(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年12月9日23時50分
瀬戸内海 クダコ水道
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船新菱和 |
総トン数 |
199トン |
全長 |
54.70メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
404キロワット |
3 事実の経過
新菱和は、船尾船橋型の貨物船で、A受審人及びB指定海難関係人が乗り組み、空倉のまま船首0.4メートル船尾2.8メートルの喫水をもって、平成11年12月9日11時20分徳島県徳島小松島港を発し、山口県宇部港に向かった。
同船の就航形態は、専ら、宇部港と徳島小松港両港間の石炭輸送に従事するもので、徳島小松港で揚荷を行った後は鳴門海峡を経由し、備讃瀬戸北航路を西行して備後灘に至り、宮ノ窪瀬戸を通航し、クダコ水道を南下して平郡水道を航行して積地の宇部港に至るものであった。
A受審人らは、上記就航を3日毎に1航海の割合で、月間平均約9航海を行い、積荷時間には約1時間を、揚荷時間は吸い込み式ノズルを使用しての揚荷で約7時間を要するものの、乗組員はこの間休息することのできる状態のもと、同月8日午後徳島小松島港の揚荷岸壁に着岸して積荷の一部の揚荷を行い、翌9日朝から荷役を再開して残量を揚切って出港した。
A受審人は、船橋当直を定めるにあたり、鳴門海峡及び宮ノ窪瀬戸の操船指揮を自らがとる必要があったから、両海域の通航時刻を予想して流動的に当直時間を割り振っており、当日は、発航後13時までを自らが、13時から17時及び21時から翌01時までの時間帯をB指定海難関係人に行わせることとした。
こうしてA受審人は、21時00分宮ノ窪瀬戸を航行して愛媛県大島と伯方島両島間に架けられた大島大橋の橋下を通過したところでB指定海難関係人に船橋当直を行わせることにしたが、平素から眠気を覚えたときには報告するよう指示を与えていたうえ、同人は十分な休息をとれる状況で、当直交替時、眠気が残っている様子を認めなかったことから、針路・速力及び一般的な注意事項を告げただけで降橋して休息した。
一方、B指定海難関係人は、10日間の陸上での休暇をとった後、同月3日ごろ新菱和に乗船したものであるが、休暇中の睡眠のリズムは20時から21時にかけて就寝し、翌日03時ごろ目覚めた後はうとうととした状態で過ごしたのち起床する生活を続けていたので、乗船後はこの生活様式がくずれ、不規則な船の生活リズムに十分馴染んでいなかったことから、休息が十分にとれる状況であったものの、休息時間中も度々寝つきが悪い状態が続いていた。
当直交替後、B指定海難関係人は、安芸灘に向け西行し、22時27分来島梶取鼻灯台から263度(真方位、以下同じ。)4.7海里の地点に達したとき針路を238度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて10.0ノットの対地速力で、いすに腰を掛けて見張りにあたって進行した。
23時10分B指定海難関係人は、クダコ水道の北口にある風切鼻灯台から062度6.4海里の地点に達したとき船首わずか右に同灯台の灯光を視認したころから眠気を感じるようになったが、暖房の効いた船橋内で適宜立ち上がって身体を移動したものの、いままで当直中に居眠りに陥ったことはなかったので、がまんすれば耐えられるものと思い、船橋のウイングに出て冷気にあたるなど居眠り運航の防止措置をとることなく当直を続けた。
23時28分B指定海難関係人は、風切鼻灯台から065度3.5海里の地点に達し、愛媛県中島北端の歌埼灯台の灯火を左舷側に航過したあたりから、操舵輪後方で操舵輪に身体をもたれかけてうつぶせの姿勢となって当直にあたるうち、いつしか居眠りに陥った。
23時45分B指定海難関係人は、風切鼻灯台から090度0.6海里の地点に至り、クダコ水道北口に差し掛かって同水道への転針点に達したが居眠りして予定の転針が行われずに続航中、突然、衝撃を感じ、23時50分風切鼻灯台から192度990メートルの地点の愛媛県怒和島東端の岸線に原針路、原速力のまま乗り揚げた。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は下げ潮の中央期で付近には微弱な南西流があった。
A受審人は、自室で就寝中のところ乗揚の衝撃で目を覚まし、急ぎ昇橋して事後の措置にあたった。
乗揚の結果、新菱和は、船底外板全面に一部破口を伴う多数の凹損を生じたが、のち修理された。
(原因)
本件乗揚は、夜間、安芸灘を西行してクダコ水道北口に向け進行中、居眠り運航の防止措置が不十分で、予定の転針が行われないまま、怒和島東端の岸線に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
B指定海難関係人が、船橋当直中、居眠りに陥ったことは本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、勧告しない。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。