(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成12年9月28日06時15分
沖縄県那覇港
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船ユニ−モラル |
総トン数 |
12,406トン |
全長 |
162.60メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
6,913キロワット |
3 事実の経過
ユニ−モラル(以下「ユ号」という。)は、船尾船橋型の鋼製コンテナ専用運搬船で、船長A及び三等航海士Bを含む台湾人19人とベトナム社会主義共和国人3人が乗り組み、コンテナ400個を積載し、船首8.35メートル船尾9.05メートルの喫水で、平成12年9月28日05時54分那覇港那覇新港9号岸壁を発し、大阪港に向かった。
ところで、A船長は、前日の夕刻、水先案内人の嚮導(きょうどう)のもと初めて那覇港に入航した際、那覇港中央灯浮標付近から那覇防波堤と新港第1防波堤との間の唐口を航行し、那覇港新港第1防波堤南灯台(以下「防波堤南灯台」という。)付近で左転して那覇新港9号岸壁に至る針路法を在橋して経験していたので、出航時はその逆の針路法をとるべきことを知っていた。そして、出航前には日本版海図第243号にあたって出航針路法を確認したものの、使用海図上に出航針路線を記載しなかったうえ、B三等航海士に出航針路法を伝えないまま、離岸作業にかかった。
一方、B三等航海士は、前日の夕刻、在橋してA船長と同じ経験をしていたものの、使用海図に出航針路線が記載されていなかったうえ、同船長からなんら指示を受けていなかったので、出航針路法については知らないまま、船橋内のテレグラフの横に立って離岸作業にかかった。
A船長は、自ら操船にあたり、B三等航海士を操船補助者に、操舵手を手動操舵にそれぞれ就け、投錨していた右舷錨と右舷船尾にとった引船を利用して離岸し、05時59分機関を極微速力前進に、06時00分微速力前進にかけ、増速及び右転しながら唐口に向かって進行した。
そして、A船長は、06時06分機関を港内全速力前進にかけ、同時08分防波堤南灯台から080度(真方位、以下同じ。)650メートルの地点で、針路を237度に定め、レーダーを1.5海里レンジとして作動させたまま、船速を増しながら南下していたとき、船橋後部のカーテンで仕切られた海図台のある区画に入り、針路法の再確認等を始めた。
一方、B三等航海士は、テレグラフの横に立ち、見張りにあたっていたところ、06時10分ごろ防波堤南灯台を右舷正横250メートル離して航過したものの、出航針路法を知らなかったので、なんの不安も感じなかった。
06時11分A船長は、防波堤南灯台から184度345メートルの地点で、カーテンで仕切られた海図台のある区画から前方に移動し、目視による見張りを再開したが、すでに同灯台正横を航過していたことに気付かず、右舷前方に認めた那覇防波堤南端を新港第1防波堤南端と誤認したまま、作動中のレーダー画面を見るなどして船位の確認を十分に行わなかった。
ユ号は、A船長が船位の確認を十分に行っていなかったので転針地点を航過してしまっていたことに気付かず、同じ針路で進行し、06時13分半防波堤南灯台から220.5度880メートルの地点に達し、11.5ノットの速力で続航中、同船長が国際VHFで自船の船名が連呼されているのを聞き、前方の海面の色の変化を認め、ようやく誤りに気付き、機関を全速力後進にかけ、右舵一杯としたものの及ばず、06時15分防波堤南灯台から230度1,100メートルの那覇防波堤に、277度を向首して、4.5ノットの前進行きあしで衝突した。
当時、天候は晴で風力1の東北東風が吹き、潮候は上げ潮の末期で、日出時刻は06時20分であった。
衝突の結果、船首を圧壊し、那覇防波堤に欠損を生じ、ユ号は後進行きあしを止める措置がとられないまま後退を続け、06時19分防波堤南灯台から210度800メートルの那覇国際空港北側の浅礁に乗り揚げ、船底に凹損を、推進器翼に曲損をそれぞれ生じ、船体の一部が同空港の北側航空機進入路を塞ぎ、北からの航空機の着陸が一時制限されたが、18時30分ごろ引船によって引き下ろされ、のち修理された。
(原因)
本件防波堤衝突は、日出前の薄明時、那覇港において、唐口を経由して出航するにあたり、船位の確認が不十分で、那覇防波堤南端と新港第1防波堤南端とを誤認し、転針地点で転針せず、那覇防波堤に著しく接近したことによって発生したものである。
よって主文のとおり裁決する。