(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年4月20日05時55分
北海道釧路港
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船えりも丸 |
貨物船オムスキー131 |
総トン数 |
3,331トン |
1,534トン |
全長 |
106.65メートル |
108.40メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
5,516キロワット |
1,029キロワット |
3 事実の経過
えりも丸は、専ら千葉県千葉港、北海道釧路港、同十勝港間の定期航路に就航する船尾船橋型コンテナ専用船で、A受審人ほか12人が乗り組み、コンテナ286個を積載し、船首4.25メートル船尾6.30メートルの喫水をもって、平成11年4月20日05時35分釧路港西区第2区第2ふ頭第8号岸壁を発し、当時、霧のため視程が1,000メートルばかりに狭められていたため、航行中の動力船の灯火を表示して十勝港に向かった。
ところで、釧路港西区は、釧路川河口右岸西側に造成された港湾で、同右岸より南西方に延びる東防波堤、その先端付近からほぼ西方に延び、途中から南西方に屈曲する南防波堤、河口から1.8海里ばかり西側の陸岸から南に延びる西防波堤とに囲まれ、西防波堤南端と南防波堤西端部の間が港口となっていた。また、北側の陸岸から南側に向けて台形状に500メートルほど突出した3個のふ頭が東西方向に並び、東側の第1ふ頭には1号から7号までの、中央の第2ふ頭には8号から14号までの、西側の第3ふ頭には15号から20号までの各岸壁が築造されていた。
A受審人は、右舷錨を4節投入し、入船左舷付けしていたので、離岸後、同錨を巻きながら第1ふ頭と第2ふ頭との間で回頭し、05時43分出航作業を終えた二等航海士をレーダー監視に、三等航海士を見張りに、甲板手を手動操舵にそれぞれ就けて南防波堤方向に進み出したところ、視界が徐々に悪化し、まもなく視程300メートルの視界制限状態となったことを認めた。
05時45分半A受審人は、釧路港西区南防波堤西灯台(以下「南防波堤西灯台」という。)から065度(真方位、以下同じ。)1.1海里の地点に達したとき、針路を202度に定め、機関を極微速力前進にかけて3.0ノットの対地速力(以下、速力は対地速力である。)で進行した。そのころA受審人は、レーダー監視中の二等航海士から右舷船首46度1.1海里に入航船ありとの報告を受け、自らもレーダーを見て南防波堤西端付近を東進するオムスキー131(以下「オ号」という。)の映像を初めて認めた。
05時48分A受審人は、第2ふ頭南東端に並航したころ、港外で待機していた曳船からVHF無線電話により港口通過予定時刻の問い合わせがあり、その際、現在入航中の船舶はオ号で、第3ふ頭17号岸壁に着岸予定である旨の連絡を受け、その後自動吹鳴装置により霧中信号を行いながら続航した。
A受審人は、オ号が予定岸壁に向けそのままの針路で直進するものと判断したので、できるだけ南防波堤寄りを通航して港口に向かうこととし、05時49分南防波堤西灯台から073度1.0海里の地点に至ったとき、機関を6.0ノットの微速力前進にかけて徐々に増速し、小舵角の右舵により回頭を始めた。そして、同人は、この措置によりオ号と接近することはないものと思い、その後、動静監視を十分行わなかったため、まもなく同号が右転して南防波堤沿いに進み始めたことに気付かなかった。
05時52分A受審人は、南防波堤西灯台から078度1,500メートルの地点に達し、針路を266度として転針を終えたとき、オ号が右舷船首4度900メートルとなり、著しく接近することを避けることができない状況となったが、同人は、依然、動静監視不十分で、このことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行き脚を止めることもなく、6.0ノットとなった速力のまま西進した。
05時54分少し前A受審人は、レーダー監視中の二等航海士からオ号の映像が400メートルに接近し、右舷対右舷で航過するとの報告を受けたが、そのうちに同号が17号岸壁に向け左転するものと思い、気に留めないで進行した。
そして、05時54分少し過ぎA受審人は、再び二等航海士からオ号が300メートルとなって自船に向首している旨の報告を受け、まもなく右舷船首わずか右に霧の中から現れた同号を初認してようやく衝突の危険を感じ、機関全速後進、左舵一杯を令したが及ばず、05時55分えりも丸は、南防波堤西灯台から073度900メートルの地点において、250度を向き4.0ノットとなったその船首が、オ号の左舷船首に、前方から40度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風力2の南東風が吹き、視程は300メートルで、潮候は下げ潮の初期であった。
また、オ号は、2基2軸を装備した木材の輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、板材2,280トンを載せ、船長Hほか15人が乗り組み、同月11日ロシア連邦ウラジオストク港を発し、同月16日から17日にかけて北海道紋別港に寄港して揚荷後、同月19日09時00分板材1,409トンを載せて釧路港外港に到着し、南防波堤西灯台から1,140メートルの地点に錨泊して待機中のところ、翌20日05時30分揚錨し、船首2.60メートル船尾2.85メートルの喫水をもって第3ふ頭17号岸壁に向かった。
H船長は、当時、視程が300メートルほどの視界制限状態であったことから、航行中の動力船の灯火を表示して時々手動で霧中信号を行い、一等航海士を操舵に、機関長を機関操作に、三等航海士、甲板長ほか2人を船首配置にそれぞれ就け、自ら0.75海里レンジとしたレーダーの監視に当たって港口に向かい、南防波堤先端を右舷側に見てつけ回したのち、05時42分南防波堤西灯台から255度430メートルの地点に達したとき、針路を同防波堤に沿う063度に定め、機関を極微速力前進にかけて4.0ノットの速力で進行した。
05時48分H船長は、右舷船首12度1,600メートルにえりも丸のレーダー映像を初めて認め、同時49分南防波堤西灯台から052度460メートルの地点に至ったとき、同船と接近するものと判断して機関を極微速力前進の2.5ノットに減じ、左舷対左舷で替わそうと右舵一杯を令し、同時50分針路が095度となったところで南防波堤に沿って東進した。
右転する際H船長は、VHF無線電話16チャンネルにおいて、左舷対左舷で航過する旨をえりも丸に英語で呼びかけたが、その応答を確認しないまま、同船に伝わったと判断するとともに、当然、相手船も右転などの措置をとるから左舷対左舷で替わるものと思い、その後レーダーによる動静監視を十分に行っていなかったため、05時52分南防波堤西灯台から061度660メートルの地点に達したとき、えりも丸が左舷船首5度900メートルとなって針路がわずかに交差し、著しく接近することを避けることができない状況となったことに気付かず、必要に応じて行き脚を止めることなく続航した。
05時54分H船長は、船首配置の三等航海士から正船首わずか左300メートルに船が見えるとの報告を受け、まもなく船橋から同方向にえりも丸を視認したことから右舵一杯、機関全速力後進を令したが及ばず、110度を向首し、船体がほぼ停止したとき前示のとおり衝突した。
衝突の結果、えりも丸は、球状船首部に、オ号は、左舷船首部に、それぞれ破口を伴う凹損を生じたが、えりも丸は、のち修理された。
(原因)
本件衝突は、霧のため視界制限状態となった釧路港内において、出航中のえりも丸が、安全な速力に減じず、レーダーによる動静監視不十分で、前路に認めたオ号と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行き脚を止めなかったことと、入航中のオ号が、レーダーによる動静監視不十分で、前路に認めたえりも丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、必要に応じて行き脚を止めなかったこととによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、霧のため視界制限状態となった釧路港を出航中、港口付近に入航中のオ号をレーダーにより認めた場合、同船と著しく接近することを避けることができない状況となるかどうかを判断できるよう、レーダーによる動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、自船が南防波堤寄りに進行するので、予定岸壁に直進するオ号とは接近しないものと思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行き脚を止めることもなく進行して同船との衝突を招き、自船の球状船首部及びオ号の左舷船首部にそれぞれ破口を伴う凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。