日本財団 図書館




 海難審判庁裁決録 >  2001年度(平成13年) > 転覆事件一覧 >  事件





平成12年門審第121号
件名

遊漁船牧安丸転覆事件

事件区分
転覆事件
言渡年月日
平成13年5月16日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(佐和 明、原 清澄、米原健一)

理事官
千手末年

受審人
A 職名:牧安丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
機関関係及び電気系統に濡れ損、釣り客B死亡、釣り客C行方不明、のち遺体で発見

原因
横波に対する配慮不十分

主文

 本件転覆は、横波に対する配慮が不十分であったことによって発生したものである。
 なお、釣り客に死者が生じたことは、救命胴衣を着用していなかったことによるものである。
 受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年7月4日14時55分
 響灘西部

2 船舶の要目
船種船名 遊漁船牧安丸
総トン数 4.9トン
全長 15.03メートル
2.67メートル
深さ 0.85メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 308キロワット

3 事実の経過
 牧安丸は、遊漁をする際の最大とう載人員を船員1人及び旅客8人と定めるFRP製小型遊漁兼用船で、A受審人が1人で乗り組み、平成11年7月4日04時35分福岡県地島漁港豊岡地区を出航し、同県鐘崎漁港に立ち寄って釣り客7人を乗せ、同釣り客の釣道具120キログラムを積み込み、船首喫水0.4メートル、船尾の舵板ソールピース下面までの深さ1.6メートルの状態で05時00分同漁港を発し、06時00分ごろ地島北西方14海里ばかりの釣り場に至って遊漁を開始した。
 ところで、牧安丸は、全通暴露甲板上の船体中央部船尾寄りに船室及び操舵室が設けられており、同甲板は、両舷とも外方に約26センチメートル(以下「センチ」という。)の張り出しが設けられ、その上面に高さ65センチのブルワークが設置されており、ブルワーク下の張り出し部分にそれぞれ直径約5センチの放水口が片舷6箇所ずつ設けられていた。また、同甲板下は、船首から順に、船倉、氷室、船倉、前後方向に並んだ3箇所の魚倉、機関室、空所、魚倉、船倉、及び中央部に舵機室が設けられた船倉がそれぞれ設置され、これらは船首尾方向の隔壁によってそれぞれ2ないし3区画に仕切られていた。
 そして、暴露甲板上の22箇所の各倉口には、高さ約8センチのコーミングが設けられ、それぞれ高さ約10センチの縁付きFRP製さ蓋をかぶせて風雨密になっていた。
 A受審人は、前部甲板の魚倉のうち、前から2番目の左右に2区画に仕切られた魚倉の船底栓を抜いて海水を入れ、生き餌と漁獲物を入れるためのいけすとし、その中央のさ蓋だけを開放していたが、他の魚倉は船底栓を開けずに空倉のままとしていた。
 こうして、A受審人は、折から波浪注意報が発表されていたが、釣り客に救命胴衣を着用するよう指示することなく、救命胴衣9着及び救命浮環1個を最船尾右舷側の船倉に収納したまま、適宜場所を変えながら遊漁を続け、13時半ごろこれを打ち切り、同時39分筑前大島灯台から339度(真方位、以下同じ。)11.6海里の地点を発進して帰途についた。
 A受審人は、操舵室内のいすに腰を掛け、針路を地島に向首する143度に定め、機関回転数を全速力前進より少し減じた毎分1,700とし、13.0ノットの対地速力で、左舷正横より少し後方からの風浪を受けながら手動操舵により進行した。
 14時35分A受審人は、北方に流れる潮流に逆らって波が高まりかつ急峻となった倉良瀬戸北側付近に近づき、片舷10度ほどの横揺れが始まったが、この程度の波高なら大丈夫と思い、時折発生する高起した横波を受けないよう、大島の方に向く針路に転じるなど、横波に対する配慮を十分に行うことなく、機関回転数を下げて速力を11.0ノットに減じただけで、同一針路のまま続航した。
 14時40分A受審人は、高起して急峻となった高さ約2.6メートルの大波が突然左舷正横少し後方から迫るのを認めたが、どうすることもできないまま、甲板上に大量の波が打ち込み、船体が右舷側に25度以上傾斜するとともに、船尾甲板でクーラーボックスに腰を掛けていた2人の釣り客が船外に押し流された。さらに、右舷側ブルワーク上縁からも大量の海水が浸入し、甲板上に滞留した海水が前部甲板の前から3番目の魚倉右舷側及び後部甲板魚倉の右舷側各さ蓋を浮き上がらせ、これら倉内に海水が浸入し、その後他の右舷側魚倉や船倉にも浸水が始まった。
 A受審人は、船体が大傾斜してその傾斜が回復しないことに転覆の危険を感じ、内方傾斜のおそれがあったものの、右舵一杯をとり、機関を前進にかけて2回転したが、なお右舷側ブルワーク上縁が海水に浸かる状態であったので、機関を中立として船首を西方に向けて漂泊し、操舵室外に出たところ、2人の釣り客が船外に押し流されたことを初めて知った。
 しかし、A受審人は、救命浮環を収納した最船尾右舷側の倉口が海面下にあり、さ蓋を開けると一挙に海水が同倉内に流れ込むおそれがあったので、これを取り出すこともできないまま、無線電話で救助を求めたのち、転覆を防ごうと種々試みたが効なく、船体が徐々に沈下を続け、14時55分倉良瀬灯台から329度1.9海里の地点において、牧安丸は復原力を喪失して右舷側に転覆した。
 当時、天候は曇で風力3の北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期に当たり、付近には約1ノットの北方に流れる潮流があり、海上には高さ1.5メートルばかりの波があった。
 転覆の結果、牧安丸は、機関関係及び電気系統に濡れ損を生じたが、救助船によって地島漁港に引きつけられ、のち修理された。また、A受審人及び釣り客5人は、他の救助船によって救助されたものの、船外に押し流された釣り客B(昭和14年3月6日生)は、漂流中に救助されたが、のち死亡し、釣り客C(昭和25年8月21日生)は、行方不明となったが、のち遺体で発見された。

(原因)
 本件転覆は、響灘西部を地島に向けて横波を受けながら航行中、波浪が高まり、かつ急峻となった海域に入った際、横波に対する配慮が不十分で、高起した横波を受けて大量の海水が甲板上に打ち込み、復原力が喪失したことによって発生したものである。
 なお、釣り客に死者が生じたことは、救命胴衣を着用していなかったことによるものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、響灘西部を地島に向けて横からの波を受けながら航行中、風浪に対して反方向からの潮流が存在する海域に入り、波浪が高まり、かつ急峻となって船体動揺が増した場合、高起した横波を受けることがないよう、転針するなどの措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同人は、この程度の波高なら大丈夫と思い、転針するなどの措置をとらなかった職務上の過失により、高起した急峻な横波を左舷側から受けて大量の海水が甲板上に打ち込み、滞留した海水が船体を大傾斜させるとともに倉内に流入し、復原力を喪失させて転覆を招き、牧安丸の機関及び電気系統に濡れ損を生じさせるとともに、押し流された釣り客2人を救助できないまま溺死させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。

 よって主文のとおり裁決する。 





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION