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平成11年神審第122号
件名

旅客船フェリーむろと桟橋衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年4月18日

審判庁区分
神戸地方海難審判庁(阿部能正、西田克史、黒岩 貢)

理事官
清水正男

受審人
A 職名:フェリーむろと船長 海技免状:一級海技士(航海)
指定海難関係人
株式会社R 業種名:海運業

損害
桟 橋・・・ほとんど損傷なし
むろと・・・左舷船首部に破口

原因
むろと・・・着桟する際の圧流防止措置不十分

主文

 本件桟橋衝突は、寒冷前線の通過による強風下、着桟する際の圧流防止措置が不十分であったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年5月24日22時25分
 大阪港大阪区第5区フェリーふ頭

2 船舶の要目
船種船名 旅客船フェリーむろと
総トン数 6,472トン
全長 132.92メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 16,400キロワット

3 事実の経過
 フェリーむろと(以下「むろと」という。)は、2基2軸の可変ピッチプロペラ、合計推力24トンのバウ、スタン両スラスタを装備し、大阪港、高知県甲浦港、同県あしずり港間の定期航路に就航する多層甲板型旅客フェリーで、A受審人ほか25人が乗り組み、乗客73人、車両28台を積載し、船首4.18メートル船尾5.61メートルの喫水をもって、平成11年5月24日17時20分甲浦港を発し、大阪港大阪区第5区フェリーふ頭第1号(以下「F−1」という。)に向かった。
 ところで、A受審人は、同8年指定海難関係人株式会社R(以下「R社」という。)の前身である室戸汽船株式会社に入社してむろとに乗り組み、その後社名がR社となってまもなく同船の一等航海士に昇進し、引き続き勤務していたところ、同11年3月末から4月一杯の間船長になるための実地訓練を受け、5月6日から船長として前示定期航路の運航に従事し、その就労体制が4日間勤務後に4日間の休暇となるので、大阪港への入航は今回で12回目であった。
 一方、R社は、同10年2月に高知県安芸郡東洋町に本社をおいて設立され、大阪、甲浦、あしずり港、大阪南港及び奈良に営業所を設置し、G株式会社から譲り受けたむろとを運航して前示航路の一般旅客定期航路事業を開始したもので、運航管理規程を設けて運航管理者を選任し、大阪、甲浦及びあしずり港各営業所に副運航管理者1人と運航管理補助者若干名を、本社に運航管理者代行を配置していた。
 また、むろとが入航するフェリーふ頭は、南港内港港奥の泊地にあり、南港信号所の東方約800メートルの地点から南に約500メートル延びる岸壁及びそこから284度(真方位、以下同じ。)方向に突出した長さ165メートルの3本の桟橋により構成され、フェリー会社数社が共同利用しており、桟橋の構造は、付け根から100メートルの部分が幅約20メートルのコンクリート製で、残りの部分は、その先に設置された2個の係船用ドルフィンを繋ぐ幅の狭い橋梁となっていた。そのうち、F−1は最も南側の桟橋南面で、さらに南側に位置するE岸壁との間隔は130メートルであった。
 R社は、フェリーふ頭周辺には風を遮るものがなく、強風時には慎重な離着桟操船を要し、桟橋間近に接近すると避難する水域もないことを考慮し、同社の運航管理規程における運航基準に、「運航管理者は大阪港の入出港時、岸壁付近の風速が北東または南西方向から15メートル毎秒に達しているとき、または達するおそれがあるときは、船長と協議のうえ、あらかじめ曳船を手配するものとする。」旨の曳船使用基準を定めていた。
 しかしながら、R社では、運航管理者が気象状況を的確に把握したうえで船長と協議し、その後曳船を手配する手順が実務上煩雑になりがちで、安全運航を阻害しかねないとの考えから、船長独自の判断により大阪南港営業所を通じて曳船を手配し、のち運航管理者に報告することとして、必要であれば積極的に曳船を使用するよう指導していた。
 出航時、A受審人は、ファクシミリで受信した天気図やテレビの気象情報により、低気圧が日本海を北上中であり、自船が大阪湾に達するころその中心から伸びる寒冷前線と遭遇することを知り、航海への影響を懸念しつつ、航海士、甲板手各1人による船橋当直体制で紀伊水道を北上し、20時32分友ケ島水道を自らの操船指揮により通過後、大阪南港営業所に定時連絡を行い、次いで21時00分大阪ポートラジオに予定入港時刻を連絡したとき、大阪港では毎秒12ないし13メートル(以下、風速については毎秒のものを示す。特記するもの以外は平均風速である。)の南西風が吹いているとの気象情報を得た。
 入港地の風速が曳船使用基準に近いことを知ったA受審人は、曳船を使用するのであれば、できるだけ着桟1時間前までに大阪南港営業所に手配を依頼することになっていたため、21時20分同営業所に風向風速を確認したところ、大阪ポートラジオからのものと同様の気象情報を得たが、他社フェリーの曳船使用状況を見ながら決めることとして北上を続けた。
 21時40分A受審人は、堺南航路入口の3.3海里ばかり手前で入航操船のため昇橋し、同時48分機関用意として対地速力(以下、速力は対地速力である。)を港内全速力の12.0ノットまで減じ、同時50分大阪南港南防波堤灯台(以下「南防波堤灯台」という。)から254度2.4海里の地点に達したとき、大阪南港営業所に入航30分前の連絡を入れ、他社の曳船使用状況を問い合わせたところ、すでに離岸を終えたフェリーが曳船を使用せず、また、まもなく着桟するフェリーも曳船を使用しない旨の報告を受けた。
 このときA受審人は、平均風速が12ないし13メートルであっても、寒冷前線の通過により風速20メートル近い突風が予測されること、桟橋付近の操船水域が狭隘であることに加え、必要であれば遠慮なく曳船を使用してもよいという会社からの指導もあり、曳船を使用すべき状況であったが、他社のフェリーが曳船を使用しないで離着桟したので大丈夫と思い、操船の補助として曳船を使用するなどの圧流防止措置をとることなく、着桟することにした。
 こうして、A受審人は、当直中の三等航海士を見張りに、機関長を機関操作に、甲板手1人を手動操舵にそれぞれ配して北東進し、大阪南港第2号灯浮標の灯光を右に見て南港内港に向け右転し、22時03分南防波堤灯台から000度180メートルの地点に達したとき、入航配置を令して針路を120度に定め、機関を港内全速力にかけ、12.0ノットの速力で進行し、同時06分少し前同灯台から111度1,040メートルの地点において、針路を最も南側の桟橋に向首する104度に転じて続航した。
 22時07分半A受審人は、左方の中ふ頭のライナーふ頭西端に並航したとき、機関を半速力前進に減じて9.0ノットの速力とし、同時11分半南港信号所から263度430メートルの地点に達したとき、南西風による左方への圧流を考慮し、いつもより南寄りからF−1に接近するため、針路を107度に転じて進行した。
 22時14分A受審人は、南港信号所から150度270メートルの地点に達し、A岸壁北端を右舷側に並航したとき、機関を5.0ノットの微速力前進に減じ、同時18分同信号所から122度710メートルの地点で機関を停止するとともに針路を097度に転じ、その後惰力で着桟態勢に入った。
 そのころ、A受審人は、手動操舵中の甲板手から風速が15ないし16メートルに達しているとの報告を受け、同時に突風により船体が急激に左方に圧流されるとともに、徐々に船尾が桟橋に寄せられるのを認め、機関を微速力後進にかけ、両スラスタにより船体の制御に努めたが及ばず、22時25分南港信号所から115度840メートルの地点において、むろとは、ほとんど前進惰力のないまま、110度を向首した左舷船首部が、左方に圧流されて桟橋に対し6度の角度でF−1のコンクリート部先端に衝突した。
 当時、天候は曇で風力6の南西風が吹き、潮候は上げ潮の初期であった。
 衝突の結果、桟橋にはほとんど損傷がなく、むろとは、左舷船首部に破口を生じたが、のち修理された。

(原因)
 本件桟橋衝突は、夜間、大阪港大阪区第5区において、寒冷前線の通過による強風下、入航着桟する際の圧流防止措置が不十分で、桟橋に圧流されたことによって発生したものである。

(受審人等の所為)
 A受審人は、夜間、大阪港大阪区第5区において、寒冷前線の影響による強い南西風が吹く状況下、入航着桟する場合、突風により桟橋に寄せられるおそれがあったから、着桟操船の補助として曳船を使用するなどの圧流防止措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同人は、フェリーふ頭に離着桟する他社のフェリーが曳船を使用しなかったので大丈夫と思い、着桟操船の補助として曳船を使用するなどの圧流防止措置をとらなかった職務上の過失により、突風により圧流されて桟橋への衝突を招き、自船の左舷船首部を損傷させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 R社の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。 





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