(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年4月19日13時20分
鳴門海峡
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船第十三明隆丸 |
総トン数 |
499トン |
全長 |
75.94メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
3 事実の経過
第十三明隆丸(以下「明隆丸」という。)は、船尾船橋型貨物船で、A受審人ほか3人が乗り組み、瀬戸内海諸港間において鉄粉や石材の輸送に従事していたところ、平成11年4月19日08時00分徳島県徳島小松島港に入港後、軽石1,600トンを載せ、船首3.98メートル船尾4.33メートルの喫水をもって、11時15分同港金磯岸壁を発し、鳴門海峡経由で岡山県水島港に向かった。
ところで、A受審人は、これまで何度となく鳴門海峡を通航したことがあって、時として南流時であっても大鳴門橋の南側に比べ北側の方が流速が強いことがあるなど体験上知っていた。そして、同人は、徳島小松島港の発航に先立ち、潮汐表に当たって14時05分が南流の最強時で、流速が8.6ノットであることを調べて発航したものであった。
A受審人は、単独の船橋当直に当たって北上し、12時34分半大磯埼灯台から090度(真方位、以下同じ。)1.5海里の地点で、針路を347度に定め、機関を全速力前進にかけ、9.0ノットの対地速力で手動操舵により進行した。
12時53分半A受審人は、大鳴門橋の1海里弱手前に当たる、鳴門飛島灯台(以下「飛島灯台」という。)から123度1,070メートルの地点に達したとき、針路を四国側の同橋橋梁灯に向く322度に転じ、鳴門海峡最狭部に向かうこととしたが、この時点で南流の最強時が迫っており、このまま進入すれば強い逆潮流で操船が困難となることが予想されたものの、何とか通航できるものと思い、最寄りの淡路島側にある福良港近くの水域に移動して潮流が弱まるまで待機するなど、同海峡最狭部への進入を中止しなかった。
こうして、A受審人は、12時57分飛島灯台を左舷側350メートルに並航したとき、針路を大鳴門橋中央の橋梁灯の少し右に向く348度に転じ、そのころ3.0ノットの南流に抗して6.0ノットの対地速力で進行し、13時00分大鳴門橋の真下を通過したとき、急激に強まった潮流を受けるようになって速力が大幅に低下し、孫埼が左舷正横に並ぶあたりで前進することができなくなった。
そして、A受審人は、機関回転数を一杯に上げて前進に努めたが、その気配が見られなかったので北上を断念し、13時15分大鳴門橋の北側200メートルのところから引き返すつもりでゆっくりと右回頭を始め、そのうち船首が南方に向首し、船尾から潮流を受けるようになって間もなく、船首が左方に大きく振られるとともに淡路島側へ強く圧流され、右舵一杯として右回頭を試みたものの、舵効が得られないまま、13時20分飛島灯台から037度640メートルの一ツ碆の暗礁に、明隆丸は、船首を050度に向けて乗り揚げた。
当時、天候は曇で風力2の北北西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期で、大鳴門橋北側では約9.0ノットの南流があった。
乗揚の結果、船底外板に破口を伴う凹損、ラダーポストに曲損及びプロペラ2枚の先端部に欠損を生じたが、暗礁を乗り越えて自然離礁したのち、自力で福良港沖合に錨泊し、その後、来援したタグボートにより回航の支援を受け、目的地で揚荷したのち鹿児島県の造船所で修理された。
(原因)
本件乗揚は、強潮流時、鳴門海峡最狭部への進入を中止せず、強い逆潮流を受けて前進困難に陥り、反転後に一ツ碆の暗礁に圧流されたことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、鳴門海峡を北上中、同海峡最狭部に差し掛かった場合、南流の最強時が迫っており、このまま進入すれば強い逆潮流で操船が困難となることが予想されたから、最寄りの福良港近くの水域に移動して潮流が弱まるまで待機するなど、同海峡最狭部への進入を中止すべき注意義務があった。しかるに、同人は、何とか通航できるものと思い、同海峡最狭部への進入を中止しなかった職務上の過失により、強い逆潮流を受けて前進困難に陥り、反転後に一ツ碆の暗礁に圧流されて乗揚を招き、船底外板に破口を伴う凹損、ラダーポストに曲損及びプロペラの一部に欠損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。