(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年10月13日19時40分
瀬戸内海 備後灘
2 船舶の要目
船種船名 |
油送船第三十一松尾丸 |
貨物船サルファエスポアール |
総トン数 |
488トン |
2,976トン |
全長 |
64.95メートル |
99.92メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
2,427キロワット |
3 事実の経過
第三十一松尾丸(以下「松尾丸」という。)は、主として瀬戸内海各港において重油の輸送に従事する船尾船橋型の鋼製油タンカーで、A受審人ほか4人が乗り組み、C重油880キロリットルを載せ、船首2.90メートル船尾4.00メートルの喫水をもって、平成10年10月13日18時00分岡山県水島港を発し、大分県佐賀関港に向かった。
A受審人は、発航操船に引き続いて単独で船橋当直に就き、塩飽諸島の西側を南下して真鍋島と佐柳島の間を抜け、19時25分六島灯台から054度(真方位、以下同じ。)2.35海里の地点で、針路を221度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.8ノットの対地速力で、航行中の動力船の灯火を表示して、六島南方の備後灘航路第7号灯浮標(以下、灯浮標名については「備後灘航路」を省略する。)の西方に向け手動操舵により進行した。
19時33分A受審人は、六島灯台から074度1.0海里の地点に差し掛かったとき、正船首少し右2.3海里の、備後灘の推薦航路線付近に東行するサルファエスポアール(以下「サ号」という。)の白、白、紅3灯を初めて視認した。
ところで、六島の南方海域は、備後灘の推薦航路線沿いに東行する船舶が、水島港に入港するためよく左に転針するところで、同海域を頻繁に航行するA受審人は、時折、東行船が第7号灯浮標の西側で左転して六島寄りに北上してくるのを見かけていたものの、サ号が自船の船首を左に替わる状況であったことから、間もなく同船から目を離して続航した。
A受審人は、19時36分少し前、六島灯台から100度1,200メートルの地点に達したとき、左舷船首12度1.3海里になったサ号が水島港に向かうため左転を始め、同時37分少し過ぎ同船が左舷船首22度1,400メートルに近づき白、白、緑3灯を見せるようになり、その後自船と進路が交差し、新たな衝突のおそれがある態勢で接近したが、左舷後方の備後灘の推薦航路線付近を西行する同航船に気をとられ、サ号の行動を確かめて動静監視を十分に行っていなかったので、このことに気付かず、警告信号を行うことなく進行した。
19時38分少し過ぎA受審人は、左舷船首15度900メートルに、白、白、緑3灯を見せながら接近するサ号を認め、急いで右舵20度をとって右回頭を始め、同時39分少し前ほぼ280度まで回頭したとき右転では避けられないと思ったものの、直ちに行きあしを停止するなど衝突を避けるための措置をとることなく、貨物油タンクのある側面への衝突を避けようと左舵一杯にとり直して左回頭を開始したところ、同時40分少し前サ号が白、白、紅3灯を見せ右回頭しながら迫ってくるのを知り、急いで機関停止、続けて全速力後進にかけたが及ばず、19時40分六島灯台から161度1,100メートルの地点において、約6ノットの対地速力をもって、124度に向首した松尾丸の右舷船首部に、サ号の船首が後方から80度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力2の北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期にあたり、衝突地点付近には微弱な東流があった。
また、サ号は、主に本邦と中華人民共和国との間で硫黄などの輸送に従事する船尾船橋型の鋼製ケミカルタンカーで、大韓民国籍の船長Eほか13人が乗り組み、空倉のまま、船首2.43メートル船尾4.25メートルの喫水をもって、同月11日07時00分(現地時間)中華人民共和国リエンユンカンを発し、水島港に向かった。E船長は、翌々13日09時05分(日本時間、以下同じ。)ごろ関門海峡を通過し、その後来島海峡を抜けて備後灘に入り、19時10分第5号灯浮標付近で昇橋したあと、同時28分六島灯台から222度2.3海里の地点で、一等航海士を補佐に当たらせるとともに、甲板員を手動操舵に就けて操船指揮を開始し、針路を073度に定め、機関を全速力前進にかけ、13.0ノットの対地速力で、航行中の動力船の灯火を表示して推薦航路線に沿って東行した。
19時31分E船長は、六島灯台から212度1.8海里の地点に達したとき、左舷船首27度3.0海里の、六島の東側に南下する松尾丸の白、白、緑3灯を初めて視認し、同時33分同船が左舷船首31度2.3海里となり、その後同船の方位が左方に変わり自船の船尾を1,100メートル離して無難に航過する態勢であったが、第7号灯浮標付近で左転して真鍋島と佐柳島との間を抜け水島港に向かう計画であったことから、左舷前方の推薦航路線沿いに西行する反航船が途切れるタイミングを見計かることに気を遣っていて、このことに気付かずに続航した。
E船長は、19時36分少し前六島灯台から179度1.25海里の地点に差し掛かり、松尾丸が左舷船首44度1.3海里に接近したとき、1隻の反航船が自船の左舷側を航過し、そのあとの反航船まで約1海里の距離があることを認めたことから、松尾丸の動静を十分に確かめないまま目的の水島港に向かおうとして左舵一杯を令して左転を始め、反航船に気をとられたまま大きく左回頭しているうち、同時37分少し過ぎほぼ000度に向いたとき右舷船首20度1,400メートルに見るようになった松尾丸と進路が交差し、新たな衝突のおそれを生じさせたが、このことに気付かず、速やかに左回頭を止め機関を停止するなど衝突を避けるための措置をとらずに回頭を続けた。
19時37分半E船長は、船首がほぼ350度まで回頭したとき、白、白、紅3灯を見せながら接近する松尾丸を右舷船首30度1,200メートルに認め、右転して同船を左舷側に替わそうと思い、急いで右舵一杯にとり直しを令して右回頭を始め、同時39分半ほぼ025度に向首したとき、松尾丸が左舷船首方300メートルに迫ったので、機関を半速力前進に落としたところ、同時40分少し前同船が白、白、緑3灯を見せ左回頭しながら迫ってくるのを知り、急いで機関停止、続けて全速力後進にかけたが及ばず、サ号は、044度を向き、約9ノットの対地速力をもって前示のとおり衝突した。
衝突の結果、松尾丸は、右舷船首部に破口を生じ、のち修理され、サ号は、球状船首部に破口を伴う凹損を生じた。
(原因)
本件衝突は、夜間、備後灘東部において、東行するサ号が、動静監視不十分で、無難に航過する態勢の松尾丸に対し、転針して新たな衝突のおそれを生じさせたうえ、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、南西進する松尾丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、備後灘東部を南下中、正船首少し右に東行するサ号の白、白、紅3灯を視認して進行する場合、付近は備後灘の推薦航路線沿いに東行して水島港に向かう船舶がよく左に転針するところであるから、衝突のおそれの有無を判断できるよう、サ号の行動を確かめて動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、左舷後方の備後灘を西行する同航船に気をとられ、動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、サ号が左転して新たな衝突のおそれのある態勢で接近するようになったことに気付かず、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらないまま進行してサ号との衝突を招き、松尾丸の右舷船首部に破口を、サ号の球状船首部に破口を伴う凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。