(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年8月7日04時25分
瀬戸内海 備讃瀬戸西部
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船新喜宝 |
押船第五十三住若丸 |
総トン数 |
499トン |
146トン |
全長 |
75.40メートル |
30.30メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
1,471キロワット |
船種船名 |
はしけ徳寿 |
総トン数 |
約3,271トン |
全長 |
80.40メートル |
3 事実の経過
新喜宝は、船尾船橋型貨物船で、A、B両受審人ほか2人が乗り組み、銅製品1,501トンを積載し、船首3.15メートル船尾4.67メートルの喫水をもって、平成11年8月6日16時30分大分県佐賀関港を発し、茨城県日立港に向かった。
A受審人は、航海中07時から12時まで及び19時から24時まで自ら船橋当直に就き、02時から07時及び14時から19時までB受審人に、その他の時間は甲板員にそれぞれ単独で船橋当直を行わせていたが、平素当直者に対し、睡眠を十分とり、体調がよくないときは知らせるように指示していた。
B受審人は、船長が休暇で下船中に船長職を執ることがあり、また、数年前から気管支炎を患って内服薬を服用していたところ、佐賀関港を出航して夕食を済ませたあと18時30分ごろから自室で休息したものの、気管支炎の発作のためよく眠ることができなかった。
翌7日01時30分B受審人は、高井神島南西方沖合で甲板員と交替して単独の船橋当直に就き、法定灯火の点灯を確かめ、視界が良かったのでレーダーをスタンバイとして燧灘から備後灘を東行し、02時ごろ機関室当直中の機関長が昇橋したので、その後同人と雑談しながら当直にあたり、03時50分ごろ機関長が機関室点検のため降橋した。
03時54分B受審人は、二面島灯台から236度(真方位、以下同じ。)1,450メートルの地点で針路を090度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、10.5ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行し、同時57分半備讃瀬戸南航路第1号灯浮標(以下、灯浮標名については、「備讃瀬戸南航路」を省略する。)を左舷側200メートルに航過し、その後備讃瀬戸南航路(以下「南航路」という。)に沿って東行した。
04時05分B受審人は、右舷船首6度1,700メートルに、船首部に徳寿を押して東行中の第五十三住若丸(以下「住若丸」といい、徳寿及び住若丸の両船については「住若丸押船列」という。)の船尾灯を初認し、同船が同航船であることを知り、同時10分少し過ぎ高見港南防波堤灯台から223度1.2海里の地点で針路を063度に転じて続航した。
転針後B受審人は、船橋両側のドアを閉めてエアコンを運転し、船橋前面の窓の後方に立って見張りにあたっていたところ、当直前によく眠れなかったことから眠気を催してうとうとし始め、そのまま当直を続ければ居眠りするおそれがあったが、しばらくすれば夜が明けて眠気が覚めると思い、A受審人に報告して当直を交替してもらうなど居眠り運航の防止措置をとることなく、一人で見張りを続けるうちに操舵スタンドに両ひじをついた姿勢で居眠りに陥った。
こうして新喜宝は、船橋当直者が居眠りをしたまま南航路を東行し、04時13分住若丸押船列が右舷船首6度1,050メートルとなり、その後同押船列を追い越し衝突のおそれのある態勢で徐々に接近したが、同押船列を確実に追い越し、かつ、これから十分に遠ざかるまでその進路を避けることなく、同じ針路、速力のまま進行中、04時25分高見港南防波堤灯台から077度1.5海里の地点において、その右舷船首が、住若丸及び徳寿の各左舷後部に後方から2度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力4の東北東風が吹き、潮候は上げ潮の中央期であった。
B受審人は、衝撃で居眠りから覚めて衝突したことを知り、直ちに機関を微速力前進に減じるとともに手動操舵に切り換えて左舵一杯をとって回頭中、衝撃で異常に気付いたA受審人が昇橋し、事後の措置にあたった。
また、住若丸は、前部に油圧ピンを備えた押船で、C、D両受審人ほか4人が乗り組み、船首4.2メートル船尾4.3メートルの喫水をもって、海砂5,300トンを積んで船首6.0メートル船尾7.0メートルの喫水となった、推進装置がない徳寿の凹状船尾に船首部をかん合して油圧ピンで結合し、全長約100メートルの押船列とし、同月6日05時00分関門港を発し、大阪府阪南港に向かった。
出航操船のあとC受審人は、10時ごろまで船橋当直に従事し、その後一等航海士及びD受審人にそれぞれ4時間交替の単独船橋当直を行わせ、同日18時から再び自ら船橋当直に就いたのち、20時00分当直を一等航海士に引き継いで降橋したが、貨物を積載した徳寿を押して航行するときは他船に追い越されることが多いことから、平素部下に過去の事例を話して後方から接近する他船を認めたときは早目に衝突回避措置をとるように指示し、また、夜間は照明灯で船尾甲板を照らすなど追突されないよう注意していたので、そのまま自室に退いて休息した。
翌7日02時00分D受審人は、百貫島東方沖合3海里のところで単独の船橋当直に就き、住若丸に、他の船舶等を押している船舶が表示するマスト灯2個を垂直に連携しないで、マスト灯1個、舷灯一対及び船尾灯を表示したほか、船橋後方に備え付けた250ワットの照明灯で船尾甲板を照らし、また、徳寿に、舷灯一対のほか、船首部にマスト灯を点灯して備後灘を東行した。
03時48分D受審人は、第1号灯浮標を通過して南航路に入り、04時05分高見港南防波堤灯台から220度1.3海里の地点で針路を061度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、7.8ノットの速力で南航路に沿って進行した。
定針後D受審人は、視界が良かったので使用中のレーダーをほとんど見ないで、操舵スタンド後方に置いたいすに腰掛けて見張りにあたり、04時13分高見港南防波堤灯台から165度800メートルの地点で、後方の状況を見るためいすから下りて船橋後部右舷側にある海図台後方の窓から船尾方を見たとき、左舷船尾8度1,050メートルに新喜宝の白、白、緑3灯を初認して同航船が存在することを知ったが、いちべつして左舷側を無難に追い越すものと思い、同船に対する動静監視を十分に行うことなく、再びいすに腰掛けて続航した。
その後新喜宝が住若丸押船列を追い越し衝突のおそれがある態勢となって接近し、04時24分D受審人は、同船が自船の進路を避けないまま左舷船尾100メートルに迫り、そのころ右舷側300メートルばかりに海図上の水深が7メートル未満の沖ノ中瀬が広がっていたので右転することができない状況であったが、依然動静監視を十分に行わず、新喜宝に対して汽笛による警告信号を行うことなく、住若丸押船列は、原針路、原速力のまま進行中、前示のとおり衝突した。
C受審人は、衝突後間もなく昇橋して事後の措置にあたった。
衝突の結果、新喜宝は右舷船首部に亀裂と凹損を生じ、住若丸及び徳寿はそれぞれ左舷船尾部に凹損などを生じたが、のちいずれも修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、新喜宝及び住若丸押船列が備讃瀬戸南航路を東行中、住若丸押船列を追い越す新喜宝が、居眠り運航の防止措置が不十分で、同押船列を確実に追い越し、かつ、十分に遠ざかるまでその進路を避けなかったことによって発生したが、住若丸押船列が、動静監視不十分で、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
B受審人は、夜間、当直前に気管支炎の発作でよく眠ることができないまま単独で船橋当直に従事し、備讃瀬戸南航路を東行中、眠気を催した場合、船長から体調がよくないときは知らせるよう指示されていたのであるから、速やかに船長に報告して交替を求めるなど居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同人は、しばらくすれば夜が明けて眠気が覚めると思い、速やかに船長に報告して交替を求めるなど居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、居眠りに陥り、住若丸押船列の進路を避けないまま進行して衝突を招き、新喜宝の右舷船首部に亀裂などの損傷を生じさせたほか、住若丸及び徳寿の各左舷船尾にそれぞれ凹損などを生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
D受審人は、夜間、備讃瀬戸南航路を東行中、左舷船尾方から接近する新喜宝を認めた場合、衝突のおそれの有無を判断できるよう、同船に対する動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、いちべつして左舷側を無難に追い越すものと思い、同船に対する動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同船が衝突のおそれのある態勢で接近することに気付かず、間近に接近しても警告信号を行わないまま進行して同船との衝突を招き、新喜宝、住若丸及び徳寿に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のD受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
C受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。