立ち会っていたのであるから、造船所と相談のうえ、機関室内船底部の鉄塊を除去して腐食の状態を確認し、必要であれば板厚の測定をする必要があった。しかし、D社長が船体の他の場所にそれほどの腐食が進んでいなかったことから大丈夫と思い、機関室内船底部外板の腐食状態を確認するなど、保守管理を十分に行わなかったことは本件発生の原因となる。
また、帆柱丸の船体の状態にも詳しいA受審人が、R社に対して機関室の鉄塊を除去して船底の状態を確認するよう進言しなかったことは遺憾であるが、同受審人が当時帆柱丸専任の船長として雇用されていなかったことから原因とするまでもない。
さらに、A受審人が帆柱丸を上架したとき、当然チッピングハンマーやテストハンマーで外側から船底部外板の状態を十分に調べるべきであり、そうすれば打撃音の変化で腐食衰耗部分を発見できたのであるから、これを行わなかったことが本件発生の原因となる旨の意見があるが、専任の船長でなく、点検作業に十分な時間がなかった同受審人に対して上面に鉄塊が敷き詰められた船底部外板について船外からの打撃音の変化で腐食衰耗部分を発見し、破口が生じるおそれがあるかどうかの判断を求めることは現実的でない。
以上のことから、A受審人の所為は本件発生の原因とならず、R社が、船齢が古く、予備船として係船していた帆柱丸を曳船として使用するため、底洗いと塗装の目的で造船所船台に上架した際、同造船所に依頼し、建造時から機関室内船底部にバラストとして敷かれていた鉄塊を除去したうえ、外板の腐食状態の確認や、要すれば板厚測定を実施するなど、船体に対する保守管理を十分に行わなかったことが本件発生の原因となる。
(原因)
本件沈没は、船舶所有者が、船齢が古く、予備船として係留していた帆柱丸を曳船として使用するため、底洗いと塗装の目的で造船所船台に上架した際、船底部外板の腐食状態を確認するなど、船体に対する保守管理が不十分で、関門港若松区において岸壁係留中、腐蝕により衰耗した船底部外板に破口を生じて機関室内に浸水し、浮力を喪失したことによって発生したものである。
(受審人等の所為)
R社が、船齢が古く、予備船として係船していた帆柱丸を曳船として使用するため、底洗いと塗装の目的で造船所船台に上架した際、長年にわたり機関室内船底部外板の状態を確認していなかったのであるから、同造船所に依頼し、機関室内船底部にバラストとして敷き詰められていた鉄塊を除去したうえ、外板の腐食状態の確認や板厚測定を行うなどの船体に対する保守管理が十分でなかったことは、本件発生の原因となる。
R社に対しては、本件後、直ちに俊栄丸を上架して船底部外板の板厚測定を行うなど、他の所有船舶に対する保守管理を充実させた点に徴し、勧告しない。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。