(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年12月12日07時10分
宮崎県島浦島北東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船好宝丸 |
総トン数 |
321トン |
全長 |
56.77メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
691キロワット |
3 事実の経過
好宝丸は、専ら活魚の運搬に従事する船尾船橋型の鋼製漁船で、A受審人ほか4人が乗り組み、はまち54.7トンを積載し、船首3.5メートル船尾4.4メートルの喫水をもって、平成10年12月11日10時05分兵庫県家島諸島西島南方沖合のいけすを発し、宮崎県島浦島北西方1,000メートル付近のいけすに向かった。
A受審人は、2人の航海士と交替で船橋当直を行い、瀬戸内海を西行して伊予灘に至り、到着時刻を調整するため、翌12日00時00分機関を微速力前進にかけて減速し、夜が明けてくるころ、宮崎県深島沖合に差し掛かり、06時30分深島灯台から175.5度(真方位、以下同じ。)1.5海里の地点に達したとき、昇橋して自ら操船にあたり、島浦島とその北東方の高島との間を通航する予定で、自動操舵のまま、針路を島浦島の南端付近に向く249度に定め、7.5ノットの対地速力で進行した。
島浦島と高島との間には、島浦島北東端の北東方400メートル及び高島南端の南方400メートルのところに、それぞれ水深2.4メートルの高山出シ、同3.1メートルのヨコシマ出シと呼ばれる浅瀬が存在し、両浅瀬の間が幅700メートルの狭い水路となっていた。そして、同水路の北西方に耳ホゲと呼ばれる海面上の高さ30メートルの小島が控え、高山出シの南方200メートル付近に同高さ3.1メートルと3.3メートルの一対の水上岩である二ツ礁が頂部を水面上に現わしており、A受審人は、20年来しばしば同水路を西行し、平素は左右への偏位が容易に分かるよう耳ホゲを船首目標として、高島の南東方からおおよそ320度の針路でこれに向首し、両浅瀬をほぼ等距離に隔てて通航していた。
07時00分A受審人は、島野浦島灯台から086.5度1.95海里の地点に至り、間もなく高島に並航することから、前示の水路に近づいたことを知ったが、二ツ礁までの距離を目測すれば水路の中央部を通航できるものと思い、速やかに転針を開始して平素どおりの船首目標を利用した針路を選定することなく、操舵を手動に切り替えただけで、同じ針路を保って続航した。
A受審人は、07時03分半わずか過ぎ二ツ礁を目安に右転を始め、水路の中央部よりも左方に偏位したことに気付かずに、同時05分半島野浦島灯台から089度1.3海里の地点で針路を324度とし、同時09分同礁を左舷側に航過して、いつもより並航距離が近いことを感じ、右舵10度をとって徐々に右転中、07時10分島野浦島灯台から063度1.1海里の地点において、好宝丸は、船首が340度に向き、原速力のまま、高山出シに乗り揚げ、これを擦過した。
当時、天候は晴で風力2の北西風が吹き、潮候は低潮時にあたり、日出は07時05分であった。
乗揚の結果、左舷側船底外板全般に凹損を生じたが、のち修理された。
(原因)
本件乗揚は、島浦島東岸沖合において、浅瀬に挟まれた狭い水路を通航する際、針路の選定が不適切で、左舷側の浅瀬に向かって進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、島浦島東岸沖合において、浅瀬に挟まれた狭い水路を通航する予定で進行中、同水路に近づいたことを知った場合、左右への偏位が容易に分かるよう、平素どおりの船首目標を利用した適切な針路を選定すべき注意義務があった。しかし、同人は、水路側方の水上岩までの距離を目測すれば水路の中央部を通航できるものと思い、平素どおりの船首目標を利用した適切な針路を選定しなかった職務上の過失により、同中央部よりも左方に偏位したことに気付かず、浅瀬に向かって進行して乗揚を招き、左舷側船底外板全般に凹損を生じさせるに至った。