(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年3月9日22時55分
瀬戸内海 小豆島
2 船舶の要目
船種船名 |
引船宮島丸 |
台船常石15号 |
総トン数 |
194.14トン |
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全長 |
30.60メートル |
60.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
1,471キロワット |
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3 事実の経過
宮島丸は、主として台船などの曳航作業に従事する2基2軸の鋼製引船で、A受審人ほか3人が乗り組み、徳島県橘港で台船常石15号(以下「台船」という。)積載の荷物を揚荷したのち、回航の目的で、船首尾とも0.8メートルの喫水となった無人の台船を、同船の船首両舷からそれぞれ延出した約23メートルのワイヤロープの先端をシャックルで連結した長さ約40メートルの曳索で船尾に引いて引船列を構成し、船首2.2メートル船尾3.6メートルの喫水をもって、平成11年3月9日15時55分同港を発し、広島県千年港に向かった。
ところで、A受審人は、同月6日及び7日とも水島港で十分に休息をとったのち、翌8日12時40分に同港を出港し、一等航海士と6時間交替で船橋当直を行って9日08時前に橘港に着き、その後午前中は休息し、午後から作業を行ったあと15時55分出港したもので、1日に約7時間の睡眠が確保されていたものの、当時、風邪気味の状態であった。
A受審人は、出港操船に当たったのち、一等航海士に当直を任せて1時間ほど休息をとり、微熱がある程度でそれほど体調が悪くなかったことから17時30分ごろ徳島県那賀川河口沖合で再び昇橋して同航海士から引き継いで単独の当直に就き、その後鳴門海峡を通航して播磨灘を備讃瀬戸に向け西行した。
21時15分A受審人は、大角鼻灯台から130度(真方位、以下同じ。)8.6海里の地点に達したとき、針路を小豆島坂手湾南部の大福部島に向く298度に定め、機関を全速力前進にかけ、7.5ノットの対地速力で自動操舵により進行した。
その後、A受審人は、エアコンで適温に保たれた操舵室内の舵輪の後方でいすに腰を掛け前路の見張りに当たっていたところ、播磨灘推薦航路線に近づくにつれ、風邪による発熱から頭がぼうっとするなどの症状を自覚し、少し眠気を感じるようになり、このまま当直を続けると居眠り運航となるおそれがあったが、休息が十分にとれていたことから、まさか居眠りすることはないものと思い、次直の一等航海士を早めに起こして当直を交替するなど、居眠り運航の防止措置をとることなく、そのままいすに腰を掛けて見張りを続けた。
22時15分A受審人は、大角鼻灯台から181度2.0海里の地点に達し、針路を備讃瀬戸東航路の東口に向けるため左転しようとしたとき、同航路東口付近から東行する1隻の反航船を認めたので、同船と余裕をもって左舷を対して航過できるよう、針路を小豆島地蔵埼にほぼ向首する280度に転じ、反航船が替わったら針路を同航路東口に向けるつもりで自動操舵により進行するうち、いつしか居眠りに陥った。
宮島丸引船列は、A受審人が居眠りし、反航船が替わったのちも同じ針路、速力のまま続航中、22時55分地蔵埼灯台から127度160メートルの地蔵埼の南岸に、原針路、原速力のまま乗り揚げた。
当時、天候は曇で風力2の北風が吹き、潮候は上げ潮の初期であった。
乗揚の結果、宮島丸は、船底全般に凹損や亀裂を生じたが、自力で離礁し、のち修理された。
(原因)
本件乗揚は、夜間、播磨灘西部を西行中、居眠り運航の防止措置が不十分で、小豆島の地蔵埼南岸に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、風邪気味の状態で単独の船橋当直に就き、播磨灘西部を自動操舵により西行中、体調の不調を覚えて眠気を催すようになった場合、このまま当直を続けると居眠り運航となるおそれがあったから、次直の一等航海士を早めに起こして当直を交替するなど、居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。ところが、同人は、休息が十分にとれていたことから、居眠りすることはないものと思い、次直の一等航海士を早めに起こして当直を交替するなど、居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、居眠り運航となり、小豆島の地蔵埼に向首したまま進行して乗揚を招き、宮島丸の船底全般に凹損や亀裂を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。