(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年2月2日22時00分
瀬戸内海伊予灘
2 船舶の要目
船種船名 |
押船第3ぎおん丸 |
バージ第十一日昌丸 |
総トン数 |
199.39トン |
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全長 |
28.75メートル |
64.20メートル |
幅 |
8.40メートル |
13.00メートル |
深さ |
3.80メートル |
4.70メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
1,985キロワット |
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3 事実の経過
第3ぎおん丸(以下「ぎおん丸」という。)は、可変ピッチプロペラを備えた2基2軸の鋼製押船で、A、B両受審人ほか2人が乗り組み、船首2.0メートル船尾3.0メートルの喫水をもって、空倉で喫水が船首尾とも1.5メートルとなった無人の非自航型鋼製バージ第十一日昌丸(以下「日昌丸」という。)の凹状船尾に船首部をかん合し、平成11年2月2日16時40分広島県鹿川港を発し、鹿児島県串木野港に向かった。
ところで、日昌丸は、前部に砂利採取用のクレーンを備え、中央部に積載容積1,500立方メートルの貨物倉を有し、その倉口は縦22メートル横10.6メートルで閉鎖設備がなく、ぎおん丸とは、いずれも両端にアイを有する長さ約30メートル、直径50ミリメートル(以下「ミリ」という。)のワイヤロープ2本で結合され、各ワイヤロープの一端を日昌丸船尾甲板上の左右の係船柱にかけ、ぎおん丸船尾各舷のスタンドローラーを経て同船船尾中央に導き、その一辺の長さが約50センチメートル(以下「センチ」という。)で厚さ約2センチの三ツ目三角鋼板にシャックルで結合されていた。そして、ぎおん丸船尾端から8メートル前方の船体中心線上に設置されたワイヤドラムから直径22ミリのワイヤロープを引き出し、その端に取り付けられた滑車と同三角鋼板をシャックルで結合したのち、ウインチで同ワイヤロープを巻き込んで2本のワイヤロープを十分に張り合わせ、同三角鋼板をドラム側に約5メートル引き寄せた位置でワイヤドラムのブレーキを締めてストッパをかけ、全長約87メートルの押船列(以下「ぎおん丸押船列」という。)を構成していた。
A受審人は、出港当日の朝、鹿川港岸壁に係留中のぎおん丸に乗船し、そのとき、既に同船は日昌丸と結合されていたので、結合状態を自ら点検し、両船を結合していた2本のワイヤロープに緩みがなく、適切に結合してあることを確かめ、串木野港まで2昼夜の航海に支障がないものと判断した。また、A受審人は、同じころ乗船したB受審人と以前に乗り合わせたことがなく、同人が押船の運航経験がなかったが、出港後の船橋当直を、自らを含む同人と甲板長の3人で、それぞれ4時間交替の単独当直を行うこととした。
A受審人は、日本の南岸沖合を通過した低気圧が北海道東方海上で発達し、強い冬型の気圧配置となり、同日11時30分松山地方気象台から愛媛県全域に強風・波浪注意報が発表され、伊予灘一帯は北西の季節風が強まることが予想される状況であったものの、発航にあたり、テレビや無線電話を活用するなどして気象情報を十分把握せず、天候が悪化しても陸岸近くを航行すれば大丈夫と思い、強風・波浪注意報が発表されていることを知らないまま、出航操船に引き続き自ら船橋当直にあたって広島湾を南下し、そのころ風力5ないし6の北西風が吹いていたが、湾内であり波浪は比較的穏やかであったことから、諸島水道を通航して伊予灘北部に出て速吸瀬戸に向かった。
20時00分A受審人は、センガイ瀬灯標から124度(真方位、以下同じ。)0.7海里の地点に達したとき、針路を214度に定め、機関を全速力前進にかけ、7.5ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行し、間もなくB受審人と船橋当直を交替することとしたが、特に指示しなくても動揺が大きくなれば同人から報告があるものと思い、同人に対し、気象海象が悪化して船体の動揺が大きくなれば速やかに報告するよう指示することなく、針路を佐田岬北方2海里ばかりに向けて航行するように告げただけで、自室に退いて休息した。
当直を引き継いだB受審人は、手動で操舵にあたって伊予灘を南下し、20時50分八島灯台から082度8.9海里の地点において、伊予灘航路第7号灯浮標を右舷正横0.6海里に航過したとき、針路を216度に転じ、折からの北西風によって左方に7度ばかり圧流されながら続航した。
その後B受審人は、屋代島や平郡島から遠ざかるにつれ、北西風が強まるとともに次第に波が高くなり、21時30分八島灯台から119度7.1海里の地点に達したころ、波浪のため船体の動揺が大きくなり、日昌丸の船尾両舷に備え付けてあった錨が外板に衝突してドンドンという衝撃音を発するようになったが、押船の運航経験がなく、この程度の動揺なら押船列の航行に支障がないと思い、波が高まって船体の動揺が大きくなったことをA受審人に報告することなく、速やかに安下庄湾に避難するなど荒天避難の措置がとられず、間もなく衝撃音を聞いた機関室当直中の機関長が昇橋し、同人からプロペラピッチを少し下げた方がよいとの進言を受け、同ピッチを19度から12度に下げ、船首が風下に落されないよう右舵を5ないし10度とりながら、同じ針路のまま、3.5ノットの速力で続航した。
その後ぎおん丸押船列は、増勢した北西風をほぼ右舷正横から受け、高まった波浪によって激しく動揺しながら伊予灘を南下するうち、ワイヤドラムから引き出したワイヤロープ先端の滑車と三ツ目三角鋼板とを連結していたシャックルピンが変形し、22時00分八島灯台から131度7.3海里の地点において、同シャックルピンが破断もしくは外れ、同三角鋼板が船尾甲板の後部中央に設置された高さ約30センチの制止支柱に当たって大きな衝撃音を発するとともに左右2本の結合ワイヤロープが弛んで、ぎおん丸と日昌丸との間に隙間が生じて操船不能に陥った。
当時、天候は雪で風力8の北西風が吹き、波高は3ないし4メートルであった。
A受審人は、衝撃音を聞いて異変が起こったことを知り、直ちに昇橋して風上に向けようとしたが、操船不能のままどうすることもできず、海上保安部に救助を要請した。
遭難の結果、ぎおん丸押船列は、強い北西風によって南東方に圧流され、23時00分ごろ連結ワイヤロープが切断してぎおん丸と日昌丸が分離し、翌3日01時30分ごろ長浜港北防波堤灯台から248度6.0海里の地点で、救命筏を投下し、乗組員全員が同筏に乗り移った直後、ぎおん丸は転覆・沈没し、03時40分乗組員は巡視船によって救助され、また日昌丸は、その後南方に流されて愛媛県西宇和郡保内町夢永岬南西方約600メートルの海岸に乗り揚げ、同日09時50分沈没し、両船共全損となった。
(原因)
本件遭難は、夜間、強い北西の季節風が吹く伊予灘において、広島県鹿川港から鹿児島県串木野港に向け航行中、気象海象状況の把握が不十分で、波浪のため船体の動揺が大きくなった際、早期に荒天避難の措置をとらず、ぎおん丸と日昌丸を結合していたワイヤロープが緩んで操船不能に陥ったことによって発生したものである。
運航が適切でなかったのは、船長が船橋当直者に対し、気象海象が悪化して船体の動揺が大きくなれば速やかに報告するよう指示しなかったことと、船橋当直者が船体の動揺が大きくなったことを船長に報告しなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、強い北西の季節風が吹く伊予灘において、ワイヤロープで結合した日昌丸を押し、広島県鹿川港から鹿児島県串木野港に向け航行中、部下に船橋当直を行わせる場合、早期に荒天避難の措置をとることができるよう、気象海象が悪化して船体の動揺が大きくなれば速やかに報告するよう指示すべき注意義務があった。しかるに、同人は、特に指示しなくても同人から報告があるものと思い、気象海象が悪化して船体の動揺が大きくなれば速やかに報告するよう指示しなかった職務上の過失により、早期に荒天避難の措置がとられないまま航行を続けて遭難を招き、ぎおん丸及び日昌丸を沈没させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
B受審人は、夜間、強い北西の季節風が吹く伊予灘において、ワイヤロープで結合した日昌丸を押し、船橋当直に従事して航行中、波浪のため船体の動揺が大きくなった場合、速やかにその旨を船長に報告すべき注意義務があった。しかるに、同人は、この程度の動揺なら押船列の航行に支障がないと思い、動揺が大きくなったことを船長に報告しなかった職務上の過失により、操船不能に陥って遭難を招き、前示の結果を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。