(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年12月10日05時03分
ベーリング海
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第一安洋丸 |
総トン数 |
379トン |
全長 |
67.75メートル |
幅 |
11.00メートル |
深さ |
4.06メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
2,206キロワット |
3 事実の経過
(1)船体構造及び漁労設備等
ア 一般配置
第一安洋丸(以下「安洋丸」という。)は、北方トロール漁船として建造認可された遠洋底引き網漁業に従事する長船首楼二層甲板型の漁船で、船首楼内には船橋及び居住区を、第一甲板下には漁獲物処理工場を、第二甲板下には、主として加工品を保管する1番から4番までの各魚倉を前部に、機関室を後部にそれぞれ配置し、操業時の便宜上、フラップラダー及び可変ピッチ式大口径プロペラを装備していた。
第一甲板である最上層の全通甲板は、本船では第二甲板が満載喫水線及び船舶復原性両規則上の乾舷甲板とされていたことから上甲板と呼称され、船体中央部から後部にかけて漁労作業用甲板となっていて、船首楼後部から船尾端に至る長さ37.5メートルの両舷端に設置された上甲板上高さ1.80メートルのブルワークには、同ブルワークトップから高さ90センチメートル(以下「センチ」という。)の手すりが取り付けられていた。また、船首楼後部から船尾端に至るほぼ中間付近に鳥居型マスト、デリックブーム及びウインチがそれぞれ設置され、同マスト両舷基部周りは機関室用煙突を含むコンパニオンとなっていて、船尾端にギャロースが設置されていた。
漁労作業用甲板には、船尾端から32.0メートルのほぼ船体中央部にあたる船首楼後部の位置にトロールウインチが、ブルワークからそれぞれ約3メートルの位置に同甲板上高さ約70センチの2列のインナーブルワークがそれぞれ設置され、同甲板は同ブルワークにより船縦方向に3分割され、木甲板となっている中央部分がスリップウェイに通じており、スリップウェイ上端付近には波浪打ち込み防止用鋼製扉が設置されていた。また、各ブルワーク下部には高さ18センチの放水口が総長さ約22メートルにわたって5箇所に分割して設置されていた。
上甲板下は、主として漁獲物処理工場区画となっていて、船首方から順に、急速冷凍室、すり身工場、フィッシュポンド、5番及び6番各魚倉が配置され、5番魚倉から急速冷凍室に通じる2列のベルトコンベアのほか、同区画内には漁獲物加工用の各種機械類が設置されていた。
第二甲板下は、船首方から順に、フォアピークタンク(以下「FPT」という。)、1番から4番までの各魚倉、機関室及び舵機室と全通二重底の燃料油タンク(以下「FOT」という。)及び清水タンクが配置されていた。なお、FPT並びに1番、2番及び6番各魚倉は、長期出漁に耐える必要性から燃料油タンク仕様として配管されていた。
FOTは、二重底タンクとして1番から4番までの各FOT、6番魚倉下の5番FOT、同魚倉後方の最船尾部に6番FOTほか機関室内に潤滑油用等の各タンクが配置されていた。
イ 乾舷
乾舷甲板は、第二甲板であることから、同甲板と上甲板との間のスペースは水産行政上の要請から総トン数を実態より小さくするための便法として減トン区画として扱われており、型深さの基準となる第二甲板端に乾舷マークが、その5センチ下方に満載喫水線マークがそれぞれ標示され、満載喫水は基線上4.02メートル、標示喫水上は5.33メートルで、排水量は1,770トンとなり、乾舷甲板から上甲板までの高さが2.64メートルあるので、見掛け上の乾舷は2.69メートルとなっていた。
ウ コンパニオン開口部
両舷コンパニオンは、機関室用煙突を囲む箱型の構造物で、その船尾側に上甲板から第二甲板及び機関室等に通じる高さ45センチの敷居を設けた出入口があり、高さ117センチ幅62センチの鋼製扉をピボット式ロックで閉鎖することにより水密を保持するようになっていた。
エ 建造時における各種計画コンディション
安洋丸の主要寸法は、全長67.75メートル、深さ上甲板下6.70メートル第二甲板下4.06メートル、満載喫水4.02メートル及び初期トリム1.00メートルとして計画設計され、傾斜試験の成績に基づき、満載出港状態、同漁場着状態、同漁場発状態及び同帰港状態の各載貨状態を設定して、船長の為の復原性に関する注意及び説明書が作成されていた。
ところで、本船は建造時より見掛け上の乾舷が高く設計されており、予備浮力が大きく、凌凌波性(りょうはせい)に優れ、かつ、復原性に対しても極めてよい影響を与えるが、その反面いったん上甲板上に打ち込んだ海水は、高いブルワークに阻まれて滞留しやすい状態となって船体重心を上げるばかりでなく、復原性を著しく低下させることになっていた。
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(2)指定海難関係人R株式会社
ア 事業概要等
R社株式会社(以下「R社」という。)は、東京都に本社を、宮城県塩釜市に塩釜事業所を置き、漁労、貿易及び販売まで一手に営む総合水産会社として昭和54年5月に設立され、社団法人日本トロール底魚協会に加入し、塩釜港を基地として、安洋丸を含む7隻の所有船舶を使って遠洋底引き網及び遠洋はえ縄各漁業を行っていた。
塩釜事業所は、船員配乗及び所有船舶の運航などの業務を一元的に取り扱い、船員配乗については、近来における我が国漁業関係会社の国際競争力の低下、就業希望者の減少、漁船員の高齢化と後継者不足及び漁業種による従業希望の不一致などからくる人手不足解消と漁船員費削減のために、外国人船員を雇い入れる、いわゆる漁船マルシップ制度の資格を受けていたが、就業規則の届出及び船員手帳の取得など同制度の諸手続を実施していなかったばかりか、有資格船員の手配ができないまま欠員状態で出漁させることをやむを得ず行っていた。
また、所有船舶の運航については、統括管理する体制を敷いていたものの、就労体制及び操業方法など現場作業に関わる事項については、漁労長職または船長職を執る者に任せており、ベーリング海における出漁時の燃料保有量については、漁業資源の減少から操業期間が長期化し、洋上補給の機会も少なく、また、帰途の復原性確保のために燃料を最大限に積み込み、FPT並びに1番、2番及び6番各魚倉にも積載していたことから、満載喫水線を大幅に超えて出航することが恒常的に行われていた。
イ 安全衛生管理体制
塩釜事業所は、本船の本邦帰航時に職員を訪船させて船員災害防止協会などから入手した災害事故例のパンフレットを配布し、乗組員と安全運航に関するミーティングを行うなどの配慮はしていたが、船員法及び船員労働安全衛生規則に定める退船、防火及び防水など非常時の各操練に関わる事項や作業用救命衣の着用など危険作業に対する教育や訓練に関わる事項について実質的な指導を講じていなかった。
(3)ロシア経済水域における操業
R社は、ロシア連邦ウラジオストック市に所在するダリルイバ株式会社との契約に基づき、安洋丸ほか2隻をロシア経済水域でのトロール操業に当てていた。平成11年の操業については、ロシア漁業委員会の操業枠に基づき、11月1日から12月31日までの操業期間、すけそうだら、おひょう、めぬけ、かれいその他の各魚種による操業枠トン数を明示した漁獲量、操業海域、規制局監督官(以下「監督官」という。)の乗下船地及び同乗船費用などが定められていた。
(4)漁労作業及び工場作業
ア 漁労作業
安洋丸の漁労作業について、投網にあたっては、微速力前進で航行しながら網を投入し、続いてオッターボード及びワープの順に投下し、10時間ほど曳網した後、揚網に掛かり、揚網にあたっては、ワープなどの曳索(えいさく)が常に船首尾線とほぼ一線となるよう操船しながら、オッターボードを揚収したのち、袖網が船尾に近づいたとき、極微速力前進とし、袖網、身網と続いて、コッドをスリップウェイを通して上甲板上に引き揚げ、原魚を第二甲板に落とすという要領で行われていた。
イ 工場作業
第二甲板に落とされた原魚は、ベルトコンベアで移送されながら各工程を経て、各種製品に仕上げられた後冷凍処理され、1個約18キログラムとして梱包し、3番及び4番各魚倉などに積み込まれるという作業が行われていた。
(5)出港時のコンディション
安洋丸は、ニュージーランド沖における操業を終えて塩釜港仙台区に帰航し、船体及び機関の整備、各種補給を済ませ、2ないし3箇月にわたる長期のベーリング海域操業に出漁することになった。
平成11年11月29日ベーリング海向けの出漁準備完了時におけるコンディションは、燃料油が全FOT及びFPT並びに1番、2番及び6番各魚倉に計472トン、通常使用する漁網及び同属具が漁労作業甲板後部に、予備漁網及び同属具が両舷ブルワークとインナーブルワークとの間等に計140トン積載され、標示上の船首喫水4.60メートル船尾喫水7.70メートル、相当喫水4.75メートルとなり、排水量は2,214トンで、満載喫水線を0.77メートル超える浮遊状態となっていた。
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(6)本件発生に至る経緯
安洋丸は、漁労長兼船長G(以下「G漁労長」という。)、有効資格を充たさない海技免状を受有する一等機関士ほか13人が乗り組み、ロシア人監督官1人を乗せ、二等航海士及び二等機関士の手配がつかずに欠員のまま、船首4.60メートル船尾7.70メートルの喫水をもって、平成11年11月29日11時30分(日本標準時、以下同じ。)塩釜港仙台区を出航し、ベーリング海のロシア経済水域内の漁場に向かい、途中、12月3日昼ごろカムチャッカ半島南端ロパトカ岬の東方沖合にあたる、北緯52度東経161度付近(以下、北緯をN、東経をE及び西経をWで示す。)で、大韓民国籍の仲積み船と会合し、雇入公認手続をとっていないマルシップ船員であるインドネシア人20人をすり身工場の作業員として乗り組ませ、越えて6日22時ごろ61度N174度E付近に至り、操業を開始し、以後東方に移動しながら操業を続けた。
ところで、操業海域は、操業開始時には58度N150度E付近にあった1,010ヘクトパスカル(以下「hPa」という。)の低気圧と、45度N180度付近にあった992hPaの低気圧との間に挟まれ、北極付近の1,024hPaの高気圧の影響もあって比較的平穏な状況を呈していたところ、日本列島東岸にあった994hPaの低気圧が、越えて9日03時には968hPaに発達して50度N170度E付近に至り、気圧傾度も高まって東北東から北北東に風向が変転して風力が強まり、風速毎秒15ないし18メートルの風が連吹し、有義波高5メートルを超える波と東寄りのうねりが混在して三角波も立ちやすく、大波が発生する状況であった。
安洋丸は、操業開始から6回の操業を済ませ、それまでに漁獲し、加工した製品63トンを3番及び4番魚倉に、同12トンを急速冷凍室に、パンケース詰めされた製品3トンをロビーにそれぞれ積み込んだ状態で、12月9日18時ごろナバリン岬南方約90海里のところで、第7回目の操業に掛かり、4.0ノットの速力で200メートル等深線に沿って、東西方向にUターンしながら曳網していたところ、折から北北東寄りの風浪と東寄りのうねりによりしぶきや海水が上甲板上に打ち込み、両舷ブルワークとインナーブルワークとの間に積載されていた予備漁網が放水口を若干塞ぐ(ふさぐ)状況になり、連続した打ち込みとが重なって同甲板上に漸次海水が滞留する状況になった。
翌10日03時30分ごろG漁労長は、61度02分N179度58分E付近において、船体に若干着氷した状態で、針路を090度(真方位、以下同じ。)として自動操舵により曳網していたところ、比較的左舷側に滞留する海水が増えたうえ、製品が片積みになっていたためか、固定した左舷傾斜が残り、見掛け上の船体重心が上昇して復原性が悪化する状況になったが、そのまま曳網を続けた。
04時10分ごろG漁労長は、揚網を開始することとし、上甲板上で作業に従事する乗組員等10人に作業用救命衣の着用を指示しないまま、また、同甲板上に海水が打ち込む状況であったにもかかわらず、両舷コンパニオン出入口の鋼製扉を開放した状態のまま、所定の配置に就け、一等航海士を手動操舵に当たらせ、速力を2.0ノットに減じ、左舷船首を折からの風浪に立て、ほぼ045度の針路を保持するよう指示し、自らはトロールウインチを操作してワープを巻き始めた。その後船体は左舷傾斜がほとんど固定したまま動揺が感じられなくなった状況のもと、オッターボードの揚収を済ませ、コッドが船尾に近づいたので、更に速力を1.0ノットに減じたところ、時々船首が風下に落とされ、左舷側から大波が打ち込む状況になった。
04時50分G漁労長は、原魚が約30トン入網したコッドがスリップウェイを通して左舷側インナーブルワークを擦りながら上甲板上に揚がったとき、更に復原性が悪化し、左舷傾斜が大きくなったので、同傾斜を5番魚倉の漁獲物で修正するつもりで、冷凍長に同魚倉の仕切り板を差し替え、右舷側に漁獲物を落とすよう指示するとともに、船体が風浪に対して横倒しになった状態を適宜機関と舵で直そうとしたが、ブルワークを越える大波が2度、3度続いて打ち込み、同甲板上に打ち込んだ大量の海水が、左舷側コンパニオン出入口から漁獲物処理工場区画及び機関室に浸水するほか、左舷側ブルワークが海中につかり、冠水状態となったので、異常事態に気付き、同時53分自船の周囲にいた第八安洋丸及び第一宏伸丸に救助を依頼し、膨張式救命筏(いかだ)の降下及び総員退船を命じた。
安洋丸は、着氷によって膨張式救命筏が投下できないまま、上甲板にいた乗組員等は左舷側船尾の沈下による船体の大傾斜で海中に転落し、一方、船内にいた乗組員等は救命胴衣を着用する暇もなく、閉じこめられたまま、船内への浸水が続いて浮力を喪失し、05時03分61度03分N179度59分Wの地点において、船首をほぼ090度に向け、垂直に船尾から沈没した。
当時、天候は曇で風力8の北北東風が吹き、海上には波高5メートルの波があり、気温は摂氏零下7度、水温は摂氏2度であった。
この結果、乗組員等36人のうち、浮上した膨張式救命筏等に移乗できた24人はのち救助されたが、船橋にいたG漁労長(昭和21年12月23日生、三級海技士(航海)免状受有)、上甲板にいた甲板長D(昭和27年5月16日生)、甲板員E(昭和19年9月21日生)、同F(昭和19年12月4日生)及びインドネシア人作業員3人、機関室にいた機関長H(昭和25年7月4日生、三級海技士(機関)免状受有)及び一等機関士I(昭和23年2月2日生、五級海技士(機関)免状受有)、船橋から居住区へ連絡へ行った一等航海士J(昭和18年11月9日生、四級海技士(航海)免状受有)、居住区にいた司厨長L(昭和15年4月9日生)及びロシア人監督官がそれぞれ行方不明となり、のち日本人乗組員8人は死亡と認定され、インドネシア人作業員1人は遺体で発見された。
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第3表 コッドが揚がったときのコンディション (ただし、上甲板の滞留海水量を除く。) |
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(7)救助模様
第八安洋丸は、安洋丸の北方1.5海里ばかりのところで網修理のため、折からの北北東風を船首に受け、船体を支えながら作業していたところ、12月10日04時53分安洋丸からの緊急通信を受信し、直ちに現場に急行し、同船はすでに沈没していたものの、膨張式救命筏と防舷材に乗っていた日本人乗組員4人及びインドネシア人作業員9人計13人を救助し、その後行方不明者の捜索を続け、インドネシア人作業員の1遺体を収容し、また、第一宏伸丸は、安洋丸の南西方2.0海里ばかりのところで操業中、同日04時53分同船からの緊急通信を受信し、直ちに現場に急行し、膨張式救命筏に乗っていた日本人乗組員3人及びインドネシア人作業員8人計11人を救助し、越えて16日来援した海上保安庁の巡視船と会合して救助者計24人を同船に受け渡した後、両船とも塩釜港仙台区に帰航した。
(8)事後の措置
R社は、経験豊富な漁労長または船長を配乗し、安全航行及び安全操業に関わる事項についての現場における実質的な指導を同人の指揮監督に任せていたところであるが、本件を契機に厳しく反省し、所有船舶に対して通常行われている運航作業及び漁労作業などについての実態調査を行い、安全上是正すべき事項の徹底的な見直しを指示するとともに、全社を挙げて安全航行及び安全操業に努力する旨の決意を表明し、同時に殉職した安洋丸乗組員及びロシア人監督官等の各遺族に対して丁重に処遇した。
(原因)
本件沈没は、冬期、ベーリング海のロシア経済水域において、トロール漁業の揚網中、見掛け上の乾舷が高く設計された上甲板上に打ち込んだ海水が、予備漁網によって放水口が若干塞がれた状態となっていた左舷側に滞留し、復原性が悪化している状況のもと、同甲板上に揚がってくる網及び入網していた漁獲物の重量が加わったため、左舷傾斜が増大するとともに、船首が風下に落とされ、更に連続して大波が打ち込み、開放されたままになっていた左舷側コンパニオン出入口から漁獲物処理工場区画及び機関室への浸水が続き、浮力を喪失したことによって発生したものである。
多数の乗組員等が死亡したのは、主として船外脱出の時機を失したこと、海水温度が極めて低かったこと及び各人が救命胴衣等を着用していなかったことによるものである。
(指定海難関係人の所為)
R社は、同社の塩釜事業所が船員配乗及び所有船舶の運航などの業務を統括管理する体制としていたものの、就労体制及び操業方法など現場作業に関わる事項については、漁労長職または船長職を執る者に任せていたため、出港時から満載喫水線を大幅に超えて運航されることが恒常的に行われ、甲板作業に従事する乗組員等に対して作業用救命衣の着用が履行されず、荒天時の基本準備作業である甲板上開口部の閉鎖が実施されないなど、運航面及び漁労作業面における乗組員の安全意識の高揚あるいは啓蒙(けいもう)を怠っていたきらいはあるが、本件後、事態を厳しく反省し、運用実態面の見直しを徹底するなど、全社を挙げて安全航行及び安全操業に努力する旨の決意を評価し、強いて勧告しない。
なお、付言すれば、R社は、日本トロール底魚協会等に加入し、我が国水産業界の指導的立場にある会社として運営されているところであり、後継者不足あるいは諸般の事情によって漁労技術の伝承が停滞しないよう、海上及び陸上両従業員一丸となって、決意表明に則り、なお一層の安全管理に努められ、水産業界の発展に寄与されることを切望する。
よって主文のとおり裁決する。