(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年2月2日19時50分
関門港関門航路
2 船舶の要目
船種船名 |
ケミカルタンカー第八福丸 |
総トン数 |
435トン |
全長 |
58.015メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
956キロワット |
船種船名 |
押船第八朝香丸 |
バージ第八朝香 |
総トン数 |
129トン |
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全長 |
31.51メートル |
75.00メートル |
幅 |
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17.00メートル |
深さ |
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3.50メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
1,471キロワット |
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3 事実の経過
第八福丸(以下「福丸」という。)は、船尾船橋型のケミカルタンカーで、A受審人ほか4人が乗り組み、メタノール171トンを積載し、船首2.8メートル船尾3.6メートルの喫水をもって、平成10年2月2日10時40分広島県木ノ江港を出港し、福岡県博多港に向かった。
A受審人は、正午までの船橋当直を終えたのち降橋し、19時30分関門海峡中央水道を西行中、部埼灯台から008度(真方位、以下同じ。)1,290メートルの地点で再び昇橋し、船首わずか左830メートルに先航する第八朝香丸被押バージ第八朝香(以下「朝香丸押船列」という。)の船尾灯を初めて視認するとともに、このころ火ノ山下潮流信号所の電光板が東流7ノット、今後の流速が遅くなる旨を繰り返し表示しているのを見て、潮汐表で調べたとおり早鞆瀬戸が東流の最強時にあることを確認した。
A受審人は、19時40分門司埼灯台から060度1.7海里の地点において、一等航海士と交替して船橋当直に就き、一等機関士を見張りの補助に加え、自ら手動で操舵にあたって針路を263度に定め、引き続き機関を全速力前進にかけ、東流に抗して10.2ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行し、同時41分半わずか前関門航路に入航した。
19時42分A受審人は、門司埼灯台から054度1.4海里の地点に達したとき、朝香丸押船列が左舷船首6度300メートルに位置し、これに追い越す態勢で接近することを認め、間もなく水路幅が狭く逆潮流が強いうえ、前路の見通しが困難な早鞆瀬戸に差し掛かり、東行船によって安全にかわりゆく余地を有しなくなるおそれがあったが、同押船列を無難に追い越せるものと思い、追越しを中止することなく、そのまま続航した。
A受審人は、19時43分少し前門司埼灯台から051.5度1.3海里の地点に至り、下関導灯を操舵目標にして、針路を関門航路に沿う240度に転じたところ、朝香丸押船列を正船首260メートルに視認するようになり、早鞆瀬戸に近づくにつれて強まった潮流の影響を受け、9.2ノットの速力で同押船列に後続するうち、同時45分少し過ぎ船首が同押船列船尾と100メートルに接近し、その左舷側を追い越すつもりで、針路を236度に転じて進行した。
A受審人は、19時48分半朝香丸押船列と70メートル隔てて並びかけたころ、ほぼ正船首600メートルに紅灯を視認して、これが前方の町明かりに紛れていた東行船の左舷灯であることを知り、同時49分潮流が更に流勢を増して速力が6.7ノットに落ち、同時49分半門司埼灯台から027度500メートルの地点に達したとき、東行船が潮流に圧流されて船首少し左の近距離に接近したので、とっさに可変ピッチプロペラの翼角を半速力前進として右舵20度をとった。
19時49分半わずか過ぎA受審人は、東行船をかわし、朝香丸押船列への接近を避けようとして、機関停止に続いて左舵一杯をとったが、福丸は、東北東流を左舷側に受けて舵効が現われず、19時50分門司埼灯台から014度480メートルの地点において、船首が315度を向き、3.0ノットの速力で、その船首が第八朝香の左舷側後部に後方から75度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の北風が吹き、衝突地点付近には4.5ノットの東北東方に流れる潮流があった。
また、第八朝香丸は、船首船橋型の鋼製押船で、B受審人ほか4人が乗り組み、船首3.5メートル船尾4.5メートルの喫水をもって、船首3.0メートル船尾4.0メートルの喫水で海砂採取装置を備えた鋼製バージ第八朝香の船尾中央凹部に船首部を嵌合(かんごう)して、全長約97メートルの押船列を形成し、海砂採取の目的で、同日15時00分大分県国東港を出港し、長崎県五島列島の相ノ島沖合に向かった。
B受審人は、出港操船を終えたのち降橋し、18時00分山口県宇部港南方沖合で再び昇橋して船橋当直に就き、19時00分機関長を見張りの補助に加え、自ら手動で操舵にあたって部埼東方沖合に至り、関門海峡中央水道を西行中、同時25分部埼灯台から034度1,000メートルの地点に達し、右舷後方970メートルに福丸のマスト灯2灯と左舷灯を初めて視認するとともに、このころ部埼潮流信号所の電光板の表示がそれまでの東流7ノット、今後の流速が速くなる旨から、東流7ノット、今後の流速が遅くなる旨に変わったのを見て、早鞆瀬戸が東流の最強時にあることを確認した。
B受審人は、19時34分半わずか前門司埼灯台から065度2.3海里の地点において、針路を260度に定め、引き続き機関を全速力前進にかけ、東流に抗して9.0ノットの速力で進行し、同時40分わずか過ぎ関門航路に入航した。
19時42分B受審人は、門司埼灯台から051度1.2海里の地点に至り、下関導灯を操舵目標にして、針路を関門航路に沿う240度に転じたとき、福丸が左舷船尾17度300メートルに位置し、同船が自船を追い越す態勢で接近したのを認め、間もなく水路幅が狭く逆潮流が強いうえ、見通しが困難な早鞆瀬戸に差し掛かり、東行船によって安全にかわりゆく余地を有しなくなるおそれがあったが、無難に追い越してゆくものと思い、福丸に対して追越しを中止するよう警告信号を行うことなく、強まった潮流の影響を受けて8.0ノットの速力で続航した。
B受審人は、19時47分船首少し左1,400メートルに紅灯を視認して、これが東行船の左舷灯であることを知り、同時49分福丸が左舷側に70メートル隔てて並んだころ、潮流が更に流勢を増して速力が5.5ノットに落ち、同時49分半わずか過ぎ福丸の船首が右方に振れ始めたことに気付いたものの、どうすることもできず、朝香丸押船列は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、福丸は、右舷船首部ブルワークに凹損及び擦過傷を生じ、第八朝香は、左舷側後部ブルワークに曲損、同部外板に亀裂及び凹損を生じ、海砂採取装置のダビット及びゴム製ホースを破損したが、のち修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、両船が関門航路を西行中、朝香丸押船列に追い越す態勢で接近する福丸が、水路幅が狭く逆潮流が強いうえ、前路の見通しが困難な早鞆瀬戸に差し掛かる状況で、東行船によって安全にかわりゆく余地を有しなくなるおそれがあった際、追越しを中止しなかったことによって発生したが、朝香丸押船列が、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、関門航路を西行中、朝香丸押船列に追い越す態勢で接近したのを認めた場合、間もなく水路幅が狭く逆潮流が強いうえ、前路の見通しが困難な早鞆瀬戸に差し掛かり、東行船によって安全にかわりゆく余地を有しなくなるおそれがあったから、追越しを中止すべき注意義務があった。しかし、同人は、朝香丸押船列を無難に追い越せるものと思い、追越しを中止しなかった職務上の過失により、東行船を避けようとして同押船列との衝突を招き、福丸の右舷船首部ブルワークに凹損及び擦過傷を、第八朝香の左舷側後部ブルワークに曲損と同部外板に亀裂及び凹損をそれぞれ生じさせ、海砂採取装置のダビット及びゴム製ホースを破損させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、関門航路を西行中、福丸が自船を追い越す態勢で接近したのを認めた場合、間もなく水路幅が狭く逆潮流が強いうえ、前路の見通しが困難な早鞆瀬戸に差し掛かり、東行船によって安全にかわりゆく余地を有しなくなるおそれがあったから、福丸に対して追越しを中止するよう警告信号を行うべき注意義務があった。しかし、同人は、無難に追い越してゆくものと思い、警告信号を行わなかった職務上の過失により、東行船を避けようとした福丸との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。