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 海難審判庁裁決録 >  2001年度(平成13年) > 衝突事件一覧 >  事件





平成12年門審第6号
件名

漁船利福丸貨物船シー ユニックス衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年3月14日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(米原健一、原 清澄、相田尚武)

理事官
坂爪 靖

受審人
A 職名:利福丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
利福丸・・・船体中央部から2つに分断して船尾部が沈没、廃船処理、A受審人が腰背部に打撲傷
シ 号・・・船首部に擦過傷

原因
利福丸・・・狭視界時の航法(避航動作)不遵守
シ 号・・・狭視界時の航法(避航動作)不遵守

主文

 本件衝突は、視界が制限された状況下、利福丸が、出航を中止して視界の回復を待たなかったことと、シー  ユニックスが、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年6月8日05時15分
 山口県六連島西方沖合

2 船舶の要目
船種船名 漁船利福丸 貨物船シー ユニックス
総トン数 2.9トン 1,598トン
全長 11.05メートル 88.636メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力   1,765キロワット
漁船法馬力数 70  

3 事実の経過
 利福丸は、刺網漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人が単独で乗り組み、平成11年6月8日01時00分ごろ福岡県藍島漁港大泊地区を発して藍島北方沖合2海里ばかりの漁場に至り、操業を行ったのち、いったん同地区に帰港し、同受審人がしばらく船内で休息をとったあと、漁獲物を水揚げする目的で、関門港小倉区の中央卸売市場に向かうことになった。
 ところで、A受審人は、利福丸に汽笛、号鐘及びこれに替わる有効な音響による信号を行うことができる他の手段並びにレーダーを備えないまま、同船の運航に当たり、平素、藍島漁港大泊地区から関門港小倉区に向かう際、藍島漁港大泊地区港口に至ったとき、針路を若松洞海湾口防波堤灯台(以下「湾口防波堤灯台」という。)に向く155度(真方位、以下同じ。)に定め、船舶が輻輳(ふくそう)する六連島西方の水路及び関門第2航路を避け、その西側の海域を南下していた。
 出航時、A受審人は、霧により視界制限状態で、視程が約600メートルであったが、この程度の視界であれば見当で目的地まで航行できるものと思い、出航を中止して視界の回復を待つことなく、航行中の動力船の灯火を点灯して出航することとした。
 こうして利福丸は、引き続きA受審人が単独で乗り組み、いかなど約100キログラムを載せ、船首0.53メートル船尾0.84メートルの喫水をもって、同日05時07分藍島漁港大泊地区を発し、関門港小倉区に向かった。
 A受審人は、舵輪後方に立って出航操船に当たり、05時08分藍島港大泊E防波堤灯台から116度170メートルの地点に達したとき、湾口防波堤灯台の存在を認めることができなかったものの、船首方に六連島西水路第4号灯浮標(以下、灯浮標の名称に冠する「六連島西水路」を省略する。)の灯火をかすかに視認できたので、針路を同灯火の少し右方に向く155度に定め、機関を回転数毎分1,550にかけ、折からの潮流に抗して13.0ノットの対地速力で、手動操舵により進行した。
 05時09分半A受審人は、藍島南端の瀬ケ埼を右舷側に見て航過したころ、霧が更に深まり、視程が約60メートルに狭められ、第4号灯浮標の灯火も見えなくなり、霧中信号を行えず、周囲の状況を全く把握できないまま、六連島西方の水路の西側海域を続航した。
 A受審人は、第4号灯浮標の灯火を探しながら南下するうち、次第に針路が左転し、やがて六連島西方の水路に入り、05時12分半わずか過ぎ湾口防波堤灯台から337度2.4海里の地点に達し、船首が138度を向いていたとき、右舷船首9度1,700メートルのところに北上するシー ユニックス(以下「シ号」という。)が存在し、同時13分半わずか過ぎ同船が右転して著しく接近することを避けることができない状況となったものの、このことに気付かず、依然少しずつ左転しながら進行中、05時15分湾口防波堤灯台から344度1.9海里の地点において、利福丸は、船首が125度に向いたとき、原速力のまま、その右舷中央部にシ号の船首が前方から65度の角度で衝突した。
 当時、天候は霧で風力1の北風が吹き、視程は約60メートルで、付近には0.6ノットの北流があり、日出は05時05分であった。
 また、シ号は、大韓民国釜山港と日本諸港間との雑貨輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、船長E及び一等航海士Gほか11人が乗り組み、コンテナ18個などを載せ、船首3.70メートル船尾5.30メートルの喫水をもって、同月6日07時00分千葉県木更津港を発し、関門海峡経由で釜山港に向かった。
 翌々8日04時15分E船長は、部埼北東方沖合で昇橋して霧模様であることを知り、航行中の動力船の灯火が点灯していることを確認したのち、操船の指揮をとり、機関用意としたうえ、G一等航海士を見張りに、操舵手を操舵にそれぞれ就けて関門海峡を西行し、05時08分湾口防波堤灯台から023度1,600メートルの地点に達したとき、針路を310度に定め、機関を全速力前進の12.0ノットにかけ、折からの潮流に乗じて12.6ノットの対地速力で、手動操舵により進行した。
 その後E船長は、関門港の港界を通過して六連島西方の水路を北上中、視界が急速に悪化して視界制限状態になり、視程が約60メートルに狭められたものの、霧中信号を行うことも、安全な速力にすることもなく、0.75海里レンジとしたレーダーをオフセンターとし、船首方1.2海里の範囲の監視に当たって続航した。
 E船長は、05時12分半わずか過ぎ湾口防波堤灯台から344度1.5海里の地点に至ったとき、レーダーにより右舷船首17度1,700メートルのところに、利福丸を探知できる状況であったが、レーダーによる見張りを十分に行っていなかったので、同船の映像を見落とし、その存在に気付かず、同時13分半わずか過ぎ同船が右舷船首27度950メートルのところに近づいたとき、右舵20度をとって針路を010度に転じたところ、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、このことが分からず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもしないまま進行した。
 05時15分わずか前E船長は、レーダー画面上の左舷前方至近のところに利福丸の映像を初めて認め、急いで機関を半速力前進に、続いて極微速力前進にかけたものの及ばず、シ号は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、利福丸は、船体中央部から2つに分断して船尾部が沈没し、船尾部はのち引き揚げられたが、廃船処理され、シ号は、船首部に擦過傷を生じた。また、海中に投げ出されたA受審人は、他船に救助されたが、腰背部に打撲傷を負った。

(原因)
 本件衝突は、視界が制限された状況下、音響信号設備及びレーダーを備えない利福丸が、福岡県藍島漁港大泊地区からの出航を中止して視界の回復を待たなかったことと、六連島西方の水路を北上するシ号が、霧中信号を行わず、安全な速力としなかったばかりか、レーダーによる見張り不十分で、利福丸と著しく接近することを避けることができない状況になった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、視界制限状態の福岡県藍島漁港大泊地区を関門港小倉区に向けて出航する場合、音響信号設備及びレーダーを備えず、霧中信号を行うことも、周囲の状況を十分に把握することもできなかったのであるから、出航を中止して視界の回復を待つべき注意義務があった。ところが、同受審人は、この程度の視界であれば見当で目的地まで航行できるものと思い、出航を中止して視界の回復を待たなかった職務上の過失により、霧中信号を行うことも、周囲の状況を十分に把握することもできないまま出航してシ号との衝突を招き、利福丸の船体中央部から2つに分断して船尾部を沈没させ、シ号の船首部に擦過傷を生じさせるとともに、自らも腰背部打撲傷を負うに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:81KB)





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