(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年4月22日03時30分
宮崎県大堂津漁港南方海岸
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船清漁丸 |
総トン数 |
9.93トン |
登録長 |
11.86メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
120 |
3 事実の経過
清漁丸は、専らまぐろはえなわ漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人及び同人の息子である甲板員の2人が乗り組み、操業の目的で、船首0.70メートル船尾1.60メートルの喫水をもって、平成11年4月19日09時00分操業の基地としていた宮崎県油津港を発し、都井岬南東方沖合27海里ばかりの漁場に向かった。
A受審人は、18時00分同漁場に着き、翌20日04時30分からまぐろはえなわ漁を開始して18時まで操業を行い、翌々21日も同時刻に投縄を開始して11時から揚縄にかかったところ、縄切れなどでいつもより手間取り21時30分ようやく揚縄を終了した。そのころ、気象情報により東シナ海で発生した低気圧が九州に接近中であることを知り、きはだまぐろ200キログラムを獲たところで操業を打ち切ることとし、22時00分油津港東方沖合37海里の地点を発進して同港に向け帰途に就いたが、操業中の夜間は漂泊して休息をとり、操業期間も短かったことから、さほど疲労を覚える状態でなかった。
発進後、A受審人は、甲板員に船橋当直を任せて2時間ほど仮眠をとったのち、越えて22日00時20分裸碆灯台の東方沖合20海里の地点で、甲板員と交替して単独で船橋当直に就き、操舵室左舷側の床上高さ約0.80メートルの台に置いた背もたれ付き座いすに腰を掛け、見張りと操舵に当たって西行した。
02時25分ごろA受審人は、6海里レンジで作動中のレーダーに油津港の陸岸の映像を認め、同時50分裸碆灯台から081度(真方位、以下同じ。)2.7海里の地点に達したとき、レーダーレンジを3海里に切り替え、針路を裸碆と小場島とのほぼ中間に向く255度に定めて自動操舵とし、機関を回転数毎分1,300にかけ、6.9ノットの対地速力で進行した。
定針したころ、A受審人は、海上が穏やかで、付近に航行中の船舶を見かけなくなったことから気が緩み、眠気を催すようになったが、入港を間近に控えてまさか居眠りすることはないと思い、立ち上がったり、外気に当たるなどして居眠り運航の防止措置をとることなく、座いすに腰掛けたままでいるうち、いつしか居眠りに陥った。
こうして、A受審人は、03時13分油津港東防波堤出入口に向ける転針予定地点に達したものの、居眠りしていてこのことに気付かず、大堂津漁港南方の大堂津海水浴場の海岸に向首したまま続航し、清漁丸は、03時30分油津港東口導灯(後灯)から237度1,200メートルの浅所に、原針路、原速力のまま乗り揚げた。
当時、天候は曇で風力2の南東風が吹き、潮候はほぼ低潮時であった。
A受審人は、衝撃で目覚めて乗り揚げたことを知り、機関を後進にかけたが自力離礁できず、僚船に救援を求めた。
乗揚の結果、船底に擦過傷、推進器翼及び舵板などに曲損を生じたが、僚船により引き降ろされ、のち修理された。
(原因)
本件乗揚は、夜間、宮崎県油津港東方沖合の漁場から同港に向けて帰港中、居眠り運航の防止措置が不十分で、大堂津漁港南方の海岸に向首したまま進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、単独で見張りと操舵に当たり、宮崎県油津港東方沖合の漁場から同港に向けて帰港中、眠気を催した場合、居眠り運航にならないよう、立ち上がったり、外気に当たるなどして居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。しかし、同受審人は、入港を間近に控えてまさか居眠りすることはないと思い、居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、居眠りに陥り、大堂津漁港南方の海岸に向首したまま進行して浅所への乗揚を招き、清漁丸の船底に擦過傷、推進器翼及び舵板などに曲損を生じさせるに至った。