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 海難審判庁裁決録 >  2001年度(平成13年) > 乗揚事件一覧 >  事件





平成12年神審第18号
件名

旅客船フェリーむろと乗揚事件

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成13年3月16日

審判庁区分
神戸地方海難審判庁(阿部能正、黒岩 貢、西田克史)

理事官
黒田 均

受審人
A 職名:フェリーむろと船長 海技免状:一級海技士(航海)
B 職名:フェリーむろと一等航海士 海技免状:三級海技士(航海)
指定海難関係人
R社 業種名:海運業

損害
右舷船底外板に破口、右舷ビルジキール、両舷プロペラ、右舷プロペラシャフト及び舵板等に曲損、機関室等に浸水

原因
荒天措置不適切、船舶運航管理不適切

主文

 本件乗揚は、台風の影響による強風下、入港を中止しなかったことによって発生したものである。
 船舶所有者が、運航管理者を適切に選任しなかったばかりか、運航管理を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
 受審人Aの一級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年7月27日04時40分
 高知県甲浦港

2 船舶の要目
船種船名 旅客船フェリーむろと
総トン数 6,472トン
全長 132.92メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 16,400キロワット

3 事実の経過
1 指定海難関係人株式会社R
(1)沿革及び組織
 指定海難関係人株式会社R(以下「R社」という。)は、その前身であるI株式会社(以下「I社」という。)が業績不振と明石海峡大橋の完成に伴い一般旅客定期航路運送事業から撤退することになったとき、同社の航路が高知県と関西圏との重要な交通手段として、また、同県内各地における観光振興のためにも是非残したいという要望により、16市町村と地元業者が出資し、平成10年2月に資本金1億5,000万円で本社を高知県安芸郡東洋町において設立され、同町町長である田島裕起代表取締役社長の下、I社から譲り受けたフェリーむろと(以下「むろと」という。)を運航して大阪−高知県甲浦−同県あしずり各港間の一般旅客定期航路事業を開始した。
 本社には、管理部、営業部及び船舶部を置き、管理部は業務、総務及び経理等を、営業部は航路の運営及び集貨等を、船舶部は海上従業員に対する人事管理、配乗、教育訓練及び船舶の運航技術の指導のほか保船業務をそれぞれ担当し、大阪、甲浦、あしずり港、大阪南港及び奈良に営業所を、また、東京に案内所を設置していたが、大阪南港及び奈良両営業所と東京案内所は業務委託としていた。従業員数は、本社が16人、大阪営業所が2人、甲浦営業所が1人、あしずり港営業所が1人となっていたが、ほかにパートタイマー従業員となる陸上支援員として甲浦営業所に12人、あしずり港営業所に9人を配置していた。
(2)配乗体制
 海上従業員数は46人で、原則として船長は4日間、その他の乗組員は8日間乗船したのち、それぞれ4日間の陸上休暇を取る体制をとっていた。
(3)運航管理
 R社は、海上運送法に基づき運航管理規程を作成し、本社に運航管理者及び同代行各1人を、甲浦、あしずり港及び大阪各営業所に副運航管理者1人及び運航管理補助者若干名をそれぞれ配置することとなっていたが、本社にではなく大阪営業所に、同営業所長である今宮正明を運航管理者に選任していた。しかしながら、同人が海技免状を受有しておらず、I社当時からむろとの事務員としての乗船経験しかなく、同営業所長としての業務を遂行する傍ら運航管理を行わなければならないので、運航管理者代行に指名した船舶部長河端教一と2人で運航管理に当たらせていたところから、両者の職務範囲が不明瞭となり、船長が運航管理者と協議して安全運航を確保する際の連絡体制が確立されないなど、運航管理者の選任が適切でなかった。
 R社は、運航管理規程に基づく運航基準に甲浦港の入港中止条件として、風については、同港内の風速毎秒18メートル(以下、風速については毎秒のものを示す。特記するもの以外は平均風速である。)以下と規定し、船長に対し、無理な運航をしないように指導していたものの、甲浦港内が地形的に南東風や同方向の波浪を直接受けることや、地域的な問題で曳船を使用できないことを考慮した入港操船方法、入港中止を決定する同港内の気象・海象の諸条件について具体的な教育及び指導を十分に行っておらず、むろとの風圧力とサイドスラスタ能力からみた操縦限界風速の検討も行っていなかった。
 また、甲浦港内には風向風速計を設置しておらず、港内の風向及び風速を、甲浦営業所に勤務する運航管理補助者松浦資が、同営業所と接岸岸壁東側ドルフィンにそれぞれ設置してある高さ4メートルの竿に付した白地に緑十字の安全旗のたなびき方や同ドルフィンから東方500メートルにある杓子礁に立つ波頭を目視観測のうえ経験則により判断し、むろとへ船舶電話やトランシーバーにより報告していたのが実情で、乗組員が同港内の正確な風向及び風速を把握することができないなど、運航管理を十分に行っていなかった。
2 A及びB両受審人
 A受審人は、昭和56年から外航船舶に航海士として乗船し、平成8年に一級海技士(航海)の免状を受有したのち、I社に入社し、その後引き続きR社において航海士として勤務し、同11年3月から船長としての実地訓練を受けたのち、5月から船長に昇進してその職務に当たっていた。
 B受審人は、昭和50年I社に入社し、同62年7月に航海士となり、平成8年に一等航海士に昇進し、その後引き続きR社においてその職務に当たっていた。
3 むろと
(1)建造の経緯
 むろとは、昭和62年4月9日に株式会社来島どっくで進水して同年7月13日に就航した、財団法人日本海事協会の船級を有する船首船橋船体中央部機関室型の旅客フェリーであった。
(2)船体関係
 むろとは、登録長123.00メートル幅23.00メートル深さ12.50メートルの多層甲板型船で、タンクトップ上のE甲板(乾舷甲板)から上方へD甲板(上甲板)、C甲板、B甲板及びA甲板(船橋甲板)の5層の甲板を有し、E甲板を車両積載に、D甲板は前部25メートルの間を乗組員室などに当てて後部を車両積載に、C甲板は前部25メートルを乗組員室のほか1部客室に、また、B甲板を客室に、A甲板の前部を船橋及び乗組員室に、後部を客室にそれぞれ当てていた。また、E甲板船首及び右舷船尾にそれぞれ車両搬入用のランプウェイが、同甲板中央部右舷にD甲板への倉内通路がそれぞれ装備されており、両甲板には乗用車48台及びトラック63台を搭載することができ、最大搭載人員は1,250人であった。
 さらに、乾舷甲板下には、船首側からフォアピークタンク、バウスラスタルーム及びバラストタンクが設けられ、その後方には、ボイドスペースや清水、スウェジ、燃料油及びサニタリの各タンクが置かれ、その後方上段に機関制御室、その下段に補機室と二重底に燃料油タンクがそれぞれ設けられていた。
 そして、その後方が機関室で、主機下の二重底に燃料油タンク及び潤滑油タンクがあり、同室後方に1番及び2番シャフトルーム、その二重底に燃料油タンク、その後方に可変ピッチプロペラ油圧装置が、その両側にボイドスペースが置かれ、船尾にスタンスラスタルーム及びステアリングエンジンルーム、その下段がアフターピークタンクとなっていた。
 フォアピークタンクの上部にはボースンストアが設けられ、その上部が船首楼甲板で、同甲板は、船底からの高さが15.0メートル、船首端から船橋楼前面に至る長さが22.2メートルで、船橋甲板は船底から21.0メートルの高さにあり、その前端に操舵室が設けられていた。
 また、船体中央部少し後方喫水線下両舷側に、それぞれ電動油圧翼格納式フィンスタビライザが装備されていた。
(3)操舵室配置
 操舵室は、ほぼT字型をしており、同室前部は幅24.0メートルで、そのうち船体中心線から左右4.5メートル間の前後方向は5.7メートル、その両舷外側の前後方向は2.4メートルあって、左舷側後部は幅2.4メートル、前後方向1.0メートルの海図テーブルが設置され、操舵室前部と海図テーブルとは遮光カーテンによって仕切られていた。そして、両ウイングには暴露甲板がなく、その舷端は船側外板から0.6メートル外側に突き出しており、両ウイングを含め操舵室全体が窓及び壁に囲まれ、操舵室後壁の両舷側に後部のA甲板に通じる扉が、また、中央部に乗組員等の居住通路に通じる扉が設けられていた。
 航海関係機器は、操舵室前部中央に操船用ジャイロレピータ、その後方に操舵スタンドが、その右舷側に主機遠隔操縦コンソールとその後方にバラストコントロールパネルが、同スタンド左舷側に1号レーダーと2号レーダーが設置され、後部海図テーブルの右舷側には気象ファクシミリ受信機が、同室両舷端にはそれぞれサイドスラスタコントロール装置が設置されており、前部窓枠上方のほぼ中央部には左舷側から順に風向風速計、船内時計、速力計、傾斜計、舵角指示器、主機回転計(右舷機及び左舷機)及び可変ピッチプロペラ翼角指示器(右舷機及び左舷機)が備えられていた。また、同後壁の船体中心線より少し右舷側に航海灯表示盤、スプリンクラ消火装置制御盤及び車両区画通風器モニターなどを集めた配電集合盤がそれぞれ設置されていた。
(4)機関及び制御系統
 主機は、J株式会社が昭和62年3月に製造した、7PC40L型と称する連続最大回転数毎分350の単動4サイクル7シリンダ・ディーゼル機関を2基装備し、それぞれクラッチ付き減速装置を介して可変ピッチプロペラを駆動しており、操縦位置を切替えスイッチで選択することによって、操舵室、機関制御室及び機側のいずれからも運転操作ができるようになっていたが、通常、出港スタンバイ時に機関制御室でトライエンジンを行ったうえ操縦位置を移したのちは、入港してフィニッシュエンジンとなるまで操舵室で主機操縦が行われており、同室に設けられた遠隔操縦装置により、主機の回転数制御及び可変ピッチプロペラの翼角制御が操作ハンドルで行えるようになっていた。
(5)操縦性能
 操縦性能は、海上公試運転成績書写によると、全速力前進中に右舵角35度を取ったときの最大縦距は533メートル、最大横距は585メートルで、左舵角35度を取ったときの最大縦距は518メートル、最大横距は576メートルであり、また、全速力前進中に後進を発令して船体停止までに要する時間は2分50秒で航走距離は1,112メートルであった。
(6)サイドスラスタ
 船首から約13メートル後方の喫水線下にバウスラスタが、船尾から約15メートル前方の喫水線下にスタンスラスタが装備され、それぞれ出力720キロワット、推力12トン及び回転数毎分293の、共に電動機によって駆動される直径2メートルの可変ピッチプロペラ式で、操舵室で遠隔操縦ができるようになっていた。
 そして、サイドスラスタによる90度回頭の時間は、海上公試運転成績書写によると、下表のとおりであった。

  船体停止
右回頭
船体停止
左回頭
その場回頭
右回頭
その場回頭
左回頭
バウスラスタ 3分04秒 3分08秒    
相対風向(P・S)
(度)/風速(メートル)
P50/3 P150/2.5    
スタンスラスタ 6分45秒 5分10秒    
相対風向(P・S)
(度)/風速(メートル)
P70/2.5 S15/3.5    
バウ・スタンスラスタ併用     2分18秒 2分35秒
相対風向(P・S)
(度)/風速(メートル)
    P100/2.5 S115/3

 また、サイドスラスタの回頭能力は、速力が0の場合に最大で、速力が増加するにつれて低下し、サイドスラスタの効果が期待できる速力は5.0ノット以下であった。
(7)風圧力の推定
 喫水線上の風圧側面積は、平均喫水5.45メートル、排水量8,127トン及び重心位置4.22メートルの状態で、横投影面積が2,109平方メートル、正面投影面積が1,186平方メートルであった。
 船体横方向の風圧力を種々の相対風向及び相対風速についてイッシャーウッドの推定式により求めると次表のとおりであった。

種々の相対風向(度)、相対風速(Va:メートル)に対する
船体横方向の風圧力(キログラム重)

 風圧力は相対風向の増加とともに大きくなり、また相対風向により変化し、斜め後方(約120度)からが最も大きい。

風向 Va 8 Va 9 Va 10 Va 11 Va 12 Va 13 Va 14 Va 15 Va 16 Va 17
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
10 1253 1586 1958 2369 2819 3309 3837 4405 5012 5658
20 2915 3689 4454 5511 6558 7697 8926 10247 11659 13162
30 4564 5776 7131 8628 10268 12051 13976 16044 18255 20608
40 6025 7625 9414 11391 13556 15909 18451 21181 24099 27205
50 10238 12957 15996 19355 23034 27033 31352 35991 40950 46229
60 9878 12502 15435 18677 22227 26085 30253 34729 39514 44608
70 8637 10931 13495 16329 19433 22806 26450 30363 34547 39000
80 9030 11428 14109 17072 20317 23844 27654 31745 36119 40775
90 9909 12541 15483 18734 22295 26166 30346 34836 39636 44745
100 10261 12987 16033 19400 23088 27096 31425 36075 41045 46336
110 10093 12774 15770 19082 22709 26652 30910 35483 40372 45576
120 10928 13831 17076 20661 24589 28858 33468 38420 43713 49348
130 10678 13514 16684 20188 24025 28196 32701 37540 42712 48218
140 9128 11552 14262 17257 20537 24103 27954 32090 36511 41218
150 8535 10802 13336 16136 19203 22537 26138 30005 34140 38540
160 5054 6397 7898 9556 11373 13347 15479 17770 20218 22824
170 2209 2796 3452 4177 4971 5834 6767 7768 8838 9977
180 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

(8)サイドスラスタの合計推力に対する許容限界風速
 上記の風圧力をもとにサイドスラスタを使用したときの許容限界風速を試算すれば、次のとおりとなる。
 バウスラスタ及びスタンスラスタによる合計推力は、H株式会社(以下「H社」という。)作成のむろとの風圧力とスラスタ能力からみた操縦限界風速の検討書写に記載の24,000キログラム重を用いる。スラスタ推力は、喫水線下の船体に働く流体力と喫水線上の風圧力の合力と釣り合う。船が停止している状態では流体力は0であるので、許容限界風速は、スラスタ推力と風圧力が釣り合う状態で求められ、上記の表において風圧力と相対風速の関係を線形補間で求めると、相対風向120度で11.85メートルである。また、船が航走中は流体力が生じるため、許容限界風速は、上記11.85メートルより小さくなる。
4 甲浦港
 甲浦港は、四国南東岸の高知県安芸郡にあって、徳島県との県境に位置し、西方から北方にかけての岸壁、東方の竹ケ島、南方の葛島及び赤葉島に囲まれた港で、その港口は南方に開かれて外洋に面していた。そして、甲浦灯台がある唐人ケ鼻から港口防波堤が東方向に約110メートル延びており、その東端に甲浦港港口防波堤灯台(以下「港口防波堤灯台」という。)が設置され、同灯台から東北東方沖合に設置された右舷標識である杓子礁灯浮標との間の約300メートルが港奥の出入口を形成し、更に港口防波堤灯台から南西方500メートルばかり離れた赤葉島の東端中埼と、甲浦港葛島防波堤灯台(以下「葛島防波堤灯台」という。)から西方沖合に築造中の離岸堤(以下「葛島西方離岸堤」という。)西端との間の約300メートルが港口となっていた。
 ところで、港奥は、杓子礁灯浮標を中心に半径約150メートルの範囲内及び西方から北方の陸岸沿いには水深5メートル未満の浅所が拡延し、また、港口防波堤から北側300メートルばかりには養殖用のいけすやケーソンが東西に設置されていた。そして、港口防波堤灯台から西北西方220メートルばかり離れたところに、東西方向に長さ約40メートルのドルフィンの東端が、その西端に接続して同じ方向で長さ約80メートルの唐人ケ鼻岸壁が築造され、平素からむろとの専用岸壁として使用されていたが、水深5メートル以上の水域が狭く、出船右舷付けとしている同船にとって回頭する余地が限られているうえ、風波を防ぐことが十分でなく、南ないし南東風が強いときの操船は容易でなかった。
5 本件時の気象・海象
(1)むろとの気象・海象等情報の収集
 むろとにおいては、気象庁からJMH(第1気象無線模写通報)スケジュールによって送られる地上解析図、沿岸波浪予想図、台風予想進路図などの気象図及び海象図をファックス受信していたほか、ナブテックス受信機によって気象情報を自動受信し、当直中の甲板手が、テレホンサービスで室戸岬灯台及び足摺岬灯台から気圧、風向及び風速についての気象観測資料と、室戸岬測候所から台風9905号(以下「台風5号」という。)及び気象観測資料とを入手するとともに船橋の風向風速計により2時間ごとに気象観測を行っていた。
 一方、甲浦営業所においては、前示のとおりO運航管理補助者が目視観測して経験則により甲浦港内の風向及び風速を判断し、むろとに船舶電話やトランシーバーにより報告を行っていた。
(2)台風5号
 平成11年7月22日15時00分フィリピンの東方海上で発生した弱い熱帯低気圧は、同月25日15時00分に沖縄の南方海上で台風5号となり発達しながら北上した。
 気象庁の26日15時00分の台風予報48時間図によれば、同時刻の中心位置は、北緯29度12分東経129度00分にあり、中心気圧980ヘクトパスカル、時速25キロメートルで北上を続け、27日03時00分の予想位置は、薩摩半島の西方約150海里付近に達し、その後九州西岸沖合を北上することを示していた。
 そして、地上解析図によれば、26日18時00分の中心位置は、北緯30度00分東経129度00分に当たる、薩摩半島から南南西方80海里に達し、中心気圧980ヘクトパスカル、時速30キロメートルで北上を続け、最大風速は25メートルで、風速15メートル以上の風が予測される暴風雨半径が東側375海里、西側140海里であった。
 このころ、四国沖北部の海上では南東風が風力8ないし9(風速17ないし25メートル)となる海上強風警報が、また、高知県全域に大雨、雷、強風、波浪及び洪水注意報がそれぞれ発表されていた。
 そして、26日21時00分の中心位置は、北緯30度48分東経129度00分に達し、中心気圧980ヘクトパスカル、時速30キロメートルで北上を続け、最大風速は25メートルで、風速15メートル以上の風が予測される暴風雨半径が東側375海里、西側140海里であった。
 その後、27日00時00分の中心位置は、北緯31度30分東経128度48分に当たる、薩摩半島の西方65海里にあり、中心気圧980ヘクトパスカル、時速30キロメートルで北上を続け、最大風速は25メートルで、風速15メートル以上の風が予測される暴風雨半径が東側350海里、西側160海里で、引き続き前示警報及び注意報が発表されており、甲浦港及びその付近の海域においては、操船に影響を及ぼす強風と突風、視界を制限する驟雨(しゅうう)が予想される状況であった。
(3)甲浦港及び付近海域の気象・海象
 7月26日18時ごろから四国沖の太平洋沿岸海域では台風5号の影響による風速18ないし20メートルの南東からの強風が吹き荒れていた。そして、27日03時ごろから同時50分にかけて風速は15ないし17メートルに弱まったものの、04時ごろから再び風速17メートルの強風となり、降水量もところにより1時間に30ミリメートルに達し、同時40分ごろには10分間降水量が20ミリメートルとなった地域もあった。
 また、波浪は、同26日21時ごろ四国沖の太平洋沿岸海域では南東方からの波高3.5ないし4メートルの高い波があった。
6 乗揚に至る経緯
 むろとは、A及びB両受審人のほか25人が乗り組み、L運航管理者、管理部長代理K及び大阪営業所長代理Mが便乗し、乗客122人、乗用車14台及びトラック22台を載せ、船首4.3メートル船尾5.5メートルの喫水をもって、平成11年7月26日23時30分大阪港大阪区第5区フェリーふ頭を発し、甲浦港に向かった。
 これより先の同日18時55分ごろ甲浦港から大阪港に向けて航行中、むろとに便乗中のL運航管理者は、同じく便乗していたQ船舶部長と共に、A受審人の部屋で北上中の台風5号の予想進路や接近状況をテレビにより確認し、また、他の気象情報も入手して検討したうえ、同受審人を交えて協議し、翌日のあしずり港への運航を中止することに決め、甲浦港への入港についても風波の状況によっては中止して大阪港に引き返すことを申し合わせたが、その際の判断基準及び連絡方法など具体策を決めないまま、大阪港を出港したものであった。
 引き続き便乗していたL運航管理者は、台風5号の接近で次第に風波が増勢することが予想されたが、甲浦港入港の可否についていつでも協議する用意があることをA受審人に告げないまま、大阪港を出港後、船室で休息していた。
 翌27日00時45分A受審人は、友ケ島水道通航のため昇橋し、操船に当たって同水道を南下中、台風5号の影響で風速15メートルほどの南東風が吹いていることを知り、この程度の風速なら甲浦港に入港できるかもしれないと思いつつ、船橋当直中の二等航海士Nにスタビライザを出させ、2番バラストタンクに500トンの海水を張水するよう命じたことから船首4.50メートル船尾5.75メートルの喫水となり、また、同航海士に徳島県牟岐港東方沖合の大島を通過したとき、甲浦営業所に電話を入れて甲浦港内の気象状況を確認するよう指示し、01時05分友ケ島水道を通航し終えたところで、一旦降橋し、自室で休息した。
 03時51分少し過ぎA受審人は、出羽島灯台から127度(真方位、以下同じ。)4.0海里の地点において昇橋し、針路を243度に定め、機関を全速力前進にかけ、20.0ノットの対地速力としたのち、N二等航海士から先ほど大島を通過したとき甲浦港内の気象状況は雨で風速16ないし17メートルの南東風が吹いている旨の、また、甲板手Pから現在本船での風向及び風速は南東風が18メートルである旨の報告をそれぞれ受け、風が強いことから、操船の補佐をさせるためB受審人を昇橋させることとした。
 03時55分昇橋したB受審人は、船橋内の風向風速計を見て風がかなり強いことを知り、また、A受審人から甲浦港内は風が強いので入港を中止しようか迷っている旨を聞かされたが、L運航管理者と協議することを進言することなく、単に夜明けを待ちますかとのみ答えた。
 04時00分A受審人は、とりあえず竹ケ島まで行ってみようと考え、入港用意を令し、B受審人に補佐をさせ、P甲板手を操舵に、機関長藤瀬政春を主機遠隔操縦装置に、N二等航海士を船尾に、甲板長を船首にそれぞれ配置して、両舷錨を用意させ、自らは操舵室右舷側前面で操船指揮に当たり進行した。
 その後まもなくA受審人は、甲浦営業所のO運航管理補助者から港内では南東風が風速12ないし13メートルとやや弱まったとの報告を受けたものの、台風の影響下、このころ南東のうねりも大きく、このまま入港すれば突風や驟雨で操船が困難となることが予想される状況となっていたが、むろとの操縦性能から風速15メートルぐらいが入港できる限界であることを他の船長から聞いていたこともあって、何とか入れるものと思い、甲浦港への入港を中止することなく続航した。
 こうして、A受審人は、04時18分少し前阿波竹ケ島灯台から153度1.2海里の地点に達し、速力を12.0ノットの港内全速力に減じたのち、同時21分半甲浦港口に向かうため右舵を取り、同時24分少し前葛島防波堤灯台から177度1.0海里の地点に至り、甲浦灯台の灯光を船首目標とする348度の針路に転じて進行した。
 A受審人は、04時27分O運航管理補助者から南東風が風速15ないし16メートルと再び強まった旨の報告を受けたものの、右舷船尾方からの強風を受け、既に反転する余地もないものと判断し、依然入港を中止しないまま、スタビライザを格納させ、船首尾のスラスタを用意し、同時28分半葛島防波堤灯台から242度300メートルの地点で、速力を8.0ノットの半速力に減じたのち、針路を024度に転じ、次いで同時29分少し過ぎ葛島西方離岸堤西端を右舷側至近に通過したとき、速力を5.0ノットの微速力に減じて続航した。
 04時31分A受審人は、港口防波堤灯台から135度100メートルの地点に達し、針路を350度に転じたのち、右舷機を微速力のまま左舷機を3.0ノットの極微速力に減じて進行し、同時31分半左舷側至近に同灯台を通過したとき、右舵一杯を取って右舷機を停止から半速力後進にかけ、同灯台から038度150メートルの地点に至って行きあしが止まるころ、左舷機半速力前進にするとともに船首尾のスラスタを使用してその場回頭を行った。
 A受審人は、04時33分半港口防波堤灯台から038度150メートルの地点において船首が090度に向いたころ、左舷機及びスラスタを停止したのち、両舷機を半速力後進として後退し始めたとき、風雨がともに強くなり、急激に船首が風下に落とされるので、船首を風上に、船尾を風下に向けようとして、両スラスタを全速として使用したけれども、南東の突風を右舷側に受けて接岸が困難となり、船首が風下に落とされるとともに右舷船尾が唐人ケ鼻岸壁の東端に著しく接近した。
 そこで、A受審人は、接岸は困難と判断し、港内は狭く、底質が岩で錨泊は危険を伴うことから、港外に脱出することとし、04時36分港口防波堤灯台から316度210メートルの地点において、一旦両舷機を全速力前進にかけて、唐人ケ鼻岸壁から離したのち、同時37分半同灯台から347度175メートルの地点に至り、折からの激しい驟雨で操船目標の港口防波堤灯台の灯光が見え隠れする中、同灯台を右舷側に十分離し、出航針路の207度に向けようとして左舷機を半速力前進、右舷機を停止から微速力後進にかけ、右舵一杯として右回頭を行った。
 しかしながら、むろとが操縦性能を超える強い南東の突風を左舷側に受けて急激に右方に圧流され、A受審人は、激しい驟雨で港口防波堤灯台の灯光を一瞬見失って舵を中央に戻したものの、04時39分少し前183度に向首したとき、同灯台の灯光をほぼ船首方向100メートルに認め、港口防波堤に接近したことを知った。
 そこでA受審人は、左舵一杯、両舷機を半速力前進から全速力前進にかけるとともに、船首尾のスラスタを使用して左回頭を試みたものの、意のごとくならず、突風により船首が右方に圧流されて港口防波堤に著しく接近するので、04時39分わずか前両舷機全速力後進をかけた。
 しかし、むろとは、04時39分船首が222度に向いて、右舷後部が港口防波堤東端に3.0ノットの行きあしで接触し、更に船体が風下に圧流されるので、A受審人が機関停止としたけれども、04時40分甲浦灯台から165度120メートルの地点において、船首を260度に向けて、行きあしがほとんどない状態で右舷船底を浅瀬に乗り揚げた。
 当時、天候は驟雨で、風力8の南東風が吹き、波高約1メートルで、潮候は上げ潮の初期にあたり、視程が100メートルで、日出は05時06分であった。
 A受審人は、乗揚地点が岩場でこのままでは損傷が拡大して救助作業も困難となると考え、200メートル西方の砂浜に移動することとし、右舷機が使用不能となったことから04時43分左舷機を全速力前進にかけ、右舷船底が海底に接触したままゆっくり前進させ、04時50分甲浦灯台から234度200メートルの地点に任意乗り揚げた。
 その結果、右舷船底外板に破口を、同舷ビルジキール、両舷プロペラ、右舷プロペラシャフト及び舵板等に曲損を生じ、機関室等に浸水したが、のち修理された。
7 その後の措置
 A受審人は、直ちに総員を起こし、各方面に報告及び連絡し、乗客全員をレストランに集合させ、救命衣を着用のうえ待機するよう指示し、また、乗組員に命じて各倉を測深させた結果、シャフトルームの浸水を発見し、機関室との水密滑り戸を閉鎖した。
 乗客及び乗組員は、来援した海上保安庁のヘリコプターとむろとの救命艇とにより13時05分全員救助された。
8 乗揚後のR社の対応
 R社は、本件発生の報を受け、直ちに事故対策本部を設置して全社を挙げて事態の対応に当たった。その後、運航管理規程に基づき、取締役社長を委員長とする事故調査委員会を設置し、次のような措置をとった。
 (1)運航管理体制を含めた社内体制の見直し
 (2)執職船長を含めた船員の養成計画の実施
 (3)全乗組員を対象とした安全教育の見直し
 (4)甲浦港全体の港内各施設の見直し
 また、同年8月17日大阪−甲浦−あしずり各港間の一般旅客定期航路事業を自主的に休止し、同事業の見直し、9月20日四国運輸局長による海上運送法の規定に基づく輸送の安全確保に関する命令を受けて、これにより、学識経験者や海事に関する専門家等による安全確保対策検討委員会を設置のうえ、運航管理者をむろとの船長経験者に変更し、また、甲浦港の入港中止基準の風速18メートル以上を15メートル以上(ただし、風向が南東ないし南のときは13メートル以上)に変更、甲浦港の記録付き風向風速計の設置、H社にむろとの風圧力とサイドスラスタ能力からみた操縦限界風速を検討依頼等安全対策を講じるとともに、全社員に外部の専門家を講師に招いて操船上の注意事項等の研修会を実施するなど安全教育の徹底を図り、一般旅客定期航路運送事業の事業計画変更を行い、12月18日運航を再開した。

(原因に対する考察)
 本件は、むろとが、接近する台風5号の影響による強風と驟雨の中を甲浦港に入港中、目的の岸壁に接岸しようとしたがかなわず、港外脱出を図ったものの突風を受けて陸岸に圧流されたものである。
1 A受審人の所為
 A受審人は、台風5号が発生したのち、この情報を十分に入手しており、台風が九州西方洋上をゆっくりとした速力で北上するとき、その外周にあたる四国地方においては、驟雨を伴う南東の突風が吹き荒れることは十分予想できるところであった。
 また、A受審人は、本船が大島沖合で観測した風向及び風速は南東風が18メートルで、そのころ甲浦港内の気象状況は、雨で風速16ないし17メートルの南東風が吹いており、その後竹ケ島沖合に至ったとき、同港内の風速が12ないし13メートルとやや弱まったとの報告を受けたものの、海上は南東からの波浪やうねりも大きくなっているのを認めた。
 A受審人は、むろとの操縦性能から風速15メートルぐらいが入港できる限界であることを他の船長から聞いていたこと、また、甲浦港内の気象・海象の観測が目視観察して経験則により判断したものであることに上記の気象状況を合わせ考えると、狭い甲浦港に入港すれば操船困難に陥るおそれのあることは予見可能であった。従って、旅客フェリーである本船の安全運航を図るうえから、入港を中止しなかったことは、本件発生の原因となる。
2 B受審人の所為
 入港操船の補佐を命じられた同受審人は、昇橋時気象情報を得て風がかなり強いことを知り、A受審人から風が強いので入港を中止しようか迷っている旨を聞かされた際、同港への入港の可否について、L運航管理者と協議することを進言することは一等航海士として職務上当然であり、何らの進言を行わなかったことは、本件の一因となったとするのが相当である。
3 R社の所為
 (1)R社は、L大阪営業所長を運航管理者に選任していたが、同人が海技免状を受有しておらず、I社当時からむろとの事務員としての乗船経験しかなく、大阪営業所長としての業務を遂行する傍ら運航管理を行わなければならないことから、河端船舶部長を運航管理者代行に指名して2人で運航管理に当たらせていたところから、両者の職務範囲が不明瞭となり、船長が運航管理者と協議して安全運航を確保する際の連絡体制が確立されないなど、運航管理者の選任が適切でなかった。
 (2)R社は、船長に対し、無理な運航をしないようにと指導していたものの、甲浦港内が地形的に南東風や同方向の波浪を直接受けることや曳船を使用できないことを考慮した入港操船方法、入港中止を決定する同港内における気象・海象の諸条件についての具体的な教育及び指導を十分に行っておらず、むろとの風圧力とサイドスラスタ能力からみた操縦限界風速の検討も行っていなかった。また、甲浦港内の風向及び風速を運航管理補助者に目視と経験則により判断させ、同港に風向風速計を設置していなかった。  以上のことから、同社が、運航管理を十分に行っていなかったことは明らかである。

(原因)
 本件乗揚は、夜間、台風の影響による強風下、高知県甲浦港に向かって航行中、入港を中止せず、同港内において、操縦性能を超える突風を受けて操船困難に陥り、陸岸に圧流されたことによって発生したものである。
 運航が適切でなかったのは、船長が入港を中止しなかったことと、一等航海士が運航管理者と入港の可否について協議をするよう進言しなかったこととによるものである。
 船舶所有者が、運航管理者を適切に選任しなかったばかりか、船長に対し運航に関する具体的な教育及び指導を十分に行っておらず、甲浦港に風向風速計を設置していないなど、運航管理を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、台風の影響による強風下、甲浦港に向かって航行中、このまま入港すれば突風や驟雨で操船が困難となることが予想される状況となった場合、陸岸に向けて圧流されるおそれがあったから、入港を中止すべき注意義務があった。しかるに、同人は、何とか入れるものと思い、入港を中止しなかった職務上の過失により、同港内において、操縦性能を超える突風を受けて操船困難に陥り、陸岸に圧流されて乗揚を招き、右舷船底外板に破口を、同舷ビルジキール、両舷プロペラ、右舷プロペラシャフト及び舵板等に曲損を生じ、機関室等に浸水させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の一級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 B受審人は、夜間、台風の影響による強風下、甲浦港に接近中、A受審人から操船の補佐を命じられ、風が強いので入港を中止しようか迷っている旨を聞かされた場合、昇橋時気象情報を得て風がかなり強いことを知っていたのであるから、同港への入港の可否について、L運航管理者と協議することを進言しなかったことは、本件発生の原因となる。
 しかしながら、以上のB受審人の所為は、運航管理者が便乗していたことと、入港の可否については運航管理者及びA受審人が協議して決定すべき事項であることとに徴し、職務上の過失とするまでもない。
 R社が、運航管理者を適切に選任しなかったばかりか、船長に対し運航に関する具体的な教育及び指導を十分に行っておらず、甲浦港に風向風速計を設置していないなど、運航管理を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
 R社に対しては、本件発生後、直ちに事故対策本部を設置して全社を挙げて事態の対応に当たり、その後事故調査委員会及び学識経験者や海事に関する専門家等による安全確保対策検討委員会を設置のうえ、運航管理者をむろとの船長経験者に変更し、また、甲浦港の入港中止基準の変更、甲浦港の記録付き風向風速計の設置、むろとの風圧力とサイドスラスタ能力からみた操縦限界風速の検討依頼等の安全対策を講じるとともに、全社員に外部の専門家を講師に招いて操船上の注意事項等の研修会を実施するなど安全教育の徹底を図っている点に徴し、勧告しない。

 よって主文のとおり裁決する。





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