(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成12年3月8日20時40分
平戸瀬戸
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船三幸丸 |
押船第一〇八金栄丸 |
総トン数 |
199トン |
170トン |
全長 |
58メートル |
26.5メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
625キロワット |
1,471キロワット |
船種船名 |
被押はしけ第一〇八金栄丸 |
総トン数 |
4,058トン |
全長 |
95メートル |
幅 |
21メートル |
深さ |
7.2メートル |
3 事実の経過
三幸丸は、ばら積み貨物の輸送に従事する鋼製貨物船で、A受審人、B指定海難関係人ほか1人が乗り組み、珪石530トンを積載し、船首2.0メートル船尾3.6メートルの喫水をもって、平成12年3月8日10時40分山口県小野田港を発し、関門海峡及び平戸瀬戸を経由する予定で、鹿児島県屋久島宮之浦港に向かった。
ところで平戸瀬戸は、浅瀬や島が存在し、船舶の通航路として長さ約3,000メートル可航幅約400メートルの南北に緩やかに蛇行する水道で、その北口の中央部には水道を東と西に分ける広瀬と称する小さな島があって、可航幅200メートルの東水道が大きく湾曲し、西水道が漏斗状となってその最狭部となる広瀬付近での可航幅が約250メートルで、広瀬導流堤南方水域では、不規則な強い潮流があることから、同瀬戸の航行上の注意事項として、小型漁船を除く西水道を南航する船舶は広瀬から遠ざかって航行すること、及び総トン数500トン未満の船舶は東水道を500トン以上の船舶は西水道を航行すること、特に北流時東水道を航行する船舶は圧流により広瀬に乗り揚げる危険性があることなどが海上保安庁から周知されていた。
17時45分A受審人は、玄界灘の烏帽子島灯台付近を通過したころ、交代してB指定海難関係人に1人で航海当直を行わせることにしたが、同指定海難関係人が平戸瀬戸の航行経験が豊富であったことから、同瀬戸で自らが操船指揮をとるまでもないと思い、平戸瀬戸北口付近で報告するよう指示することなく、同瀬戸の潮流状況を告げて降橋した。
20時36分B指定海難関係人は、広瀬灯台から017度(真方位、以下同じ。)680メートルの地点の平戸瀬戸西水道北口付近に達したが、その旨をA受審人に報告しないまま、針路を229度に定め、機関を全速力前進にかけ、法定灯火を掲げ、2.0ノットの潮流に抗して対地速力7.5ノットで手動操舵により進行し、同時36分半少し過ぎ広瀬灯台から007度560メートルの地点において、西水道を通航するため転針を開始した。
B指定海難関係人は、西水道の右側端に向かう針路とすることなく、20時38分わずか前広瀬灯台から358度350メートルの地点において、転針を終えて西水道のほぼ中央部に位置して西水道の左側に向く201度の針路となったとき、折から左舷船首15度980メートルのところに第一〇八金栄丸被押はしけ第一〇八金栄丸(以下「金栄丸押船列」という。)の白白緑3灯を認めた。
B指定海難関係人は、このまま進行すれば広瀬導流堤灯台付近の強潮流のある西水道の左側において金栄丸押船列と著しく接近して強潮流により衝突の危険を生じるおそれがあったが、同船と左舷対左舷で航過できるものと判断し、同針路同速力で続航した。
20時39分少し前B指定海難関係人は、広瀬灯台から299度200メートルの地点において、4ノットの潮流に抗するようになり5.5ノットの対地速力で、針路201度のまま金栄丸押船列と著しく接近する態勢で進行していたところ、同時39分半少し過ぎ広瀬導流堤灯台から290度130メートルの地点において、金栄丸押船列の船首が左舷船首30度120メートルばかりに迫ったとき、大幅に行きあしが減少した同船の船首が急に潮流に圧流され、左方に振れ始めて衝突の危険が差し迫ったが、どうすることもできず、20時40分広瀬灯台から265度260メートルの地点において、同針路、同速力で左舷船尾が金栄丸押船列の左舷船首部の荷役設備に前方から33度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の西北西風が吹き、付近には北北東に流れる4ノットの潮流があった。
また、第一〇八金栄丸は、鋼製押船で、C受審人ほか6人が乗り組み、船首4.5メートル船尾5.0メートルの喫水をもって、海水バラスト3,000トンを積載して船首5.0メートル船尾5.4メートルの喫水となった鋼製はしけ第一〇八金栄丸(以下「はしけ」という。)のノッチ部に船首を嵌合(かんごう)して全長105メートルの押船列とし、同日18時35分佐世保港を発し、法定灯火を表示して長崎県郷ノ浦港に向かった。
20時36分半少し過ぎC受審人は、南風埼灯台から270度100メートルの地点において、1人で当直中、広瀬導流堤灯台を約100メートル離して西水道の右側端を航行するつもりで針路を358度に定め、機関を全速力前進にかけ、4ノットの潮流に乗じて14.0ノットの対地速力で進行したとき、右舷船首10度1,740メートルのところに三幸丸の白白紅3灯を初めて認め、手動操舵によりその動静を監視しながら進行した。
20時38分わずか前C受審人は、広瀬灯台から015度680メートルの地点において、右舷船首6度980メートルとなった三幸丸が西水道の左側に向かう態勢であることを認め、同船がこのまま進行すると西水道において著しく接近して衝突の危険が生じるものと判断し、同船に対して探照灯を数回短く照射して注意を喚起したものの、同船が右転するなど衝突の危険を避けるための措置をとる気配が認められなかったが、速やかに警告信号を行わなかった。
C受審人は、4ノットの潮流に乗じていることから、このような事態を避けるため機関を逆転にかけて行きあしを停止すると、広瀬導流堤や東水道側に圧流されるおそれがあったため、機関をわずかに後進にかけ、9ノットの対水速力としたのち直ちに機関を中立にして、同針路による惰力で進行した。
20時39分少し過ぎC受審人は、広瀬導流堤灯台から225度120メートルばかりの地点において、同船が左舷船首10度120メートルばかりとなって同針路で惰力によって進行していたとき、不規則な潮流に圧流されて船首が急に左方に振れ始め、20時40分広瀬灯台から262度260メートルの地点において金栄丸押船列は、船首が348度に向いたとき、10ノットの対地速力で前示のとおり衝突した。
衝突の結果、三幸丸は、左舷船橋、ボートデッキ及び居住区の一部が亀裂を伴う曲損並びに救命艇及びその属具が破損し、金栄丸押船列は荷役設備が曲損したが、のちそれぞれ修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、長崎県平戸瀬戸の西水道において、潮流に抗して南下する三幸丸が、狭い水道の右側端を航行しなかったうえ、潮流に乗じて北上する金栄丸押船列に対して衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、金栄丸押船列が警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
三幸丸の運航が適切でなかったのは、船長が狭い水道において自らが操船指揮をとらなかったことと、当直者が狭い水道に差し掛かったことを船長に報告しなかったこととによるものである。
(受審人等の所為)
A受審人は、夜間、狭い水道である平戸瀬戸を航行しようとする場合、自らが操船指揮をとるべき注意義務があった。しかしながら、船橋当直者が経験豊富であるから大丈夫と思い、自らが操船指揮をとらなかった職務上の過失により、同人が昇橋しないまま船橋当直者が狭い水道の右側端を航行せず、金栄丸押船列との衝突を避けるための措置をとらないまま進行して衝突を招き、三幸丸の左舷船橋、ボートデッキ及び居住区の一部に亀裂を伴う曲損並びに救命艇及びその属具を破損させ、金栄丸押船列の荷役設備を曲損させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して、同人を戒告する。
C受審人は、夜間、平戸瀬戸において、南下する三幸丸と同瀬戸の西水道付近で同船と著しく接近して衝突の危険が生じるおそれのあることを認めた際、速やかに警告信号を行わなかったことは本件発生の原因となるが、発光信号による注意喚起を行ったことに徴して職務上の過失とするまでもない。
B指定海難関係人が、夜間、1人で船橋当直中、平戸瀬戸に差し掛かったことをA受審人に報告しなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、勧告するまでもない。
よって主文のとおり裁決する。