(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年12月25日03時45分
京浜港横浜区第5区
2 船舶の要目
船種船名 |
油送船東興丸 |
貨物船第八大栄丸 |
総トン数 |
699トン |
497トン |
全長 |
72.80メートル |
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登録長 |
64.30メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,103キロワット |
735キロワット |
3 事実の経過
東興丸は、専ら東京湾内での重油輸送に従事する船尾船橋型油タンカーで、船長Bほか6人が乗り組み、空倉のまま、船首0.3メートル船尾3.8メートルの喫水をもって、平成11年12月24日12時10分横須賀港を発し、京浜港に向かった。
B船長は、13時35分同港横浜区第5区に達し、翌々日の着岸予定時刻まで錨泊待機することとし、横浜金沢木材ふとう東防波堤灯台(以下「東防波堤灯台」という。)から061度(真方位、以下同じ。)1,060メートルの水深17メートルの地点に右舷錨を投入し、錨鎖を5節海面まで延出して錨泊を始め、日没後は、所定の灯火を点灯し、自船が空倉であったこと、錨泊地点周辺の交通量が少ないこと等により停泊当直を配置しないで錨泊を続けた。
ところで、当時、日本海を東進中の低気圧から延びる寒冷前線が関東地方に接近しており、22時15分には横浜地方気象台から強風波浪注意報が発表され、天候が悪化する状況となっていた。
B船長は、乗組員に対し、各自就寝前に船内を巡回して異常があれば知らせるよう指示し、自らも船橋及び後部甲板を見回ったのち、翌25日00時00分自室で就寝したところ、03時ごろから南西風が増勢し、風上で錨泊中の第八大栄丸(以下「大栄丸」という。)がいつしか走錨を始めて自船に向け圧流され、03時45分東防波堤灯台から060度1,160メートルの地点において、東興丸は、225度を向首したその船首に、大栄丸の左舷船尾が前方から並行に衝突した。
当時、天候は晴で風力5の南西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期であった。
また、大栄丸は、砕石等の輸送に従事する船尾船橋型砂利石材等運搬船で、A受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首0.6メートル船尾2.0メートルの喫水をもって、同月23日17時10分徳島県撫養港を発し、京浜港に向かった。
A受審人は、翌24日19時45分同港横浜区第5区に達し、翌朝の着岸予定時刻まで錨泊待機することとしたが、気象海象とも穏やかであったことから天候が急変することもあるまいと思い、ファクシミリによる天気図を入手するなど、気象情報を十分に収集することなく、東防波堤灯台から075度620メートルの水深13メートルの地点において左舷錨を投入し、寒冷前線の接近に気付かないまま、錨鎖を平素より1節短い3節半海面まで延出し、所定の灯火を点灯して錨泊を開始した。
その後、A受審人は、強風波浪注意報の発表を知らずに23時ごろ就寝したところ、大栄丸は、翌25日03時ごろから増勢した南西風によりいつしか走錨を始め、225度を向首した態勢で前示のとおり衝突した。
衝突の結果、東興丸は、右舷船首外板、同ハンドレール及び右舷錨鎖等をそれぞれ損傷し、大栄丸は、左舷船尾ハンドレール及び船尾甲板左舷端に積載していた伝馬船の左舷側外板をそれぞれ損傷したが、東興丸及び伝馬船はのち修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、京浜港横浜区第5区において、大栄丸が、翌朝まで錨泊待機する際、気象情報の収集が不十分で、寒冷前線の接近に気付かないまま投錨し、その後増勢した南西風により走錨して風下で錨泊中の東興丸に向け圧流されたことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、京浜港横浜区第5区において、翌朝まで錨泊待機することとした場合、ファクシミリによる天気図を入手するなどして気象情報を十分に収集すべき注意義務があった。しかるに、同人は、気象海象とも穏やかであったことから天候が急変することもあるまいと思い、気象情報を十分に収集しなかった職務上の過失により、寒冷前線の接近に気付かないまま錨泊を開始し、その後増勢した南西風により走錨して風下で錨泊中の東興丸に向け圧流され、同船との衝突を招き、自船の左舷船尾ハンドレール及び船尾甲板左舷端に積載していた伝馬船の左舷側外板をそれぞれ損傷させ、東興丸の右舷船首外板、同ハンドレール及び右舷錨鎖等をそれぞれ損傷させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。